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あなたがたは友です

わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。

もはや、わたしはあなた方を僕とは呼ばない。

わたしはあなた方を友と呼ぶ。
                      ヨハネ 15:12、15



エホバの証人の基本的な教理の一つに、
「聖書には天に行く人と、住み慣れた地上で永遠に生きる二種類の
希望があります。油注がれたクリスチャンである14万4000人は
霊者として天に復活して、大群衆は地上で永遠に生きるのです」
というおなじみの教えがあります。

わたしの研究司会者は、大変真面目な性格の人で
75年以前にバプテスマを受けた筋金入りのバリバリ
開拓者でした。個人的な会話は好まないタイプで、
私的な無駄話をせずどんどん研究を進めてくれたので、
家庭聖書研究の時間は充実して楽しいものでした。
とても上手な教え手で、わたしは司会者が大好きでした。

今頃どうしておられるかなぁ・・と時々思い出します。
子供達が離れたり、家庭内でいろいろ問題があったようですが、
集会ではいつも明るい顔をして、信者だったお母さん姉妹が
亡くなった時も、涙一つ見せずに「楽園が楽しみだわ♪」と
ニコニコ振舞うような姉妹でした。わたしがバプテスマを
受けて間もなく、同じ県内の他会衆に引っ越しされましたが、
兄弟が離れたとか子供達が登校拒否や家庭内暴力をしている
という暗い噂が風の噂に聞こえてきて、何となく電話もしづらい
雰囲気のまま疎遠になり、今日に至っています。

あの頃は会ったり電話をしたりすれば、彼女のプライドを傷つけるの
ではないか?と、今思えば余計な気回しをし過ぎたかもしれません。
一度だけ、ストレス性の大腸炎で入院しているという話を
聞いて、親しかった姉妹とお見舞いに行ったことがあります。
本当に、今どうしているのだろう・・確かめる手段が思い浮かばない
のが寂しいですね。でも、古い姉妹達と一切の連絡を絶ったのは
こちらの方なので、仕方ありません。

姉妹に教わったことで強烈に残っているのは、

「そもそも聖書は、天に行く人達のために書かれたんですよ」と
言う言葉。(じゃあわたしなんかが研究してもしかたないですね、とは
言えなかったw) もったいない、ありがたやです。

「パウロとバルナバの争いは"霊的に高い次元の言い争い"だった」(?)

「エホバの証人のルーツは、アベルです」きっぱり。これは協会の見解と一致。

「巡回監督の訪問は、各会衆の開拓者を励ますのが主な目的」
(偉大な開拓至上主義者)

「うちの子供たちは、自然に霊的な成長をしたのではありません。
聖書的にゴムホースで40回(以下)の鞭をして来たからです」
(だから研究生のわたしには百回叩け、と言う意味)


なぁんとなく、どういう感じか伝わるでしょうかね。
今はいないと思います。こういう姉妹。
到底真似はできませんでしたし、ちょっと違うのでは?と思う事も
ありましたが、当時でも不器用なくらい大変模範的な証人でした。
会衆の姉妹達とはちょっと距離を置いた感じで、奉仕中の世間話
などもっての他でした。

けど、好きでした。尊敬してましたね。




つい、長くなってしまいましたが、冒頭の聖句の感想を
最後に一言。
キリストは、”伝えたから友”と私たちを呼んで下さっている。

神ならぬ身でありながら他人に教えたからと、"僕・家来・子分"
のように思わないように。
そういう謙遜さを、宗教をやる人は見習う必要がある。
知識だけでは他人の心は動かない。
人に教えてあげようと思った時から、
「傲慢さ」が忍び込む。福音の喜びを分かち合い、共に喜び合う
ようにキリストは仰っている。司会者と研究生は師弟関係ではない。
それなのに、自分の思う通りに研究生が行動しなければヒステリック
に怒るという話をよく聞く。上下関係は組織の体質だ。初めの頃にあった
「音信を分かち合う」という喜びから、相手を「支配する」という悦びに
変質したら、もはや良いたよりの価値は消えてしまうのだ。
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by hanamizukidayo | 2007-11-19 00:10 | 宗教