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   【正論】作家・三浦朱門 庶民大学時代にどう対応するか

 ■あえて進学しない若者育てる態勢を

 ≪勤労中心の“兼業学生”も≫
 かつて大学は家庭環境か資質、あるいはその両方の面からするエリートの養成機関であった。戦前、正規の大学生は同一年齢者中の数%を占めるにすぎなかった。それが今では50%近い。
 まして少子化の昨今は、大学の収容人数は全大学入学志望者を収めて、なお余りある状況になった。つまり大学に入ろうとする者は、希望する大学を選ばなければ、どこかには入れる、という時代になっている。
 また学生の生活環境も変わってきた。昔は自分で収入をえながら学校に通う者を、苦学生といった。しかし今では多くの大学生が退屈だ、いくらか小遣いを稼ぎたい、といった理由で働く。週刊誌に、夜の世界で働く女性の写真が学生証と共に公表されることがある。こうなると、大学生の身分が営業面で有利だから、大学に籍を置いているのかもしれない。
 兼業農家を、農業を第1の収入源とする世帯と、農業以外の仕事を主たる収入源とする農家に分けるが、アルバイト学生の中にも、学業が中心か、勤労が中心かを分別する必要性が生ずるかもしれない。
 一方、多くの私立大学は21世紀中に廃校ということにならないよう、さまざまな手段を講じている。主眼点は学生の確保で、学費は20年ローンで、といった大学も普通になるかもしれない。いずれにしても、だれでも大学に進学することが可能な時代になってきていることは事実だろう。

 ≪学力不足と努力・意欲≫
 すると、お定まりの学力低下という不安が生ずる。最近、アメリカで経済を専攻する大学院生が、数学力の不足で退学になった、という例を挙げて、受験科目だけを勉強する今の高校の受験体制を批判する新聞記事を読んだ。しかし数学の素養がなくて、経済学を勉強しようとするのがおかしい。空理空論で現実を強引に割り切ろうとしたマルクス経済学ならともかく、今時、経済学は統計学を含めた数学抜きではどうにもならないであろうことは、素人の私にも分かる。
 また、この学生は何故、数学の学力不足を感じたら勉強しなかったのであろうか。作家の阿川弘之は旧制高校に飛び級して入学したペーパーテスト秀才であった。数学の点が悪く、総合点数では入学可能な点を取っていたが、飛び級だし、あえて今年に入れなくとも、という意見が合否判定会議に出たという。
 その阿川が大学卒業後、海軍の暗号解読班に入れられ、他の士官と共同で中国の暗号を解き、米海軍の暗号解読に挑戦していた。
 後日、彼は米国に留学したが、ラスベガスの賭博で大敗した。彼はロサンゼルスの下宿に帰ると、タイプライターの数字のキーだけを使って、順列、組み合わせ、確率の理論を自力でしかも一晩でマスターして、今度はラスベガスでの復讐(ふくしゅう)戦に大勝した。これには戦時中の暗号解読の際の経験も、助けになったであろう。
 もし彼が経済学者になろうとしたら、数学の素養がないと自覚した段階で、たちまち経済学に必要な数学などマスターしうる。だから数学力不足で大学院を辞めさせられた学生は、意欲がなかったか、能力がなかったかであって、日本の教育制度の責任にすることはない。

 ≪二極分化と救済の道≫
 ただ確かなのは、意欲も能力もない若者が大量に大学に流れ込んでくるであろうということである。ここにおいて大学は二極に分化するであろう。つまりよい研究者、教育者を集めて、学問、研究をめざす学生を教育する大学と、若者に社会人となる準備訓練を提供する大学とに、分かれることが予想される。
 それぞれに社会的使命を持っていると思われるが、もう一つの道を改めて考えねばなるまい。つまり大学には行かないコースである。
 芸能の世界には昔から子供の時からの訓練が重要であるとされてきた。この分野は音楽、舞踊をはじめ幼児からの早教育が必要であることは、歴史的に証明されている。
 大学や高校に行かない者の中には、ニートなどとも呼ばれる、働く意欲のない者も含まれるが、中には積極的に若い時から職業的技能を身につけようとして、あえて進学の道を選ばずに、徒弟的訓練の道を選ぶ者も出てこよう。
 ここでも二極の分化が見られようが、非進学組が専門的能力をマスターする過程で、学校の知育を必要としたなら、高校、大学は正規の入学、卒業とは無関係に、その希望をかなえてあげて欲しい、と私は願っている。
                     (2007/08/18 05:17)



三浦朱門氏の著書は読みたいと思いながらなかなか機会がなかったが、
数ヶ月前、書店に「歴史教科書を検証する」という本が並んでいたので買った。
各教科書出版会社の内容、その傾向や会社ごとの相違、日本の歴史が学校で
どの様に扱われ教えられているのかその実態に驚いてしまった。

曽野さんの著作から伺える朱門氏の人柄は飾り気がなく好感が持てるし、
また昔よく読んだ遠藤周作氏の狐狸庵系にも笑えるエピソードがいっぱい
あった。


上の記事を読んだ瞬間思わず、反感を覚える人も多いのではと案じてしまったが、
実際それについてのプログの中には、
「この方は『大学は昔のように一部のエリートのもの、下々の者は分をわきまえ職人か
何かになれば良いのであり、無駄に学問など励まずとも良い』とのたまっておられる」
というものもあった。

「機会不平等」を書いた某ジャーナリスト氏はあらゆる本や場で、朱門氏が
語ったという「ゆとり教育の目的は、『実はエリート教育にあり・・限りなくできない非才、
無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです』」と、述べているが
そのように話の一部だけを切り取られた人物像が流れ、朱門氏の実像や真意は
捻じ曲がり誤って世の中の多勢に受け止められてしまうのではないだろうか。

この記事の主題に沿って読めば、庶民大学時代になった近年、
それでも個々の選択の結果、あえて進学しない若者を育てる態勢(身構え)を
社会と教育関係に提案し、又一部の学生に対しては学ぶ意欲と自己の努力
というごく自然な学ぶ姿勢への自覚を促す教訓的な内容であると私は思う。
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by hanamizukidayo | 2007-08-19 17:33 | 政治・社会