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控訴審判決に思うこと

判決は、新資料が出現して、従来の主張の真実性が揺らいだ場合でも、「社会的な許容の限度を超えると判断される」などの要件を満たさなければ、直ちに書籍の出版を継続することが違法になると解するのは妥当でないとした。

 公共の利害に深く関わる事柄については、論者が萎縮(いしゅく)することなく、批判と再批判を繰り返していくことが、民主主義社会の存続の基盤だとも指摘した。

 「言論の自由」を守るということでは、その通りだ。

しかし、控訴審判決でも日本軍が集団自決を命令したと断定されなかった以上、「軍の強制」といった記述は認めないとする教科書検定意見の立場は、今後も維持されるべきだろう。

(2008年11月1日 読売新聞社説より)



10月31日の大阪高裁で行われた「沖縄集団自決裁判」の判決は、一審判決を支持、被告側の大江健三郎・岩波サイドの全面勝利で決着した。判決文の「新資料が出現して、従来の主張の真実性が揺らいだ場合でも、『社会的な許容の限度を超えると判断される』などの要件を満たさなければ・・」という指摘に考えさせられる。

岩波・大江氏側の"従来の主張の真実性"とされるものは、曽野綾子さんが丹念な取材のもとに書いた「沖縄戦集団自決の真実」(昭和47年初版 ある神話の背景)で完全に覆されている。"従来の真実"とは、アメリカ主導による沖縄タイムスがでっちあげた 「鉄の旋風」をもとに、現地取材に行くこともなく出版してしまった大江氏の完全フィクションである。

近年、住民に集団自決を命令したという軍命令はなかったと認知されている。"悪の巨魁"と罵られた故赤松隊長や他のご遺族が求めた「沖縄ノート」の出版さし止めや損害賠償の訴訟は、「社会的な許容」という基準内の名誉毀損であり、損害問題であると、判決が下りたわけだ。

当然最高裁に持ち込まれることになると思うが、相容れない歴史観とジャーナリズムが絡んだ言論の自由の前に、言われなき誹謗中傷を受けたまま亡くなられた方々や遺族の方々の痛みや無念さはいかばかりかと考えてしまう。




http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081031-OYT1T00856.htm





    高裁判決についてのコメント   大江健三郎

ベルリン自由大学での講義のためにベルリンに滞在しており、判決を直接聞く

ことができませんでした。いま、私たちの主張が認められたことを喜びます。

私が38年前にこの『沖縄ノート』を書いたのは、日本の近代化の歴史において、

沖縄の人々が荷わされた多様な犠牲を認識し、その責任をあきらかに自覚

するために、でした。沖縄戦で渡嘉敷島・座間味島で七百人の島民が、軍の

関与によって(私はそれを、次つぎに示された新しい証言をつうじて限りなく

強制に近い関与と考えています)集団死をとげたことは、沖縄の人々の犠牲の

典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代

の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。

私のこの裁判に向けての基本態度は、いまも読み続けられている『沖縄ノート』

を守る、という一作家のねがいです。原告側は、裁判の政治的目的を明言して

います。それは「国に殉ずる死」「美しい尊厳死」と、この悲惨な犠牲を言いくるめ、

ナショナルな氣運を復興させることです。

私はそれと戦うことを、もう残り少ない人生の時、また作家としての仕事の、

中心におく所存です。



もうこの方の欺瞞は明らかになりつつあるけれど、何十年か後には、ほんとうのことが
周知される時が来ると思えてならない。なぜなら、人は常に真実を知りたがる。そして
人の本能は、本来、欺きに対する鋭い嗅覚を持ち合わせているのではないかな、と思うので。
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by hanamizukidayo | 2008-11-01 11:12 | 政治・社会