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愛情停止処分  


幼子はまだはっきりと意識できるようになる前に、秩序としつけとを感じていなければならない幼い頃にそれに慣れていれば、問題なく 

習慣づけを行うことができ
、感覚的な利己主義の発揮する支配欲を押さえつつ、意識の目覚めの時期に移行できる。

すなわち、従順を身に付けさせねばならないわけであるが、そのためには教育する者が
その力を正しく発揮せねばならぬ

厳しい目つき、はっきりとしたことば、時には物理的な力を使う必要もあろうし、罰を与える必要もあるだろう。物理的な力は、それ自体善を創り出すことは出来ないかもしれないが、悪しきものを妨げる力はある。また罰といったものも必ずしもはじめのうちは肉体的に痛みを感じさせる必要はないので、不従順の性質がいかなるものであるか、またどれほど繰り返されるかによって、たとえばはじめは子どもの好きな事を何かさせないでおく程度にしておき、だんだん愛情の証拠を見せないでおくところにまで厳しさを増していきのがよい。例えば、繊細な性質の子どもがいう事を聞かない時には、母の懐から引き離し父の手を求めても差し出してやらず、寝る前の口付けもしてやらぬ等々が大いに罰として効果を発する。つまり、愛を示してやることで子どもは親に頼るようになるのであるが、この親に頼る気持ちはそのまま しつけをする時子どもを扱いやすくするのにも役立つ。

我々は従順を自らの意思をある正当な他者の意思に従わせることと定義した。


           総合教育 授業百科   1887年     by魂の殺人



http://www.jwic.com/history1.htm#4


・・・どちらの側に立つとしても一つだけ否定できないことは、この「聖書研究者」という名前の同じ宗教(当時まだ「エホバの証人」という名前は使っていなかった)の信者であり、一方は「神の仲介者」としての最高権威者である夫と、他方はその夫を表向きには全面的に助け、ものみの塔誌の編集を手がけてきた妻とが、私生活の面ではどちらに非があるにせよ、この長年にわたる泥仕合の家庭不和を続けていたという事実は誰も否定できないであろう。神の前に立つ兄弟姉妹としての、また神が絆を定めた夫婦としての神の愛による和解ができず、泥仕合の末に家庭の破局に終わる、この宗教の創始者で最高権力者であったラッセル夫婦の姿は、その後この宗教が世界中にもたらした家庭破壊の数々のひながたとして、この宗教の根本的な問題点をその最初期から提示していると言えないであろうか?ちなみに次の二代目会長ラザフォードもその異常な夫婦関係で知られている。
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by hanamizukidayo | 2008-03-26 15:05