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メールマガジンより

素晴らしい日本人が創る「美しい国」
 (「美しい国づくり」企画会議メンバー、東映代表取締役社長 岡田裕介)

 「美しい国」という言葉は曖昧模糊としていて、人それぞれ定義が違うよ
うに思われます。私は次の観点から、このプロジェクトに参加させていただ
きたく思っています。

・自信を持てる国とは何か?
 戦後日本は欧米化が進み、すべての受け入れが進んでいる。これにより、
本来大事にしなければならない事柄(習慣、言葉、経済システムetc、あら
ゆるものを含む。)が、ないがしろにされてきている。日本独自のものが忘
れさられようとしているように思われる。

・命を大切にする社会
 戦争、病気、自殺・・・。いろいろな事が考えられるが人間本来の生き
ていきたいと思える心も、美しい心と考える・物を作っていく社会
 諸外国に煽られ、株投資をはじめとする虚業が流行となっている。私は、
原点に帰り実業を大切にすることが今の日本に大切なことのように思う。

敬語を大切にする社会 最近、教育の問題が、論議されることが多くなった。
いろいろな角度から、様々な意見があり、大切なことのように思う。
 その中で、私は敬語を提案したい。日本語が世界に誇れる独自性は、これ
が存在することだ。謙譲語は日本にしかないのではないだろうか?しかし今
の若者は敬語が使えない。今の犯罪も、間接的ながら防げるのではなかろう
か。

 私は、素晴らしい「日本人」が一番美しいのではないかと考えています。
銃を持って良いと考える国とは、どこかが違うのです。銃を嫌う日本人を誇
りに思います。
           (略)
               *********




☆先日、読売に劇作家・中教審会長の山崎正和氏の
「職業の権威と責任」という記事が掲載された。

この中で氏は、踏み切りに飛び込んだ女性を救って殉職した交番の警官の心には
ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の責任=権威と権限を持つ者がそれに見合う
責任を要求される考え方)が根底にあったから、生来の人柄だけでは説明されない
一瞬の行動へと駆り立てたのではないかと推測しておられた。

学校で問題が起きると必ず非難されるのは教師だけで、校長が謝罪する姿だけが
大写しにされて、親の保護責任を問う言説はほとんどメデァにのらない現実。
また、米国では「レイマン・コントロール」と呼ばれる、素人が教育を支配するのをよし
とする思想が流行している・・と言う。学校教育は専門的な技術を必要とするのもだけに
性急な素人支配がこのプロフェッショナリズムを破壊し、親のエゴに悪用されては
困るという懸念。さらに専門性軽視・素人優位の風潮は「医師」にも及び、代わりに
必要な権威と責任感を放棄する事なかれ主義が現場で生じてきたという。
社会の倫理性を高めるためには、

「人が職業人の誇りを抱き、結果として恥を知ることが大事である。
その際、『高貴なる者』の責任は本人の自覚はまず当然だが、
この自覚は、その高貴さを社会が敬う事で支えられている。
現代のプロフェショナルの90パーセントは、誠実に任務に献身していると考えられる。
マスコミも含めて社会は彼らの実像を称え、使命感へとおだてあげる道はないものか」
と結んであった。



 役人も官僚も政治家にも自らの信念と熱意や使命感を持ち
国のため、社会のために尽くしている人は必ずいると思うし、
そうではない人もまたいるだろう。
しかし、何がなんでも自分達の利益や都合を優先させようと、
自治体や学校に"権利"のために詰め寄る人のなんと多いことか。


 昨日のテレビには、練馬区の車止めを排除した区長が反対住民に、
「市長、立ちなさい!」「あなたには区長としての資格などない!」など
と糾弾され、議席に腰掛けて憮然とした区長の顔が映しだされていた。
私にはどちらが良いとか正しいとか分からないが・・・反対派住民らの
言い分はともかくとして、すさまじい罵声に耐え、「お願いします」と頭を下げながら
低姿勢で職務を果たさねばならない区の担当者に同情してしまった。


 天皇両陛下がスェーデンにご訪問中だが、当日
「出発した」と書いてある新聞もあった。
皇族に、しかも高齢ながらご公務を果たしておられる両陛下に対して
敬語を使わず、一体誰に使えと言うのだろうかかこの新聞社は・・

 思想や政治的・社会的イデオロギーも結構だが、
互いの人間関係において最も大切な"言葉"を
美しく使う品格を持つ事は、「みんな平等」の民主主義と、
意を異にするような問題ではないと思う。




 
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by hanamizukidayo | 2007-05-24 14:40