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岩地やいばらの中に落ちた種

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神のことばは「種」。「種を蒔く人」はイエス・キリスト、その弟子。実を結ぶのはどのような土地(みことばを聞く者)に種が蒔かれたかによる。
「道端」に蒔かれた種。みことばを聞くことは聞いた。しかし、サタンが邪魔をして信じさせない。「岩地」に落ちた種。聞いたときは喜んで受け入れ、みことば通りに生きていこうと決心し、歩み始める。しかし、困難や迫害などの大きな試練に耐えられず、その結果神から離れてしまう。
「いばらの中」に蒔かれた種。みことばを聞いて信じたが、神の国よりもこの世の富や名誉や快楽の方に魅力があり、誘惑に負けてしまう。神のこどもとして実を結ばない。
「良い地」に蒔かれた種。みことばをしっかりと聞き、それを悟る人。みことばを信じて行う人。迫害、試練、誘惑に負けず、信仰を持ちとおす人。良い実を結ぶ。

種を受けてから実を結ぶためには何が必要か。それは、「良い地」を持つ者の態度である。すなわち、「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8:15)

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今週の礼拝で扱われた聖句は、上のルカ8:9~15節の「種を蒔く人」のたとえでした。

エホバの証人であれ教会であれ、心に蒔かれた種(御言葉)が芽を出し成長するよう、
正しい態度・心で御言葉を受けるようにと「励まされる」聖句なのでしょう。
教会の教えに精通して入るわけではないので、もし間違っていたらすみません。

主イエスの教えとは言え、正直なところこの箇所は、素直に読めなかった私でした。
読んで字のごとく、その通りなのかもしれない。けど何か引っかかるものを感じて
いました。はっきり言えば「良い土壌かどうかはその人だけの責任ではないでしょ」
そのような抵抗を感じていたのです。人格の変化を「強制」されるような重い圧力を
特にJW時代味わった聖句でした。
「三つ子の魂、百まで」と言われるように、生まれ育った環境で本人が望むと望まないと大方の
性格は方向付けられるのではないか。少なくとも自分に限って言えば、決して自分が「良い土」のような心の持ち主だとは思えない。
しかし一方、欠陥だらけの罪人に過ぎない私を見放さず、霊的に助け導かれる神の聖霊
が働いてくださっていることを私は確信します。、どうしようもない自分にギリギリ愛想を
尽かさないよう、イエス様はそんな私を励まし慰めてくれるていると。
何が言いたいかと言うと、人の心が岩地だろうといばらが生い茂った地に見えようと、つまり
その人がどんな生き方をしてきたか、どのような人となりかどうかに関係なく、イエスさまは受け入れて下さる。ザアカイしかり。悪霊に囚われた人々しかり。
それだから、このたとえ話の聞き方には注意しなきゃ、と考えていたのです。

(続く)
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by hanamizukidayo | 2008-01-14 12:06 | 宗教