人気ブログランキング | 話題のタグを見る

cantata777.exblog.jp
ブログトップ

最近のこと

秋の夜長、読書にふける事もなく・・
ただただ・・あっと言う間に過ぎてしまう日々の速さに
圧倒されながら、本日の締めにとPCに向かっています^^;

ブログを始めてから、半年近くなりますが、まだまだ
まとめるのが上手く出来なくて、日々の出来事に
言及できないまま時間だけが過ぎてしまいます。
軽い話なら「別に書くほどのものではないでしょ」って感じですし。
それとよそでのコメント、つい反応的に書いてしまう自分に反省です。

ブログはまだ慣れないために、私の書くペース、かなり遅いんだと思います。
これを書こうと思っているうちに、別の出来事に気を取られたりして、しばらく
考えているうちに、もはや賞味期限切れのような感じになってしまい、
まぁ、いいかって事になってしまうんですよね。

でも、このことだけは早めに書いておかなくっちゃと
思っている事は、一つ二つあります。


その一つは、一昨日のことなんですが、実に3年ぶりに

JWの現役長老と、ある現役姉妹と私の3人で

 5時間も 食事がてら一緒に、おしゃべりをしたのです。

さすがに昨日は、その疲れで頭がぼーっとしてましたw


JWを辞めると決意して、何回か引越しして現在に至っていますが、
この状態のことをJw用語では「自然消滅」と言いますよね。
今済んでいる所に越してきて、ちょうど3年目なので、
私は自然消滅3年生です。ここに来てから完全に集会出席、
現役Jwとの、交流は一部例外を除いて絶つことが出来ています。
(一部例外は、病気等でほとんど集会に行けないようになっている数人で、
どうしても断ち切れなかったので、たまに会ったり電話で話したりしてます。

そういう時は個別です。それぞれ皆、組織への考え方が違うし、
深い部分で、気が付いていないのかそれとも感情が鈍磨しているのか
率直な話をすれば傷つけてしまうような気がするので、黙って相手の
話だけ聞く事もあれば、組織に幻滅しているのに、「唯一まことの組織」
と言って譲らない人にはかなりの反論をして、お互い言いたいだけ言い合う
関係もあります)


長老を交えて会うことになった細かいいきさつはさて置いて、自然消滅
とはいえ伝道者の籍は残っている筈だし、私の伝道者カードの行き先は?
と、常に頭の隅で気になっていました。
私は一体どこの会衆の成員ということになっているのだろう。
そこらあたりも確かめなくては、という気持ちもありました。
と言うのは、引越しして間もなく、市内全体の会衆が編成変え
があったと噂に聞いていましたので、自分がどこに所属
しているのか皆目分かりませんでした。

もっとも、分からなくても別にどうって事はありませんでしたけど。
また知ったからと言って今直ぐどうこうではないのですが・・
(何年も集会に行っていないのに、群れの編成の度に掲示板に
名前が載るという気持ち悪い話も聞いた事がありますが、
どうなんでしょう。その会衆の場合は、離れているある姉妹から長老に
「まだ成員なのに、群れに入れてくれないのは不公平だ」と抗議の
電話があったそうで、何年も行っていない人だろうとすべての名前が
張り出されるようになったと聞きました。本当にそんな電話があったのかと
私は疑ってしまいましたが)



さて、話は逸れがちですが5時間も話せるくらいですから、今でも個人的には
好感の持てる二世長老兄弟と一世姉妹(どちらも30代後半~40代)でした。
その兄弟も前からそうでしたが、イエスの話になると熱が入る
タイプで、一昨日も兄弟と私はもっぱら新約聖書のイエス様の
エピソードを語り合いました。
それを聞いていた姉妹が、「普段、イエスのことはわたしたちの
話題にならない。どうしてかしら?」と言った言葉が印象的でした。

長老兄弟も「そうなんです。一番信仰のお手本にしなければ
ならないイエスの事をこんなに話せる人は、もう会衆には
ほとんどいなくて残念です」と言われたので、私は思わず「ええっ、
そうなんですか!?」と聞き返してしまいました。
姉妹は、エホバ神を崇拝してるのだから別に不思議ではないという感じで
「エホバのほうが格が上だから~」みたいなことを言ったので、さらにびっくり。

あれ?私の現役時代もそんな感覚だったんだろうか。今の私が
証人たちとは違う価値感を持っているとしても、少なくとも私は
エホバ神よりもイエス様の方を見ていたなと思います。
どちらが良いとか悪いではなくて、私の場合エホバ=創造者でした。

※だからキリスト教の創始者は人間イエスだと思っています。
その方を自分の生き方の拠り所・美学のような気持ちで信仰して
いるので、「私の主」イエスさまと私は今そう捉えているのですが・・



エホバを知って、イエスにいったという現役姉妹と、
イエスからエホバに入っていったタイプの長老兄弟と私。

イエスの話をする時が一番楽しいという兄弟と話し込んだので、
会衆がどうしたこうした、他の人達のうわさ話のようなものは
耳にすることもなく、結果的にはさわやかではありましたが、

組織の人達の閉塞感、疲労感はしっかりと伝わってきました。

「長老は『監督職』ではないのです。羊を養うために働く者だ。
そのためにはイエスがどのように人々に接しておられたか
いつもいつも、思い巡らさなければ・・」

熱意を込めて話される兄弟の顔に、3年前と少しも
変らない純粋さを見た気がします。

もう少しこの兄弟や、その姉妹に早く出会っていたら
もしかすると、もしかして 私もエホバの証人を辞めなかった
かも知れません。

引っ越ししてホンの一時交流しただけの長老と、姉妹なのに
何となく絆を感じるのです。
3年ぶりに会って、私の信仰感はこんなにも大きく
変ってしまったというのに。

宗教ではない、人柄なんだなぁという言葉しかないような気持ちです。


追記
牧羊が一番大切と言っても、現実世俗の仕事や家族の世話、
個人研究や集会の準備、様々な取り決めの手配等・・長老は
真剣に真面目に取り組むほど、身体は幾つあっても足りないほど
忙しいはず。また会衆の成員の抱える問題も高齢化や経済的な問題
病気の蔓延(癌やメンタル系の病気を抱えた人がたくさんいます)等
山積みです。

そう考えると、長老や仲間は何もしてくれないという成員の不満の声を
聞くにつけ、長老制は一般の教会のように教えることや牧羊に、もっと
専念できるよう、職務手当てで生活できるようになるといいのにと思う
事もあります。
特別かも知れませんが、とにかく食事の支度や集会・奉仕への参加が
身体が弱いので出来ない、会衆の仲間は無関心で何もしてくれないと、
私にいつも不満の電話をかけてくる姉妹がいます。
今年も、地域大会の会場まで送迎して貰えないか打診の電話が
ありました。離れれて3年、しかもずっと前の会衆の姉妹です。
組織にも相変わらずの愛のなさ、口先だけの立派な行状の吹聴
怒りがこみ上げますが、あまりにも「人」や「宗教」に日々の生活の
面倒まで見れという成員もどこかおかしいのではないかと思います。
それだったら、ご利益宗教と変らないじゃんみたいな。

世の中の人は、自分で働いて自分の生活を営んでその上で
信仰の部分は心の問題だから、分相応にお参りしたりあるいは
教会活動をやっているんじゃないかなーと思います。

「私の方を見てみて、こんなに大変なんだから力を貸して」と要求
するのは私は嫌ですね。少なくとも、車の都合がつかないのなら
タクシーでワンメーターくらいなんだから大会に行きたいなら
タクシーを使います。毎週の集会も、他人のお世話になるのは
気持的に負担です。車で行けなければタクシーの方がずっと気楽。
また、食事の支度が出来ないくらい体が辛かったら、すぐ傍にあるスーパー
やお惣菜店・お弁当やさんで間に合わせます。外食だって安くて
美味しいお店は幾らでも歩いて数分のところにあるのです。

お金がないならまだしも、本人は下界を見下ろすような豪華高層
マンションの住人なんですから。本当は無関心さに傷ついて愚痴を
言ってしまうのだろうと、気の毒な気もしないわけではありませんが、
「言葉と行い」に現れる「実」を見て、そろそろ見切りを付けるかそれでも
やるなら、自分が信じたい以上は「組織や人」は絶対変らないと思うから
いつまでも、見えるものに期待しても仕方ないと思うのです。


とは言っても、信仰心には純粋な部分もあって、何とか幻想の楽園物語から
目が覚めてくれないかなという思いで、時々話し相手はしてますが。


追記の追記(コメント欄への返信を兼ねて)
この記事の「追記」の姉妹は、まるでこちらが知識を持ち合わせていないかのようにいつも聖句を引き合いにして組織を擁護したり、反面「愛の無さ」を嘆いたりする方なんです。だから私としては、あんまり同情はできないんです。「そんなに大変だったら、行くのやめれば?」とか
幾ら言ってもダメなの。優しいご家族に恵まれて自分がどれだけ支えられているかという事も、よくわかっちゃいないみたいだし。

いつも悲しそうな顔つき・声の調子、なのに「私は霊的には強い。他の人はエホバの愛が分かっていない」という調子で話す人なの。
だから単に、身体が弱い方なのだから気遣って優しく接していこうという気持ちにはなりにくい相手なんです。だけど放って置けないような・・こういう方が本当は一番の犠牲者なのかなぁと思う事さえあったりして。表現が難しいところですが、どこかに健全な考えが残っていたら、教理・あるいは組織のおかしさが分かるはずなのに、どうしても組織が間違っているとは思えないみたいなんですね。

私や似た様な経験をされた人達って、身体や精神がおかしくなったけど、何とかもがいて脱出できたという事は、幸運だったのかもしれませんし「健全」な感覚が残っていた証だったのでは・・と思います。お互いにまだ引きずるものに苦しくなる時があるかもしれませんが、一緒に乗り越える友が私たちの側にはいまやたくさんいるので勇気百倍ですよね♪

by hanamizukidayo | 2007-10-04 23:29 | 宗教