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冷戦教育・・

 冷戦背景の「曲折」検証の時と題し、教育ジャーナリスト勝方信一氏の
8月4日付読売新聞「教育言論」の記事が目に止まった。


 私が集団主義教育の洗礼を受けたのは1965年から1968年に当る。
唐突だが、エホバの証人と家庭聖書研究を始めたのが1983年で
パプテスマを受けたのは1985年だった。献身すべきかどうかためらっていた
頃、70年代のものみの塔に載っていた元共産党員の男性の経験を読んだ。

こういう価値感に生きてきた人でも"真理"だと確信して献身したのだ・・
地上の楽園・神による支配は信じるに値する現実的な希望なのかも知れない。

活字好きな私のために司会者は古い雑誌をたくさん回してくれていた。
この経験談を何度も共感しながら読んで決意が固まり、
「忠誠を誓う人々」地域大会で献身した。


 話が逸れてしまったが、要するに10代の初めに滝山コニューンのような
集団主義教育を受けた事で、「JW教理」を受け入れ「組織」に従順という
規範を守る下地が自分の中に出来上がっていたのではないかと思う。
  また「楽園」という理想社会への期待も・・

              *******

 夏は記憶を振り返らせる。
原爆忌、終戦記念日と、居住まいを正すべき日が続くからだろう。
思いは終戦教育の変還にも及ぶ。一冊の本に出会った。
  
  「滝山コミユーン 一九七四」

 東京郊外の団地で育った著者が、小学校での体験を
6年生だった1974年を中心に振り返っている。
ある若い教師が赴任してくるところから「物語」は始まる。
教師は学級の密度を高め、「民主的集団」を作ることを
目指す。その手段として、学級の役割分担で役につけない
班を意図的に作って「ボロ班」とし、班の競争を促す。
リーダーに育てた子供を児童会に送り、集団作りを全校
に広げていく。
 (略)
 一読して感じるのは、民主的装いを凝らした実践が
個人を集団に巻き込むことの恐ろしさだ。集団に
同調できない子供の孤独と不安の深さだ。
 若い教師の取り組みは、日教組・自主教研から
誕生した民間教育研究団体の提唱だった。
旧ソ連の集団主義教育の影響を受けていた。
冷戦期という時代背景を反映していた。
 今、冷戦期の教育活動への批判が注目を集めている。
国家斉唱拒否教員への処分に反対する憲法学者が、
かつて国旗・国家否定の教育に走った教師を
「特定の評価を子供に押し付けた」と批判している。
「思想・信条の自由」尊重の立場からの発言だ。
    否定と自由とは違う。
 現在の教育学を「冷戦期に背負い込んでしまった
学問的負債の清算に苦しんでいる」とする学者もいる。
革命的な運動と連携して研究を進めた結果、理論的な
足場を失ったとする指摘だ。
 戦後教育に対するようやくの検証作業である。
教師のイデオロギー的な教育活動が、行政側の
厳しい対応を呼んだ面もある。

長く続いた教育論議の錯綜に終止符を打つには
検証を誠実に、実証的に行うしかあるまい。
  (略)

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by hanamizukidayo | 2007-08-08 17:35 | 政治・社会