ニュースによると、「蟹工船」効果で共産党に1万人の人が新たに入ったそうです。
確かにスローガンは、理想社会への夢をかなえてくれそうなシステムに見えます。
ですが北京オリンピックで見せつけられた、あの中華ナショナリズム満載開会式や
閉会式のマスゲームに象徴された、徹底的な管理社会の不気味さに息苦しさを覚え
ながら見た人も多かったのではないか、と思ったのですが。
共産主義のいう平和も人権も平等も、見せ掛けの絵に描いた餅に過ぎないのは
もう十分すぎるほど、近代の歴史や現実が証明しているのに・・と思います。
最近購入した、モデルカイ・モーゼの「日本人に謝りたい」を読んでいると、
この本が出版された30年前も今も、多くの人は戦後の歴史認識の間違いに
気付くことなく、現在に至っているんだなぁと感じ入ってしまいます。
8月は、暇さえあればテレビを見ましたが、NHK・BSⅡでは
BC戦犯の裁判を巡る番組や、戦時中スパイ犯として
日本軍に銃殺された、中国人の父を持ち日本人の母を持つ女性の
ドラマだとか、アウシュビッツもシリーズ、原爆体験者の「裸足のゲン」を
書いた中澤氏へのインタビュ番組ーなど等。
いかにもNHKの意図的なメッセージが見え隠れしていましたが、
かといって、他の局ではこういう重たいテーマを取り上げませんしね。
一番良かったのは、ゴット・ファーザー パートⅢでした。
ヨハネパウロ一世が就任何十日かで突然亡くなった不思議な事件を
思い出しました。オペラ座のすばらしい場面と、闇で生きる人々の対比の
見事な演出は緊張の連続でした。余韻が残る物悲しい最終幕章でした。
話は変わりますが、、昨日久しぶりに大型スーパーに入っている
未来屋書店をのぞいてみたら、新書コーナーを目立つ場所に移動して、
一連の品格本やアンチ朝日系、反中ものがうず高く積んでありました。
(ギョーザ事件の影響も大きいのかな)
数年前に出た中西輝政の「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」も
一緒に並んでいたので、だんだん意識が変わってきた人たちが増えている
手ごたえを感じました。言ってる私もその中の一人に過ぎません。
「スーチー女史は善人か」と、ニーチェのアンチクリスト(適菜収訳)が目にとまったので
買ってみました。
■暴露本的なタイトルと、やや砕け過ぎかなと感じる翻訳は好みでは
ありませんが、ニーチェはキリストとその教えを否定しているわけ
ではなく、本来とは違うキリスト以降の教え(特に教会)が道徳で縛りつけて、
偉大なローマ帝国を崩壊してしまったゆえにキリスト教は無政府主義者と同じ
だと攻撃しています。
どの宗教にも言えることかもしれませんが、善い教えだからと弟子たちが
熱心にのべ伝えて組織化し拡大するほど、崇高な教えそのものが
人を支配する手段になり下がってしまう、そうなってしまっている現状を
謙虚に認めない教会の姿勢に、ニーチェの燃えるような激しい怒りが
表れています。過激な内容でした。
信じる者は宗教に向かい、疑う者は哲学に向かうという言葉があるそうです。
私は、キリストを否定する気持ちはこれからもあり得ない(恐らく)とおもいますが、
JWの道徳至上主義で何かが壊れた気がする私個人の感覚と、ワイマール憲法つまり
ヘブライの法意識で裁かれたという「東京裁判、」それ以後の日本人の自虐史観が
一直線上に重なって見えてきました。
モラルが無ければ秩序は崩壊しますから、その価値はむしろ認めます。
個人の考えが尊重される自由社会ではそれをどう捕らえ活かすか、
またその責任も成人なら、当然個人が追わなければならないでしょう。
その前提で道徳的あるいは常識だと理解していた事を一度白紙にして、
考え直してみたい気持ちに最近かられています。
(最近アマゾンで求めた本)
■「モーセと一神教」
衝撃的な内容のある意味危険な本です。
一神教を作ったのはモーセで、また彼はユダヤ人ではなくエジプト人だった。
ではなぜ、モーセはユダヤ教を創設するに至ったか、そのユダヤ教がなぜ
キリスト教という新しいブランドに枝別れするに至ったか。その沿革と内実に
迫り、フロイトがその晩年に命懸けで書いたと言われています。
まだ途中ですが、難解な理屈っぽさはなく読みやすい文章です。
追記 9月5日
訂正します。
>難解な理屈っぽさはなく読みやすい文章です。
たいそうな口をきいてしまいました。好奇心にかられて読み出しましたが
難しい内容だと感じています。
この本は、精神分析の権威者フロイトの
「もはや失うものがない者に与えられた固有の大胆さでもって・・
書き上げられた恐るべき遺書」です。
エジプトの高貴な家出身(恐らく武士)のモーセの宗教は、古代のイクナートンという異端を
崇拝した王と同じ、アートン教だった。エジプトは多神教の神々を崇拝するが、アートン教は
一神教。
このモーセがエジプトの奴隷だったユダヤ民族を「選んで」、モーセ教を創設し、エジプトから
出た後、カデシュで民に殺されてしまう。様々な事件や時間的な相互関係からみて、ミディアンの火の神(火山の神)だったヤハウェを信仰するイェトロの娘婿が次のモーセになった。
つまり、モーセは二人の人物からなり、後のモーセ教(多神教の一つだったヤハウェ)が一神教
の神の名を名乗ったが、実質的な一神教は古代エジプトのアートン教だった。
わずかに残る碑文や資料などを元に書かれている。フロイト自身も仮説だと認めている。
第二次世界大戦直前のヨーロッパで、ユダヤ人の危機が身に迫る中で、カトリックに親しんだフロイト自身のあるいは、ユダヤ教とキリスト教・もしくはヘブライズムとヘレニズムの相克を問い詰めているのかもしれない。 まだ3分の一しか読んでいない段階なので今日書いたものは
書き直すかもしれません。
■「アメリカの鏡・日本」
読む価値ありと思って買いましたが、また未読です。
■ローマ人の物語」、去年か一昨年、途中まで読んでいたのですが
いつの間にか忘れてしまってました。
この本も 大変参考になる予感がします。
J
Wの「家族生活」の冒頭に、「強大なローマ帝国は
道徳の衰退によって滅んでしまった。ですから、
堅固な土台を作るために、社会の一番小さい単位である家族が
道徳によってしっかりと基本を作らなければならない」と、
そういう意味合いの説明がありましたが、
それぞれの立ち位置から見れば逆もまた真なりという事なのかもしれません。
キリストの勝利―ローマ人の物語XIV―
キリスト教によるローマ帝国の乗っ取り――それはいかにして成されたのか。
キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌスの死後、その親族を襲ったのは血なまぐさい粛清であった。生き残った大帝の甥ユリアヌスは、多神教の価値観に基づく寛容の精神と伝統の復活を目指した。だが、その治世は短命に終わり、キリスト教は遂にローマ帝国の国教の座を占めるに至るのだった。 解説より