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3/9"父親と母親はお互いにパートナー"の追記      (闇教育より)



子どもが揺りかごの中にいる時からあらゆる方法で甘やかされたりチヤホヤしたりするのは猫可愛がりではないだろうか?

この世に生まれた最初の日から秩序を守り

食餌を楽しむのも定まった時間を守るようにし、そうして規則正しさ、忍耐さらには - 人間としての幸福の基を築いてやる代わりに、猫かわいがりは赤ん坊の喚き声の言うままになる〔 ・・・ 〕


猫かわいがりは厳しくできないし、禁ずることができない。子どもの真の幸福を思って"いけない"ということができないのだ。それはただ"はい、はい"としか言えず結局子どもを害することになる。盲目的な優しさやら、自然な衝動やらの言うなりになり、"いけない"と言いながら許してやり、罰する時はいい加減で、禁じなければいけないことでも成り行きに任せてしまう。猫かわいがりには教育目標に向かう明確な意識が欠けている。それは近視眼的なのだ。子ども達によかれと思ってしている事ではあるが、しかしその手段は間違っている。その時の気分の赴くままにいろいろなことをやってしまい、落ち着いて熟考し、その考えに従って何かをすることがないのだ。子どもを導くのではなくかえって子どもに引き回される。真の意味で落ち着いて子どもに対抗できる力がなく、子どもが口答えをしたり、わがままを言ったり、逆らったり、あるいは逆に頼んだり、おべっかを使ったり、涙を見せたりすると、この幼い暴君の言いなりになってしまう。

猫かわいがりというのは、真の愛の対極にあるものなので、真の愛は必要とあらば罰することもためらいはしない。聖書は語っている。
わが子を愛する人は懲らしめを惜しまず。後にその子は親の慰めとなる。(シラの書30:9)
またもう一つの箇所でも 「子をちやほやすればあなたは子を恐れるようになる。子と戯れると、子に負かされる」と言われている。(シラの書 30:10)

猫かわいがりに育てられた子どもたちは、両親に対してひどい無作法を働くようになる。
                       A.マティアス   1902年より





我々がより高い叡智と計り知れない神の愛に対する絶対の信仰の中で動かねばならぬとちょうど同じように、子どもも、両親と教師の叡智に自らの行為を全く従わせ、そのようにして天なる神に対する服従を前もって学ばねばならぬ。この完成された配置を換えようとする者は不遜にも信仰に替えるに知ったかぶりの疑惑を持ってするのであり同時に、子どもの本性をも見損なっているのだ。子どもには信仰が必要なのである。[…・・・] 


子どもは強い者に服従したがるものだ。心に服従があれば愛もまた遠からずと詩人も言っているではないか。
家の中では弱い母親ほど博愛主義の立場に立ちたがるものであって、それに対して父親は容赦なく即刻服従を命ずる。だからこそ母親というものは自分の子どもにいいように牛耳られることが多いのであり、だからこそ、父親は深く敬われ、家族全体の頭であり、家族全体の精神が父親によって舵を取られているのだ。  L.ケルナー  1852年より   

                                
       by 魂の殺人



家族生活「お互いにパートナー」では、パートナーとして妻は権威に全面的に服従しなければならないということ。自分の頭として家庭では夫、会衆においては長老、僕、兄弟たちの権威に服する。逆らってはならないw 
子どもを甘やかし・・・子供の愛情を独り占めするようなことがあってはならない(家族生活)とは、母性本能、最も自然な母親の心理を攻撃するための巧妙な "屁理屈"です。




【箴言―処世訓の倉庫】

人生訓、格言の集大成。女性と貧民の差別、男性優先、権威・権力への阿諛など問題もあるが、古今東西の俚諺と変らぬところが面白い。この世俗的生活と、「詩篇」に見られる聖なる信仰生活とを両立させる庶民の知恵感覚は絶妙。庶民の世俗の知恵・・「聖書の呼ぶ声」より
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by hanamizukidayo | 2008-03-14 09:31