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求めていたのは祈りだった

JWの教えと組織の体質に心底幻滅し、
人間関係のトラブルに巻き込まれた事も
加わって以来、約5年悩みに悩んだ末、
私は自然消滅の形で組織を離れました。

一旦入信したら最後、組織からきっぱりと離れるのは難しい
これはJW経験者なら誰でも経験しますように、苦い時間の経過が
必要です。
形上では離れる事が可能であっても、長年刷り込まれた教理の呪縛。
親族、友達、家族・・関わってきた様々な人々への思い。
それらを断ち切る決断に身がすくんだ事もありました。

自分の過去との決別も意味します。
良いものだと信じてすべてを注いできた(約20年)の
努力と、それが間違ったもので、多くの人に迷惑をかけてしまった
事。あらゆる面で後悔の念が募りました。

決別する前に、打ち消せない疑念は固まっていましたが、
どうにもできないところまで来てしまったという思いと、
これからどう行動していけばよいのかと言う狭間に立ち、
なお且つ、不活発になった「弱い人」というレッテルを貼られ
会衆の人々の冷たい視線の中で針のムシロに座ったような
JW最後の5年でした。。

精神を病み、通院を続けながら心理学や本を読みました。
インターネットでこの問題を調べるようになって、初めて自分だけ
の問題ではなかったこと、
私以上に悲惨な経験をし、回復に向け闘っている仲間たち。
また、すでに克服し他の人達を助けるために精力的に情報を
発信していらっしゃる元二世さんをはじめ、力を頂いたサイトの
数々・・管理人さんたちの惜しみない努力に深く感謝します。

JWから少しでも距離を置きたいという事と、社会で
何かできることがないかと、考えるようになってから
私はJWの伝道をさぼり、ボランティアの方に時間を
割くようになりました。

義父の介護を通して親身に動いてくださった民生委員さんや
施設の職員の方々、病院関係者・特に認知症が進んでいく
義父の症状に戸惑いや不安を抱えていた当時、精神的な
サポートを与えてくださったのは「愛があるはずの」JWではなくて、
彼がが普段「サタンの世の人」と、内心見下していた
世の中のたくさんの善意の方たちでした。

やがて私も県や市の社会福祉センターにボランティア登録し、
講習を受けながら地域の要請や施設等に出向いて
いました。また希死念慮を伴ううつ病の苦しさを経験した
ので、自殺問題に関心を寄せ、命の電話相談員の講習も
受けるようになりました。

ある時、日本WMCAの講師に出会い、ボランティアは素晴らしい
行いであるけれど、「ボランティアであっても一定の責任と
自覚を持つように。待っている相手に、自分の都合で行かなかったり
ルーズにしていたら信頼を失います。相手を傷つけてしまいます」

そのような話を聞いたのがきっかけになって、
自分に甘く、どちらかと言えば出不精な私は
「仕事」という枠に身を置いて、専門的な知識を学び
ながらやっていくほうが自分には合っていると思う
ようになり、一つの活動だけ残しボランティアからは
遠ざかりました。

この頃はまだJWに二股をかけた時代でした。
約、10年ほど前に現在の職場に入り
介護保険制度が発足すると同時に
障害者支援に主にたずさわりました。
04年から精神障害者の居宅支援も始まり、
関わりたいと願っていた仕事に就きましたが、
身体的に限界を覚えるようになり、数年前から
もっぱら高齢者のケアを中心に働いています。

でも、内容的にはほとんど一緒です。
高齢者のうつも大変多く、特に独居で
あまり親族も尋ねてこないケース、あるいは
難病のために1日中常に身体の痛みと闘っている方、
症状進行に不安を抱え、また見守る家族も介護の
ストレスや元々の家族関係の複雑な経過ゆえに、
葛藤を抱えた家族もあれば、本人に代わって上げられない
もどかしさに心を痛める優しい家族もいて、
人生の最終部分の最後まで、様々な個人のまた家族の
ドラマがあると実感します。

恐らく、この仕事に付かなかったら出会う機会はなかったであろう
方たちとの出会いは、私を励まし、考えさせ、生きる事
の教訓を日々教えていただいています。
今日が最後のケアになるかも知れない。私か相手の方
の身に何が起こるか断言は出来ないので、毎回これが
最後であっても悔いのないように心を込めて相手に
向き合きあう、自分に出来る最善を尽くして向き合う。
失敗は仕方ないですが、内心は真剣勝負で仕事しています。
おかげで帰宅すると身体はヘトヘトですが、JW時代のような
虚しさは微塵もありません。


聖書の事も信仰も、じっくり考える時間もない時期がありましたが、
いろんな経過を通して、今再びまた違う角度から「信仰」について
考えるようになりました。

私の心の奥底に常にわだかまっており、どんよりと
影を落としていた、「本当の神さま」とは・・という疑問に
今、やっと光が射さしています。

エホバの証人でありながら、「エホバ」という神をどうしても
好きに」なれず、理屈で愛そうと努めたエホバ時代でした。
ですから集会や奉仕などの「形」で自分なりに示し、
受け入れてくださいと祈るしかなかったのです。

本当の父親に愛情が持てなかったから、父なるエホバ神を
親しく思えない、自分の側の問題だとずっと考えていました。

イエスを愛し、その教えには心から感動できるのに、
神を拒否する心、これも自己否定的心理に陥ります。


昨年のある時期に、自分の心を正直に吟味するようになって
「本当の神さまを私に示してください」と祈るようになりました。
祈りは、ある方を通して聞き届かれ、彼女の友人達も私の
ために共に祈ってくださったと聞きました。

求めていたのは、現実の世界で一緒に祈りあう人々でした。
まず、祈り合う友を、私は切実に必要としていたのです。

与えてくださり、この祈りを聴いて下さった主に感謝します。


今朝は朝から雪が降っています。

今、私の心が洗われるように、清い信仰に立ち返る助けと
なって下さっている荒野のモーセのような牧師先生の教えを
請いにこれから出かけてきます。

今日、訪れて下さった皆さんの幸せを祈りつつ

一気に書いたので、一部帰ってから訂正するかも知れませんが、
誤字乱文ありの長文、読んでくださってありがとうございます。

               愛を込めて
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by hanamizukidayo | 2008-02-03 09:06 | 宗教