cantata777.exblog.jp
ブログトップ

私たちの存在・生きること・希望 など

 
伝道の書を読みながら考えていたのですが、
今の心境に合った聖書解釈を読んだので、
引用を含めて記したいと思います。

人生の流れの中で変わって行くもの、変らないもの
それぞれですし、私自身も外見に留まらず、考えも
それに伴う価値感も変りましたし、そうではない部分もあります。
 自分の人生なのだから、それでいいと思いつつ・・


 ☆ 伝道の書 9章4-10節
9:4 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。

9:5 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。

9:6 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。

9:7 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。
9:8 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。

9:9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。

9:10 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。

*1
すべての人間の生活は主の御手にある・人間は必ず死ぬ・人間は腐敗したのであります。しかし、否定的な人生で聖書は終わるのでありません。ここで、生きる喜びについて考えたいと思います。

1.生きる感動
9:4 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。

生きるというのは、「希望」であります。生きている限りは希望があるが、死んでしまえばすべてはおわりであります。『生ける犬は、死せるししにまさるからである』という言葉はアラブのことわざであります。
イスラエルでは犬をいい動物として考えておりません。犬を大切に考えてません。しかし、聖書では 生ける犬は死なせるししにまさると言われています。
ここでの意味は生きるというのは感激であり、喜びを現しています。
大変な生活の中でも、希望と喜びと感動が伴います。

 生きる喜びを神様が我々に与えたのであります。


生きていることは一番美しいことであります。生きている花・生きている木・生きている動物・生きている人間。生きているのは、我々に感動を与えるのであります。
〈犬〉は軽蔑された存在であり(参照Ⅰサム17:43),愚かな存在と考えられていた(箴26:11).〈獅子〉は百獣の王として称賛されていた(箴30:30).5節死んだ者は意識がないので何も知ることが出来ないから,生きている者よりも劣っている.6節死んでしまえば〈愛〉や〈憎しみ〉のような感情も消えうせ,生きている者の世界とは何のかかわりもなくなってしまう。


わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。
(ヨハネ6:40)


*2
神がこの世界を創造されたのは、他に何か目的があるのではなく、その創造自体が目的だと考えられる。(創世記 第1章1節)

 神はまた、慰めや楽しみをも必要としない充足したお方だから、この世界は、神の楽しみのために創造されたのでもなく、万物を創造することは、むしろ神の御性質の一部でさえあったと考えられる。それが自然だったのだ。(創世記 第2章2節)

 かくして、この世界や私たちは、神の御性質に従い、必然的に創造されたのであり、「何のために」との理由などないと思われる。むしろ、この世界や私たちが創造されず、存在しないという可能性は無いと言える。つまり、神がおられる限り、万物も私たちも存在するしかないのだ。

 この時間の中で、エントロピーの法則により、無秩序に向かっている世界においては、手段や戦略が重要となるが、神にはそれが必要ない。永遠の世界には、手段も戦略もない。(伝道の書第9章10節)


 私たちが「何のために」と問うのは、この有限な世界にいるからなのだろうが、真理を知るためには、永遠の世界の思いを持つ必要がある。神がそれを与えてくださる。
[PR]
by hanamizukidayo | 2007-09-05 09:34 | 宗教