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8月 ・・ 今年もまた


 今年もまたヒロシマ・ナガサキの原爆の日、続く終戦記念日を迎える。テレビや新聞を見るたびに、毎年この時期は特別な思いに浸される。

私が初めて、ナガサキの原爆記念館で被爆の写真や平和の像を見たのは中学時代だった。初めての異国情緒豊かなナガサキの町は美しかったことが、逆に深い哀しみを誘った。

想像を絶する悲惨な破壊の模様、衝撃的だった。まさに地獄絵・・。
その帰り道、大浦天主堂に寄った。生まれて初めて平和のために心の中で祈った。お土産やさんで買って貰ったマリア像とロザリオは宝物のように大切に持っていた。


 こどもの頃から戦争が怖かった。冷戦が続きゼロ戦や特攻隊の少年漫画の世界には現実味を覚えいつか戦争がまた始まるのではないかと不安だった。母や叔母は戦時中の苦労話をよく話てくれた。エホバの証人と研究することになって、聖書に地は永久に立つ(核によって滅びることはない)永遠に戦争がなくなると約束されている聖句を教えて貰った時、聖書を信じてみたいと思った。

 子供達にも核戦争は絶対に許してはならない事を知って欲しいと、次男が小学校高学年になった夏休み、ヒロシマの原爆ドームに連れて行った。いつか原爆記念の式に出席してみたいと姉妹達に話して、変った人だと笑われた。九条という世界に誇る平和憲法を持っているのに、なぜ改憲しなければいけないのか・・改憲=戦争突入という子供の頃のイメージに囚われ、テレビなどで見聞きする改憲の話題は聞くのも嫌だった。


 今は考えが大きく変ったけれど、平和を勝ち取る手段(そうだ、平和は自動的に受身で願えばかなうという仕方で得られるものではない)が変化しただけであって、戦争のない世界を心から願う気持ちには変わりがないと思っている。



ヒロシマ 原爆の罪と核抑止力のジレンマ(8月6日付・読売社説)


 広島はきょう6日、長崎は9日に被爆の日を迎える。

 両市は毎年、この日に平和式典を開き、被爆体験の継承と、人道に反する核の廃絶を訴えてきた。しかし、世界はいまだに核の恐怖の下にある。
 昨年10月、核実験を強行した北朝鮮は、日本にとって最大の脅威だ。核廃棄を迫る6か国協議でも、それを実行させる道筋は不透明なままだ。イランの核開発についても疑惑が増している。
 今年6月30日、久間防衛相(当時)が、原爆投下は「しょうがない」と発言した。原爆投下を正当化するもの、との批判が渦巻いたが、感情的次元の反発が中心で、複雑な“核状況”をめぐる論議にはならなかった。
 20万人以上の無辜(むこ)の民の命を奪った広島、長崎への原爆投下は、日本として決して容認することはできない。
 だが、米国内には、原爆投下を肯定する意見が根強くある。原爆の投下が、戦争終結を促し、日本本土侵攻作戦を回避した結果、多数の米軍兵士の命を救ったというのである。
 しかし、米国は、日本の継戦能力の喪失を認識していながら、事前警告もせずに残虐な核兵器を使用した。 原爆投下には、ソ連の参戦を阻止する狙いがあり、米国内にそれを裏付ける証言も残されている。

 民主党の小沢代表は、参院選公示前の党首討論で、原爆投下について、米国に謝罪を求めるよう安倍首相に迫った。首相は、北朝鮮の核の脅威に対抗するためには、「核の抑止力を必要としている現実もある」と答えた。

 原爆投下は肯定できない。他方、日本は、国の安全保障を米国の核抑止力に頼らざるをえない。これは、戦後日本が背負い続けている“ジレンマ”である。

 日本の反核運動は、1965年、共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)と、旧社会党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)とに分裂した。社会主義国の核は防御的とする共産党と、いかなる国の核にも反対と主張する社会党との対立が主因だった。
 米ソ核対決の時代から、北朝鮮の核の脅威に直面している現在も、「核廃絶」を唱えるだけで、こうした日本の“ジレンマ”に向き合わずにいる。
広島市の秋葉忠利市長が6日に行う平和宣言では「米国の時代遅れで誤った政策にはノー」としながら、北朝鮮の核については直接、言及がないという。
 「核廃絶」の訴えを空回りさせないためには、どうしたらいいのか。難しい課題である。

(2007年8月6日1時31分 読売新聞)

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by hanamizukidayo | 2007-08-06 13:31