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ニュースより

終戦記念日が近いこの時期は、図ったようなタイミングで
今頃なぜ?といったメモや文書発見のニュースが飛び込む。
速報は昨日の毎日新聞だったが、今朝の産経ニュースより ↓

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080812/acd0808121956007-n1.htm






敗戦を目前にした8月10日から14日の手記であること、
最高責任者の一人として、天皇に対する真摯な思い、かつ
「軍人」として率直に綴られているに過ぎない・・と思いながら
関連記事を読んでいたら、非常に共感するブログがあったので
以下引用します。





東条英機の手記を確認…「軍人」としては当たり前   
08/12(Tue)     http://syurizipangu.blog94.fc2.com/blog-entry-38.html 

東条英機の手記が発見されたそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080812-00000040-mai-soci


 特に珍しい発見でもない。東条英機は「軍人」である。そのような考えを持っていても、全く不思議ではないし、逆に日米開戦を昭和天皇の大御心に答えられず、決定してしまった意味においては、「敗戦」は受け入れられなかったであろう。


 現実に開戦を避けられなかった開戦の深夜、後悔の念にかられ、皇居に向かい号泣した話は有名で、昭和天皇からの信任は厚かった。東京裁判の戦犯に指定された時に、昭和天皇は「戦犯の指定を受けたとは言え、国に忠義を尽くした国民の一人である。被告人として立たせるのは忍びない」という感想を寄せていたほどである。


 同じく戦犯の指定を受け、その後外務大臣になった重光葵も「東條を単に悪人として悪く言えば事足りるというふうな世評は浅薄である。彼は勉強家で頭も鋭い。要点をつかんで行く理解力と決断力とは、他の軍閥者流の及ぶところではない。惜しい哉、彼には広量と世界知識とが欠如していた。もし彼に十分な時があり、これらの要素を修養によって具備していたならば、今日のような日本の破局は招来しなかったであろう」と、欠点をあげながらも、「軍人」として能力だけではなく、「政治家」としての能力も評価している。


 この時期の発表は、確実に「終戦記念日」を意識しており、「東条英機悪玉論」を定着させようとする政治的意図を感じさせる。

 

 馬鹿馬鹿しい。
 

 あの時の日本の状況は、悪条件ばかりで外交対策も万策尽きていたし、アメリカは「オレンジ計画」以来、排日移民法、中立法の改正による石油・屑鉄などの輸入をストップされていたし、F・ルーズベルトやコーデル・ハル(このような「悪鬼」がノーベル平和賞を受賞していたことはあまり知られていない)は「対日開戦」を早くから決定したのは明らかになっている。


 そして、いわゆる「ハルノート」…。
1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵 
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄
10.本協定内容の両国による推進


 このような全くそれまでの日本の努力を「水泡に帰す」ものを突き付けられた時に、東条英機は「総理大臣」だったのである。 誰がなっていても、どうしようもなかったであろう。東京裁判のパル判事の、「もし、ハル・ノートのような物を突きつけられたら、ルクセンブルグのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう」の評価にすべてが言い現されている。


 現在の価値観で、東条英機を裁くのは愚か者である。この手記の発見によって、マスコミがどのような反応をするのかが楽しみだ。それにより、今の日本のレベルが分かるであろう。期待はできないが…。

      引用終わり


まったく同感。
ちなみに今朝のアサヒ・コムの見出しには、
無条件降伏すれば軍部を)「国民が呪う」と
報じたが、靖国参拝反対論者のナベツネ読売は
今のところ今朝の朝刊では何も触れていないようだ。

平和は尊いものだと思う。しかし、国のために戦い犠牲の死を遂げられた
先人たちの上に戦後日本の平和や繁栄が成り立っていることを忘れては
ならないと思う。まして、いわゆるA級戦犯として東京裁判で
処刑の宣告をされた方々(彼らは、戦前までの日本のすべてを背負い、
自ら犠牲となって新しい日本への道を告知した殉難者)に対して、
「戦後の現代の価値観」で裁く態度は驕慢と言えないだろうか。
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by hanamizukidayo | 2008-08-13 13:22 | 政治・社会