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反日勢力と日教組①

そもそも、私はなぜエホバの証人になったのだろうか
なぜカルトもどきの宗教に関わってしまったのだろうか、

そんな事をずーっと考えていました。

そうするとやはり、どこかで強く影響を受けたある考え方が
ある筈で、それが自分でも好ましいと思っていたから、
エホバの証人と出合った時にマッチングしてしまったのは
確かだろうと思うんですね。

いつも脳裏にあったのは恐らく自分の中学時代の体験が、
かなりそれ以降の社会への視点になっていたように感じていました。


ネットサーフィンていうのかしら・・我が家では読売しかとってないので、
時間がある時、私はよくネットで他紙を読んだりしますが・・

偶然にもつい最近、私の受けた教育はこれとまったく一緒だった~!と、
びっくりした記事を見つけてしまいました。
(まだ現役時代だった頃、偶然アリス・ミラーの本に出会った時にちょっとだけ
 似たような驚きでした)
 


この記事は、後で整理しようと思いコピーしていたのですが、
自分の言葉でまとめられないのでそのまま掲載させて貰いますw

いじめ問題に焦点が当った記事ですが、私の中学時代は穏やかな
時代でしたし、いじめがなかったとは言い切れませんが今日のような
深刻さはありませんでした。
ここで注目したいのは、以下にあるように、教師のイデオロギーが
教育現場でまさにこの記事にあるのと同じ方法で施された、そういう
教育を2年、3年の2年間に渡って社会科教師だった担任から受けた
という事実です。
毎日、反省会という名目の学級会が1時間以上行われました。

驚きましたね~。でも、1年の時の担任は英語の教師だったせいか
班活動とは言わず、「バーズ学習」という呼びでグループ編成を
しましたが、生徒を、画一的な型にはめるような意図は全く感じませんでした。

タイトルに関連してしばらく関連した記事を続けたいと
思っています☆


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昨年(註、1994年)の七月九日付の読売新聞によれば、「東大阪市市立小学校の教諭が問題児のお腹にはさみを突き付けて、『怠ける子の心には悪魔が宿っている』と脅した。クラスを八班に分けて級友の態度をお互いに監視するように指示をした。毎日○×方式の採点結果をもとにして、『最悪版』」―これはビリ班とかボロ班とか言うんですね。どの班が一番悪いかを決めまして、誰がいるためにこうなったかというんで、つまり責任追及になるわけですね。班を競争させて、いちばん悪い班はどの班か。それは誰がいるためにこうなったのかというわけで、つまり集団いじめが教育目的になっている面がある。

 これは、全国生活指導研究協議会という共産党系の組織がございますけれども、それが「集団主義教育」―これはマルクスの疎外論というものを学校教育に機械的に適用したもので、『学校集団づくり入門』という本がございます。これは最初の第一斑は昭和三十八年に出ておりますけれども、第二版は三十八刷を重ねている大変なベストセラーで、今日も大きな影響を与えております

 この本には次のように書かれております。

 「一見なんの事件もなく、おだやかさのなかにあぐらをかこうとしがちな集団にゆさぶりをかけ、ことさらにごたごたをひきおこす。それを班内のごたごただけでなく、班と班との対立、ぶつかりあいとして導き出すのである。そのために、相手にけちをつけ、いがみあい、やっつけあうといった、いわばえげつない争いの方法を実践的にたいせつにする。
 

 日直からある班が『ボロ班』と評価されたとき、この屈辱的な評価に対してその班の子どもたちは感情的にいらだち、それは班の内部にも向けれられて、『おれはちゃんとやったのに、おまえがだめだから』といったやりあいが起きてくる」 こういうことが今日もなお三十八刷を重ねているベストセラーの中に書かれていて、これは明確にソ連のマカレンコの「集団主義教育」を実践しようしているわけでございます。」

 同書第一版の「まえがき」には、次のように書かれています。

 「教師のりくつぬきの要求を先行条件として子どもたち相互間の矛盾相剋を意図的に激化して集団化への道を否応なしにひらいていく過程が組織的に用意され、徹底的に妥協のない点検と追求のなかで、集団成員の相互責任モラルが求められる

 社会主義が崩壊している中で、大変時代遅れな学校経営が今日なお大きな影響を持っているという事実を指摘しておきたいのであります。文部省は通達を出して、緊急アピールをしましたけれども、教育的な土壌、つまり攻撃的な風土ですね。集団でみんなを追求して行くという、そういう攻撃的な風土を改めて行かない限り、なかなかいじめを根絶することは難しいんではないか。その点がほとんど指摘されないので、私はあえて指摘しておきたいと思うわけでございます。


 福岡県筑前町立三輪中いじめ自殺事件では、自殺した中2男子生徒に対する集団いじめを誘発した者は、「君は偽善者にもなれない偽善者だ」「うそつき」などと男子生徒を罵倒していた担任教諭であった。この教諭は、自らの行為が男子生徒と級友の関係をぎこちなくしたことを自覚していたにもかかわらず、男子生徒に対する集団いじめを止めようとはせず、また学業成績をイチゴの品種に例え「(高価な)あまおう」「出荷できない」などとランク分けして生徒を呼んでいたという。

 岐阜県瑞浪市立瑞浪中いじめ自殺事件では、自殺した中2女子生徒は、バスケットボール部の部活動の中で、シュートを失敗したり、強いパスを受けることができないと他の部員から冷笑され、ミスするごとに「ごめんなさい、ごめんなさい」とチームメートに謝っており、女子生徒の遺書にも部活動で一緒の同学年4人の名前が書かれ「本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これでお荷物が減るからね。もう何もかもがんばる事に疲れました」などと書かれていたという。

 (略)

 いじめ、未履修問題で国の権限強化を検討

 政府・自民党が今国会の最重要法案と位置付ける教育基本法改正案が30日、衆院教育基本法特別委員会で審議入りした。審議の中で、伊吹文明文部科学相は高校必修科目の未履修問題や多発するいじめ事件をめぐる教育委員会の対応が問題化していることに対し、法改正も視野に、教育に関する国の指導監督権限強化を図る考えを示した。具体的には教育長任命の際の認可権を文科相に付与することなどを検討する。

 特別委は、安倍晋三首相らが出席して総括質疑を行った。首相は同改正案について、「志ある国民を育て品格ある国家を作るのが改正の目的だ。公教育を改正しなければ(経済的な)格差が拡大する恐れもある。改革は待ったなしだ」と述べ、今国会で成立を期す考えを強調した。

 一方、伊吹氏はいじめや未履修問題に関連し、「政治からの中立性のため教育委員会は置くべきだとは思うが、文科相の教育長の(任命の)認可権、是正措置を要求する権利がなくなっている。かなりの見直しをしなければいけない」と述べた。地方分権一括法施行に伴い弱まった文科省の指導監督権限の再強化を図り、国が教育現場に責任を持つべきだとの認識を示したものだ。これに関連し、安倍首相は同夜、「教委はチェック機能を果たしていなかった」と指摘した(中略)。


「多重構造」責任あいまい

 学校教育の監督は誰がするのか。国が教育内容を定め、自治体が管理する現行の教育委員会制度は、学校、市町村、都道府県教委、国-とつながる「多重構造」が、責任や学校教育の“品質”管理をあいまいにしている。

 学校の教育内容は文部科学相が告示する学習指導要領で定めるが、指導要領に基づく授業が実際に行われているか、各学校を国が指揮することはできない。国は都道府県教委に助言や援助、指導ができるだけだ。

 都道府県教委の業務を実質的に指揮する教育長(特別職)の選任はかつては知事が任命、国が承認した。だが地方分権の進展で平成11年、国の承認は不要に。国が都道府県教委を監督する権限もなくなった。

 この結果、国の指導を無視する都道府県が相次いでいる。福岡県教委は地方公務員法に違反し、教員の勤務評定を実施していなかった。兵庫県教委は国の再三の指導を無視し、教職員組合の教研集会に有給で参加できる取り扱いを続けた。教員の政治活動が問題になった山梨県教委は教育長自らが違法な政治カンパに加わり、文科省の指導に従わない状態が続いた。

 小中学校はさらに複雑だ。学校管理の責任は市町村教委がもつ。教壇に立つ教員の任免権は都道府県教委で、教育内容は指導要領として国が作る。ところが学校教育の品質管理を見ると、国が各学校を直接指導、是正する権限はない。市町村教委は組織が脆弱(ぜいじゃく)で、学校の状態把握などが十分できていない。 学校教育の質を維持、向上させ、国の指導方針などを現場の学校に浸透させる役割を持つ指導主事を市町村教委に配置しているのは全市町村のうち44%の自治体のみ。福岡県筑前町教委には指導主事がおらず、いじめ自殺を誘発した教員の言動を把握し、注意する担当者すら今年3月までいなかった。北海道滝川市には指導主事が1人いたが、「いじめを訴える遺書があればいじめと考える」とする国の指導を無視して解決を遅らせていた。(産経新聞10月31日)


 中央政府が都道府県教育委員会を監督する権限を喪失した平成11年(1999)以降、日教組の強い地域では、集団いじめを助長するマカレンコの「集団主義教育」を実践する左翼教職員が跳梁跋扈しており、だからこそ、いじめ自殺事件が起きた中学校の校長や教育委員会は、日教組や日教組と連帯している部落解放同盟から糾弾されることを恐れる余り、言を左右にしていじめ自殺の真相と責任の所在を隠蔽しようとするのではないか。

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   余りにも長いので、まともに読んだらくたびれちゃいますよね(笑

   もう少し簡潔に省略したいところですが、私も疲れました、目が^_^;

 

(追加)
   お昼に帰ってきた夫が書類を抱えて、また慌しく出かけたので・・
  少し続きを書いてみたいと思います。

   このページを開いて、「集団主義教育」の内容を読みながら、やはり
  私たちも一種の洗脳教育を受けたんだなぁと改めて思いますね。
  1学年に3クラス程度の小さな中学校でした。
  隣の学区から来た生徒たちと中学では合流しましたが、小学校時代からの
  友達や上・下級生たちとも幼友達同然の仲よしにも囲まれていて、相思相愛の
  男の子もいて、いろいろな活動も含め、私の思い出の中ではとても楽しい時代でした。

   担任だった社会科の先生とは、家が近かった事もあり、
  保育園の園長だった先生の奥さんと、私の母は仲が良くて
  あの頃は校長先生は必ず、また教師の借家も必ずと言っていいほど
  学校の近隣にあった時代です。普通のご近所付き合いが大人の間には
  あったのでしょう。

   先生には、二人の男の子がいましたが、血液型が不適合とかで
  不幸な事に二人とも脳性麻痺を患っていました。
  彫りの深い顔をした先生と、美人奥さまの年子の二人は、幼い時も
  日本人離れした端正な顔立ちだった事を覚えています。

   中学生なりに当時考えていた事は、皆平等・平和な社会・民主主義を
  大切にしなければいけない、万一どんな場合でも(貧乏や病気等・・)社会が
  弱者を守るために皆で助け合うことや、互いの人間としての尊厳は
  尊重されねばならない・・そういう大切な事を教えてもらっているのだと
  受け止めていました。先生が理想とする社会に共感しました。先生自身、
  本気で願ってたから教えたんだろう、今でも思います。先生には嫌な思い出
  ありません。そういえば、岩○○という苗字だったので、みんなガンちゃんて
  あだ名で呼んでました(*^_^*)

   でも、長い間心に引っかったまま、時々思い出す級友がいます。
  1年の時初めて同じクラスになった男の子です。

   怒りっぽい性格だったけど、ふざけたり面白い性格の、そのくせ
  本当はとても真面目な性格の男の子で、仲良かったのに、
  2,3年になったらとても声をかけにくい雰囲気に変っていきました。
  気難しい顔をして、いつもクラスの皆をチェックしたり、肩を怒らせた
  ように腰掛けている授業中の背中を、今でも思い出す事があります。

   給食の時間は必ず机を8個並べあって一緒に食べ、勉強も掃除も
  とにかく何でも班ごとだったような覚えがありますが、だんだん皆が
  互いを監視し合って減点を付け合うようになってから、何をするにも
  黙って黙々と、本当に一言も口をきいてはならない規則に縛られて
  互いに緊張しあっていました。

  私は笑い上戸な性格だったので、真面目にやらなければならないところで
  噴出したりして、そういうことでよく減点の対象になって、給食の時間に
  友達とおしゃべりしたとかごくつまらない事でボロ班になったと責められたり
  次の班を決める時にどこにも入れて貰えない羽目になった事がありましたが、
  あまりその事がネガティブな思い出にならなかったのは、そういうことよりも
  楽しい思い出のほうがたくさんあったからではないかなと思います。

   現代社会でこの教育が行われたら、想像するだけでも怖いものを
  感じます。と、同時に、この時代に受けた教育はとても良いものだったと
  肯定したまま、次の世代に引き継がれてそのまま伝統のような形式にようなもの
  が出来上がってしまったのであれば、覆す側=真実に気がついた人達の努力は、
  これが正しいと信じるが故(?)の 並々ならぬ抵抗を受けるのも無理はない。
 
  長年の教育の結果であるならましてや・・です。

   
  
  
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by hanamizukidayo | 2007-07-18 10:04 | 政治・社会