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終戦記念日の報道

終戦記念日にあたる今朝の新聞(読売)、テレビは北京オリンピック一色といっても
過言ではない。
かく言う私も開会式をはじめ、家にいる時間のほとんどはNHKを付け放しで
北島康介の優勝の場面も、柔道や体操競技等、ほとんど観ているのだけどw

それにしても・・終戦関連の記事が、今朝の読売で社説のみとは。
口ぱく問題やCG足跡花火をはじめ中華「民族」の国威を強調した
偽装オリンピックの欺瞞性も提示してはいるものの・・


今日は安倍元総理も靖国に参拝されると言う。
首相在任中、行くとも行かないとも明言されず、結局曖昧なまま突然の辞任によって
実現を見れなかったのは残念なことだった。しかし、何よりもご本人の悔いが一番
大きいことだろう。



8/15 産経「主張」
日米の絆を確かめたい

■将来を誤らせぬ鎮魂の日に

 63回目の終戦の日を迎えた。日本列島はあの日と同じ蝉(せみ)しぐれの中で「鎮魂」の色に染まる。

 だが一方で今、日本人の関心の多くは、隣国・中国で開催中の北京五輪に向けられている。日本選手の活躍にだけではない。中国の国力を誇示することを最大の目的にしたような五輪のあり方そのものに対してでもある。

 その開会式には日本や米国、ロシアをはじめ80を超える国の首脳が出席した。五輪史上異例の多さである。その中には、チベットの人権問題を理由に欠席を表明していたフランスのサルコジ大統領の姿もあった。

 ≪「大国」見せつける五輪≫

 中国による外交戦術の成果という面もある。だがそれよりも、経済発展や軍拡によるこの国の強大化を、世界中が良くも悪くも無視できなくなってきたことの表れといっていいだろう。

 「帝国」復活を思わすような中国の台頭は、日米安保条約による米国との同盟を軸に、安全と繁栄を保ってきた日本の国家戦略を根本的に揺さぶる要素にもなってきた。それだけに、北京五輪の最中に終戦の日を迎えたことは、日本の戦後と将来を考える上で大きな意味を持っているといえる。

 米国のブッシュ政権は、北朝鮮の核申告と引き換えに11日にも可能だった同国へのテロ支援国家指定解除を延期した。だがこれは、指定を拉致問題解決のカードとして期待してきた日本にとって気休めにしかならない。

 米国世論が中国に傾斜していくのは避けられそうにない。米国が東アジアの安全保障の枠組みで、日米同盟より6カ国など多国間の交渉に重点を置いていこうという流れを止めるのは容易ではないとみられるからだ。

 しかし日米同盟を軽視し、これを無力化させようとしているのは米国だけではない。

 インド洋で日本の海上自衛隊が行っている米国などの艦船への補給活動は今年になって約3カ月も中断した。国会の衆参ねじれでテロ特措法の成立が大幅に遅れたためである。

 新たな法律が必要な補給継続をめぐっては、野党に加え公明党も反対するなど極めて難しい状況だ。補給はアフガニスタンでのテロとの戦いを進めるためのものだ。これでは、米国内に「日本は助けを求めるだけで助けにはこない」と、日米同盟への疑念が生じても仕方あるまい。

 ≪日英同盟の廃棄に学ぶ≫

 今、日本国内にも「国連中心主義」を唱える民主党の小沢一郎代表をはじめ、日米同盟より多国間の協調を重視する声が急速に強まっている。こうした状況は、かつて日英同盟が廃棄されたときと似ていると言わざるをえない。

 明治35年(1902年)に結ばれた日英同盟は、日露戦争での日本の勝利に貢献し、国際社会での日本の安定した地位を確保させた。しかし大正10年(1921年)のワシントン会議で、新たに日米英仏4カ国条約を結び、同盟は廃棄された。

 中国への進出をうかがう日本への反発から、日英間に亀裂を入れようとする米国や中国の外交戦略に乗せられたためだった。日本国内にも「新外交」として同盟より多国間の協調を求める空気が強まっていた背景もあった。

 4カ国条約は太平洋地域における国際協調をうたっていたが、同盟とは異なり、何ら日本の安全を保障するものではなかった。唯一の同盟をなくした日本は国際的孤立を深め、先の大戦での破滅の道をたどることになる。

 今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、領土問題などで日本に敵対姿勢を強める韓国などと、多国間の枠組みを選ぶとなれば、日本はまた、孤立の道を歩むことになるだろう。

 むろん外交は、相手国があってのものだ。米国の「変心」に備えて「自立性」を強めることも大切である。

 だが、その前にやるべきは、補給の継続などにより「同盟の成果」を示し、日米の絆(きずな)を確かめることだ。中国や北朝鮮などによる同盟への揺さぶりや、これを弱体化させる動きは封じていかなければならない。

 国の将来を誤らせないような設計図を描かなければならない。それこそ、300万人にも上った先の大戦の戦没者たちの霊を慰めることになるのである。






8月15日 静かな追悼の日としたい(8月15日付・読売社説)
 平成20年8月15日。今年もまた、全国戦没者追悼式の日を迎えた。時代は巡り、昭和20年の「あの日」は遠い歴史の記憶となりつつある。

 だが、歳月は流れても、国のために犠牲となった人々を追悼し、平和を誓うこの日の意義は、いささかも変わらない。

 東京・九段の日本武道館で行われる全国戦没者追悼式は、天皇、皇后両陛下をはじめ、首相、衆参両院議長、最高裁長官という三権の長がそろって出席する国家としての最高の行事である。

 この日は「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社をめぐり、熱い議論が交わされる日でもある。

 先ごろ話題になった中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」は、かつて靖国神社の境内で作られた「靖国刀」と呼ばれる軍刀に焦点をあてている。靖国神社の存在を、軍国主義と重ね合わせて描いているようだ。

 しかし、普通の日本人ならば、軍国主義が復活するなどということは、およそ想像もできないことだろう。

 福田首相は靖国神社に参拝しないと明言している。「国と国の関係で、相手の嫌がることをあえてする必要はない」と、首相就任の前から語っている。中国などを念頭に置いての発言だ。

 昨年、安倍前首相も靖国神社参拝を見送ったが、「参拝する」か「しない」かについては明言しない“あいまい戦略”をとった。

 いたずらに中国との関係を悪化させ、無用な刺激を与えるようなことをする必要はないが、「靖国神社に行く可能性と権利」まで手放してはならないと考えた。最近になって、安倍前首相はこう述懐している。

 安倍前首相は、昨年8月末にインドを訪問した際に、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めたパル判事の遺族と面会している。

 11人の裁判官の中でただ一人、被告全員を無罪としたのがパル判事だった。

 パル判事については、その評伝などが相次いで刊行され、改めて注目が集まっている。

 「パル判決書」は、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下では、公刊が禁じられていた。

 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して、日本の主権が回復された直後、「日本無罪論」のタイトルで刊行された抄訳は、たちまちベストセラーとなった。

 ただ、「日本無罪論」という表現を、疑問視する議論も一部にあった。最近、そうした論争が再燃している。

 パル判決は、日本軍の占領地で民間人の殺戮(さつりく)、暴行などの蛮行が伴ったことは否定していない。

 しかし、パル判決の核心は、当時の国際法に照らし、被告たちを裁くことは出来ないと判断した点にある。

 東京裁判は、勝者の敗者に対する「儀式化された復讐(ふくしゅう)」であるとし、欧米諸国にはその帝国主義と植民地支配の歴史に照らして、日本を裁く資格などないとした。

 非戦闘員の生命財産の無差別破壊を問題とするなら、原爆使用の決定こそ「ナチス指導者たちの指令に近似した唯一のもの」とも指摘している。

 しかし、国際法上の戦争犯罪の有無とは別個に、戦争責任の問題は存在する。

 日本はなぜ勝算もないまま無謀な戦争を始め、国内外に多大の犠牲者を出してしまったのか。終戦工作を積極的に進めることで、広島と長崎への原爆投下を防ぐことは出来なかったのか。

 読売新聞は、戦後60年の節目を迎えた2005年の夏から1年間にわたって、日本の政治、軍事指導者たちの戦争責任についての検証を行った。

 結果としては、東条英機元首相ら多くの東京裁判「A級戦犯」が昭和戦争の責任者と重なった。

 しかし、重大な戦争責任があったとは思われない「A級戦犯」もいた。一方では、日中戦争や日米開戦などについて重い責任を有しながら、裁判の対象にはならなかった人もいた。

 いわゆる「A級戦犯」の靖国合祀・分祀問題については、2006年、富田朝彦元宮内庁長官のメモが発見され、昭和天皇の気持ちが明らかにされて以来、議論の流れが変わった。

 最近では日本遺族会の中でも、分祀論が出ているという。

 国立追悼施設の建設に向けた調査費は来年度予算案でも計上が見送られる模様だ。

 しかし、靖国神社側が、適切な対応をしなければ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を拡充するなどして天皇参拝の中心施設にすべきだという議論が、今後勢いを増していくことになるのではないか。

 追悼施設の問題に一日も早く決着をつけ、国民が一致して静かに戦没者を追悼する8月15日となってほしい。

(2008年8月15日02時20分 読売新聞)


ナベツネ読売は、無宗教の国立追悼施設の建設に前向きなようです。

>国際法上の戦争犯罪の有無とは別個に、戦争責任の問題は存在する。
3年前の終戦記念日特集記事以来、個人攻撃とも取れそうな戦争責任論に私は
違和感を持ち続けている。
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by hanamizukidayo | 2008-08-15 09:51 | 政治・社会