人事ではありませんが、心の問題、増加社会ですね。本日気になったニュース2件。
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★道徳教科化見送り、心の問題「なじまず」…中教審方針★
今年度内の改定が予定される学習指導要領で、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は、小中学校の「道徳」の教科化を見送る方針を固めた。
「道徳」は現在、正式な教科ではないため、政府の教育再生会議が今年6月の第2次報告で教科への格上げを提言していたが、
中教審は「道徳は子供の心にかかわるもので、教科書を使って教え込むものではない」と判断した。
現行の学習指導要領では、小中学校がそれぞれ週1コマ程度の「道徳」の時間を設け、文部科学省が配布している副教材「心のノート」や民間の教材会社などが作成した副読本やビデオを使って、「思いやりの心を持つ」「生命を大切にする」といった内容が教えられている。ただ、正式な教科ではないため、教科書はなく、5段階評価などの数値評価も行われていない。
しかし、日本人の規範意識の低下が指摘され、「学校現場で道徳観や倫理観をもっと教える必要がある」といった声が高まったことを受け、教育再生会議が第2次報告で、「道徳」を「徳育」として教科にするよう提言。多様な教科書を使うことも提案した。
一方、正式な教科にするには、〈1〉児童・生徒を
数値で評価する〈2〉検定教科書を使用する〈3〉中学校以上は各教科専門の教員免許を設ける――ことが条件。このうち、数値評価や「道徳」専門の教員免許については、当初から「道徳教育になじまない」などの異論が根強かった。また、中教審内でも「心の中の問題を扱う
教科書を検定することには無理がある」などの慎重な意見もあった。
このため、中教審では、改定する指導要領では「道徳教育の充実」を掲げながらも、「道徳」を教科に格上げしない方針を固めた。この方針は、文科省が改定する学習指導要領に反映される予定だ。
(2007年9月19日3時1分 読売新聞)
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安倍内閣の教育再生会議では、道徳を「徳育」として教科化することを提言していましたが、突然の首相の辞任によって、教育再生会議の影響力が薄れてしまったという事でしょうか。
心の中の問題を扱うと言えば難しく聞こえますが、心のありかたを年齢や個性に添って扱うことは大切だと思うんですがね。
家庭教育が基本とは言え、「学校」という学びの場はその全体を通して、社会生活の基本や、対人関係等の健全な処世術を体得する得がたい環境だと思います。
道徳の教科化は、教師の側の多様な価値感・思想・信条も反映されるので、一概に賛成とも反対とも言い難い課題はあります。
しかし、モラルの低下には、何らかの手を打ち出さなければならないのが現状ではないでしょうか。それも単なる上からの押し付けではなく、自らが美意識を内面で育み、真の自尊心を
養うような教育がなされたら、立場や意見の違いは異なっても共存できるし、人にも優しくなれるのではないだろうか・・
★数値で評価できないという問題点
数値で評価できない教科があったっていいじゃないか、とは思いますが・・
そうだとしても、評価できないという理由付けについて。
本当にそうでしょうか。必ずしも数値を付けられない教科だとは思いません。
例えば、事例問題を作り、ある場面設定をして、あなたがもし当事者なら
どのように行動、あるいは対応をしますか?とか逆の立場ならどう思うか
マークシートで5者選択する等。
読解力の個人差が出るかもしれませんが、
耳で聞く、視覚で判断という方法もあるかも知れません。
教習所試験だって、常識やマナーが含まれています。
車を運転したかったら、学科も真剣に勉強するはずではありませんか。
数値で評価できないから、あるいはされないから、
道徳なんてと、教える側もいい加減に考えがちではないだろうか。
やろうと思えば、何らかの方法はなくないと思います。
徳育・・いい言葉だと思います。
ついでに、教科書選定の問題ですが、
キリスト教圏でなくても、聖書の山上の垂訓など活用したらいいし、
世界最初の理念憲法と言われる聖徳太子の
「17条憲法」 などどうでしょう?