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下手で上等 「写真」

人が亡くなるということは実際大変なことで、7年前に夫の親を見送った時も
悲しんでいる暇などないくらい式の段取りや、親戚への連絡事項や来客への対応
また死亡届を初め、様々な手続きのために書類を探したり出かけたり、
兄弟で手分けしてやったとは言え、本当に大変だった。

2,3泊して妹たちが戻っていった後、母や弟の手伝いでしなければならないことは
山ほどあったが、きりがないのでひとまず帰ることにし、昨夜の便で帰宅した。

寝不足で身体は疲れているはずだが、食欲もあり今朝も早く起きて
お葬式で撮った写真のフォルダを作り、アドレス交換しておいた実家の姪と
妹夫婦に送信した。

昨夜遅くまで起きてプリントもすませたが、大勢の弔問客の中には
「あっ、この人も来てくれたんだ。挨拶もしなかったけどありがとう」
話しもできず残念だった人とも次にまた会うきっかけになるかも。

JW時代、親族とも同級生たちとも親交を絶ってしまったので、式場で
挨拶を交わしても顔や名前の記憶がはっきりしなかったが、写真を見ていると
遠い記憶がよみがえり懐かしかった。

妹夫婦もいつの間に戻ったのか、親族席の末席に座って泣いている姿や
棺の前にいる場面も写っていた。

妹が孤立しないで一緒に父を見送り、また一緒に失った悲しみを
分かちあえて心から良かったという思いでいっぱいだ。

お葬式という儀式は形ではない、死者にも残された人々にも
重要な伝統行事、あるいは文字通り法事だと思った。
神ではない人間に必要不可欠な儀式だ。理屈ではないのだ。


何十年ぶりに会った従兄弟たち、叔父叔母もさることながら、生前父と
交流した大勢の方々が、泣きはらした目をしていたり、じっと目を閉じて
いたり、うつむいていたりしている姿に泣けた。
こうしてたくさんの人々に別れを惜しんで頂いて、心の温まるお葬式を
出せたことを深く感謝している。



私も少し写したが、途中から息子に頼んだのだけど、先ほどそれをプリントしながら

「写す角度が悪い」とか、「肝心の場面がない」とか、夫はブツブツ言っていた。
 なら、自分で写せばいいものを。うるさい人だな、まったく。と聞き流して
いたのだが、

「大事な瞬間にM(息子)は、自分が観客側になってしまうからいけないんだ」と言ったので、

「お父さん、あの子にとっても大切なおじいちゃんだったんだよ。観客ではなくて
出館の時や叔父さん(弟)の挨拶の時とか、本当にみんな涙がこみ上げてならなかった場面がないのは、あの子も泣いていたんだと思う。とても写真どころではなかったんじゃないの?」


「・・・・・・・」

もし、客観的で完璧なプロのような仕上がりだったなら・・そのほうがなんぼ悲しいではないか。
写真もよいけど、式全体が私は感動だった。肝心な場面や記憶はみな様々だろう。
自分の胸に刻めばすむことだと思う。
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by hanamizukidayo | 2008-12-07 12:00 | 日常