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聖書とは宿題を投げかける本である


「聖書の呼ぶ声」というサイトがあります。

ご存知の方も多いと思いますが☆

旧約聖書に見られる歴史的な出来事に、果たして神の御意思が
どのように関係すれば、一見神の特質を疑わざるを得ないようにすら
思える記録をどう理解すればよいのか困惑する時・・

また、聖書を開いても以前の教えと自動思考で連動してしまう・・
好きな聖句や、好みの部分しか読みたくない・・
読まないよりはいいんだろうけれど、これでいいのかなぁと
立ち止まってしまう時があります。

しばらく忘れていたのですが、最近またこのサイトの事を
思い出して開いてみました。それで、非常に興味深く読ませて貰いました。

聖書は、視点を変えて読むと非常におもしろくまた興味深い本だと
改めて実感します、驚きです。
エホバの証人の教理がもたらした、消えにくい重圧感からの解放をも
味わえると思いますよ☆

お薦めサイトの一つです(*^_^*)


一部ご紹介します。







多義的、創造的な読み方遠藤周作は、この疑問に「聖書は人生だ」と答えている。良きも悪しきも、正義も誤りもある私たちの人生に似ている、ということだ。

この言い方を真似すれば、わたしは、「聖書は信仰遺産の<倉庫>だ」と言いたい。

良きも悪しきも、正義も誤りも、人類の様々の貴重な信仰遺産(負債もある)が詰め込まれている「倉庫」(※マタイ13・52)と言えるのではないか。

この、貴重な正負の信仰遺産をどう評価し、どう役立てるかは、私たちの責任だと思います。

南京大虐殺を問題とする歴史は、自虐的歴史観だ、という人々がいます。事実を直視出来ない人々です。(注 南京大虐殺問題はなかったと、日本では大体ケリがついて朝日でも取り上げなくなったほどですが、米国ではネガティブキャンペーンが繰り返され、阿倍総理は叩かれています  はな)

聖書の記事「聖絶」も、現代では直視出来ない負の面です。避けて通りたい所です。しかし、それが聖書なのです。良きも悪しきも過ちも、人間と歴史の全てが盛り込まれている。そして、その中に神の啓示がある。それが聖書だと思います。時代によって変わる価値観を通して、不変の真理を啓示しているのが聖書ではないでしょうか。

聖書は、聖霊に導かれ神の啓示を受けたとはいえ、人間が書いた書物なのです。特に旧約聖書は、多義性と矛盾撞着をはらむ懐の深い書物(※)で、その時代時代に応じて、常に創造的な解釈の可能な点、永遠の書物と言って良いでしょう。

聖書をどのように読むかその一つの立場がカトリックやプロテスタントの教義に囚われない「エキュメニカル」的読み方だと思う。聖書を教会・教団や学者の独占から解放し、聖書を万人のものとする、普遍的な読み方(※)があるのではないか。貴重な信仰遺産を創造的に評価し直せば、必ず未来を切り開いてゆく知恵倉となるのが聖書です。教義の根拠として、或いは信仰の座右銘や名言集としてだけではないのです。

その一つの試みに、敢えて挑戦しようとしているのが、この「藪にらみ」と思いますが如何でしょう。怖いもの知らずの素人でなければ出来ない試みをご笑覧あれ。

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※聖書は倉(マタイ13・52)
13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。
※聖書の多義性「ヨシュア記」の排他的国粋主義に対置するものとして、熱烈な愛国者ヨナを戯画化し揶揄した「ヨナ書」があります。また「ヨブ記」は、「申命記」神学を批判している抵抗の文学ともいえます。律法の書と、対極にあるのが知恵文学(ヨブ記や箴言やコヘレトの言葉など)です。この両者を併せ編集している聖書は、驚くべき懐の広さを持っているといえます。

わたしの薮にらみ的読み方聖書の書かれた時代背景、書いたと思われる人の性向、誰を対象にしたのか。書いた目的は?など。

1. こま切れではなく、文脈から読み取ること。物語の中で、文脈の流れの中で解読する。

2. 疑問の時には、原語を辿ればよいのでしょうが、聖書学者でもなければ難しいので、わたし達が出来るのは、幾つかの訳を読み比べることでしょうか。

3. おかしな所程、宝の山。疑問を暖めていると、思わぬときヒントが出てくる。ここが聖書の面白い所。

4. 伝統的解釈を一度否定してみる。神が、イエスがそんなことを言うはずが無い(偽預言者、偽託宣もあり得るのだ)と、疑うと思わぬ発見がある。如何に固定観念(ドグマ)に支配されて解釈してきたかが判る。
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by hanamizukidayo | 2007-07-18 08:15 | 宗教