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信仰について

不幸にも日本人は太平洋戦争の原因を宗教にかぶせてしまったため、戦後の人々は、宗教について学ぶ事もできず、誤解と偏見を持ったり敬遠してしまったりしています。
  そういった意味では、世界一不幸な国民なのです。
                   吉村作治    
     

                             
文芸春秋「日本人の宗教観」にあった一文です。
考古学者として有名な方ですが、古代エジプト文化を勉強している
うちにこういう思いに至ったとの事です。以下、もう少し引用させて頂きます。


「もともと古代の宗教はすべての自然を尊び、自分達人間が健やかに生きていくのに、自然の力を借りようとしているところから始まっています。
そして、死んだ後も何か残る術はないものかというわけで、この世とあの世を創造したのです。
     (略)
宗教に対し、国だとか教育が関知できないことをいい事に、宗教とは全く異質の悪徳商法や悪行に加担させる者が後を絶たないのです。

宗教という言葉が、社会としてタブー化されることによる不幸は悲しいものがあります。なんとかしないと大変な事になると思います。

21世紀には宗教を超えるような思想が出るだろうと予測する哲学者がいますが、私はコミニズムも神の存在を否定し、人間の理想を尊ぶという点では宗教の一種だと思っていますので、たとえ時代が変ろうとも、宗教を超えるものは出てこないだろうと考える一人です。というより、既存の宗教だけが宗教で、後のものは違う物だと考えている者だと言ったほうが正確かも知れません。

この世に宗教がなければ一体何を目安に人生を送ればいいのでしょう。
     (略)

 昨今学力有無の論争が盛んですが、学力以前に人間力を付けなければならないのです。他人の痛みが分かる人間に育てることこそが、真の宗教教育ではないでしょうか。」



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エホバの証人という組織宗教の苦い経験故に、
宗教そのものに幻滅を覚えたと考えるように
なった人々もいらっしゃいますが、
私はやはり神という存在を信じたいと
考えている一人です。



私は、自分がなぜJWのような宗教を受け入れてしまったのか、罪悪感を覚えながら考えてきましたが、個人の土壌・背景の要素が良くも悪くも作用している。そのために、自分の「神を信じたい」という素朴な感情さえ時として、難しく考え込んでしまう事に気が付きました。

しかし、仏教的な言い方かも知れませんが「ご縁」があって、インターネット教会元エホバの証人二世さんの「聖書の言葉教会」で交流するようになり、再びイエス様の「いつの日もあなた方と共にいる」この語りかけに心を傾けつつこの社会で人々と共存しあい自分の生を、自由に幸福に生きる事が可能なのだと結論しました。

既存の伝統的な宗教教育への見直しも含め、吉村氏の仰るように個人として社会として、宗教教育が健全な形で行われるようになればいいだろうとは思います。現実は・・果てしなく難しいことでしょうけれど。他の人のいろいろな価値感や生き方を肯定しつつも、使い古された言葉かも知れませんが、"自分らしく生きる"事=自分の宗教的価値感を美学としたい。私のような者でも神に愛されているという確信を、エホバの証人を辞めてやっと抱けるに至ったのですから。
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by hanamizukidayo | 2007-09-24 21:56 | 宗教