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カテゴリ:未分類( 149 )

愛情停止処分  


幼子はまだはっきりと意識できるようになる前に、秩序としつけとを感じていなければならない幼い頃にそれに慣れていれば、問題なく 

習慣づけを行うことができ
、感覚的な利己主義の発揮する支配欲を押さえつつ、意識の目覚めの時期に移行できる。

すなわち、従順を身に付けさせねばならないわけであるが、そのためには教育する者が
その力を正しく発揮せねばならぬ

厳しい目つき、はっきりとしたことば、時には物理的な力を使う必要もあろうし、罰を与える必要もあるだろう。物理的な力は、それ自体善を創り出すことは出来ないかもしれないが、悪しきものを妨げる力はある。また罰といったものも必ずしもはじめのうちは肉体的に痛みを感じさせる必要はないので、不従順の性質がいかなるものであるか、またどれほど繰り返されるかによって、たとえばはじめは子どもの好きな事を何かさせないでおく程度にしておき、だんだん愛情の証拠を見せないでおくところにまで厳しさを増していきのがよい。例えば、繊細な性質の子どもがいう事を聞かない時には、母の懐から引き離し父の手を求めても差し出してやらず、寝る前の口付けもしてやらぬ等々が大いに罰として効果を発する。つまり、愛を示してやることで子どもは親に頼るようになるのであるが、この親に頼る気持ちはそのまま しつけをする時子どもを扱いやすくするのにも役立つ。

我々は従順を自らの意思をある正当な他者の意思に従わせることと定義した。


           総合教育 授業百科   1887年     by魂の殺人

JWICより 「家庭不和」にいたる教理のひな型   
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by hanamizukidayo | 2008-03-26 15:05

9章  幼い時から子供を訓練する

・・・膨大な学習能力が働くのは誕生した瞬間からです。
(略)
子供は多くの概念を学ばねばなりません。言語の概念そのものも赤ちゃんの頭にしっかりと植え付けなければなりません。

    
 始めるのは今です!
使途パウロは、同労者テモテにあてた手紙の中で、テモテが「幼い時から」聖なる書物を知っていたと述べました。幼い子供は知識欲に燃えているものだという事を知る親は賢明です。赤ちゃんは全身を目や耳にしてよく観察しています。親がそれに気づいていてもいなくても、せっせと情報を取り入れて整理収集し、増し加え、結論を下しています。実際親が注意していないと、子供はちょっとの間に自分の望むとおりに見事に親を操る手を知るようになるかもしれません。ですから神のみ言葉聖書にある 「少年をその道に従って訓練しなさい。年老いても、彼はそれからそれれていくことはないであろう」という忠告は、 赤ちゃんが生まれた時から 始まります(箴言22:6)いうまでもなく、最初は愛をこめて十分に世話をし、愛情を注いで愛について教えます。しかし、それと共に、必要に応じて悪いところを優しい中にも毅然として正すこともしなければなりません

幼児に話す時には"赤ちゃん言葉"を使わずにわかりやすい大人の言葉で話します。子供にはそういう言葉を学ばせたいものです


                                 by家族生活を幸福なものにする
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by hanamizukidayo | 2008-03-26 14:25

  えんえんと・・・

延々と「家族生活」1979年版とアリス・ミラーの本を"丸写し"してきました。
JWの従順教育の深刻な被害と、組織の本当の狙いは何だったのか、
その鍵を解くのが「魂の殺人」だったと確信して、辞めて数年経った今やっと
整理してみよう気持ちになりました。

(読んでくださっているみなさんはJwの独善的な教えや欺瞞の数々に、
とっくに気が付いておられると思います)


きっかけ①はひよかさんの2月以降の記事でした
blog.livedoor.jp/hiyo25mekemeke/?blog_id=1735815

②キティさんの記事にも深く共感しました。  pinkkitty2.blog107.fc2.com/

キティさんの記事より
私は今後も、ムチの問題を多くの元JWや方と考えていきたいと思っています。
それは、
(1)既に被害を受けてしまった人達の気持ちをフォローする(し合う)
(2)今後被害者を出さない
(3)決して過去のこととしてうやむやにしない(JWに責任逃れさせない、風化させない)
という3つの事を行っていきたいからです。

ただ、1人では何もできませんので、立場を問わず多くの方にご協力をお願いしたいと思います。
どうか宜しくお願い致します




③子どもたちの可能性の開花に情熱的なウイズダムさんの英語教室運営&JW教育の疑問と真の愛への探究心、それらの記事も共感しながら考えさせられました。いつだったか、ご本人は「宗教オタクなんですよー」と笑ってらしたけど本物を求める嗅覚の凄い方です。   
 blog.livedoor.jp/wisdom" target="_blank">blog.livedoor.jp/wisdom1196305845" target="_blank"> blog.livedoor.jp/wisdom


JW組織が「子どもの訓練」と称し、聖書的な詭弁を使って子どもたちの人生を搾取する方針は
終末ハルマゲドン思想が変更にならない限り、恐らくあり得ないことでしょう。
70年、80年代のような過激な鞭体罰は公にも私的にも影を潜めたかもしれませんが、従順教育の躾を受けた世代は自らの子ども時代の苦しみに本当の意味で気が付かなければ、もしかすると自分の子どもに対して過去に負わされた傷を投影する可能性があります。

クラウディア・ブラックという人の「わたしは親のようになりたくない」という本があります。わたしも、親のようになりたくないと思いながら子育てをしていたせいか、家族生活の内容は最初、理想的な教育だと思いました。そして厳格に育てた自分の親が本当は「いい親だったんだ」と錯覚してしまった時期もありました。(今は親も私もすっかり変わり、心から仲良くやっています)
自分の子ども時代のような思いはにさせたくないと思っていたのに、やってしまったことは結局もっと悪いものでした。


「会衆のみんなはひどかったけど
私はそこまでしなかったわ」

と言える人がわたしは正直羨ましいです。



    「家族生活」と闇教育・・
ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
決して気分よく読める内容ではなかったと思います。
うんざりしたり、目をそらしたくなった方もおられたとは
思いますが、お付き合い頂いたこと・・感謝しています。

大まかではありましたが家族生活は第8章まで写しました。
本当のところ、これまでのものはまだホンの触りに過ぎず
以下のように本格的かつ具体的な体罰奨励となっています。

第12章のタイトル、気になります。JWの子どもたちは愛という美徳で装った
理不尽な懲らしめと偏った宗教教育を受けた挙句、
「親の心」まで喜ばせなければならない(命令)とは、
どこまで強欲な宗教なのでしょう。




9章  幼い時から訓練する

10章 愛をもって懲らしめる価値

11章 意思疎通の道を開いておく

12章 親の心を喜ばせる

13章 老後の生活

14章 とこしえの命のために、
          家族ぐるみで準備を進める

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by hanamizukidayo | 2008-03-18 17:03

ゆーじさんのサイト

【エホバの証人の子供達への懲らしめ教育】

http://buta.exjw2.org/muchi_3.htm




昨夜ゆーじさんのサイトの二世鞭問題をふと思い出したので
読み直してみました。

いつ頃からどのように組織ぐるみで子どもに対する体罰が始まったのか
その経過を詳細に知ることができる貴重な資料です。

ネJw関係のネットを初めて見たのが今から5年ほど前でしたが、
すでにこのような分析をされていた管理人さんの鋭い視点や
正義感に改めて感銘を受けました。

     ゆーじさん、ありがとうございました。
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by hanamizukidayo | 2008-03-18 00:20

3/9"父親と母親はお互いにパートナー"の追記      (闇教育より)



子どもが揺りかごの中にいる時からあらゆる方法で甘やかされたりチヤホヤしたりするのは猫可愛がりではないだろうか?

この世に生まれた最初の日から秩序を守り

食餌を楽しむのも定まった時間を守るようにし、そうして規則正しさ、忍耐さらには - 人間としての幸福の基を築いてやる代わりに、猫かわいがりは赤ん坊の喚き声の言うままになる〔 ・・・ 〕


猫かわいがりは厳しくできないし、禁ずることができない。子どもの真の幸福を思って"いけない"ということができないのだ。それはただ"はい、はい"としか言えず結局子どもを害することになる。盲目的な優しさやら、自然な衝動やらの言うなりになり、"いけない"と言いながら許してやり、罰する時はいい加減で、禁じなければいけないことでも成り行きに任せてしまう。猫かわいがりには教育目標に向かう明確な意識が欠けている。それは近視眼的なのだ。子ども達によかれと思ってしている事ではあるが、しかしその手段は間違っている。その時の気分の赴くままにいろいろなことをやってしまい、落ち着いて熟考し、その考えに従って何かをすることがないのだ。子どもを導くのではなくかえって子どもに引き回される。真の意味で落ち着いて子どもに対抗できる力がなく、子どもが口答えをしたり、わがままを言ったり、逆らったり、あるいは逆に頼んだり、おべっかを使ったり、涙を見せたりすると、この幼い暴君の言いなりになってしまう。

猫かわいがりというのは、真の愛の対極にあるものなので、真の愛は必要とあらば罰することもためらいはしない。聖書は語っている。
わが子を愛する人は懲らしめを惜しまず。後にその子は親の慰めとなる。(シラの書30:9)
またもう一つの箇所でも 「子をちやほやすればあなたは子を恐れるようになる。子と戯れると、子に負かされる」と言われている。(シラの書 30:10)

猫かわいがりに育てられた子どもたちは、両親に対してひどい無作法を働くようになる。
                       A.マティアス   1902年より





我々がより高い叡智と計り知れない神の愛に対する絶対の信仰の中で動かねばならぬとちょうど同じように、子どもも、両親と教師の叡智に自らの行為を全く従わせ、そのようにして天なる神に対する服従を前もって学ばねばならぬ。この完成された配置を換えようとする者は不遜にも信仰に替えるに知ったかぶりの疑惑を持ってするのであり同時に、子どもの本性をも見損なっているのだ。子どもには信仰が必要なのである。[…・・・] 


子どもは強い者に服従したがるものだ。心に服従があれば愛もまた遠からずと詩人も言っているではないか。
家の中では弱い母親ほど博愛主義の立場に立ちたがるものであって、それに対して父親は容赦なく即刻服従を命ずる。だからこそ母親というものは自分の子どもにいいように牛耳られることが多いのであり、だからこそ、父親は深く敬われ、家族全体の頭であり、家族全体の精神が父親によって舵を取られているのだ。  L.ケルナー  1852年より   

                                
       by 魂の殺人

一言だけ・・
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by hanamizukidayo | 2008-03-14 09:31

聞いて下さい 「Loving Each Other」より



私の話しを聞いて下さい、と頼むと
あなたは 助言をはじめます

私は そんな事を望んではいないのです

私の話しを聞いて下さい、と頼むと
あなたはその理由について話し始めます

申し訳ないとは思いつつ
私は 不愉快になってしまいます

私の話しを聞いて下さいと、頼むと
あなたは 何とかして 私の悩みを
解決しなければと いう気になります

おかしなことに それは私の気持ちに
反するのです



祈ることに 慰めを見出す人がいるのは
そのためでしょうか


神は 無言だからです
助言したり調整しようとはしません

神は聴くだけで
悩みの解決は 自分に任せてくれます



だから あなたも どうか
黙って 心静かに私の話しを聞いて下さい

話しをしたかったら 私が話し終わるまで
少しだけ 待って下さい


そうすれば 私は必ず
あなたの話しに 耳を傾けます

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by hanamizukidayo | 2008-03-14 00:04

 子供たちを"立派"に導く

家庭環境
子供たちは、周りにあるものを吸収します。周囲の人々の態度を感じ取り、周りで行われている事柄を観察して、スポンジのようにそれを吸収するのです。精神的に緊張していようと、あるいはくつろいだ穏やかな気分でいようと、子供たちは親の気分を感じ取ります。赤ちゃんでさえ、家庭の雰囲気の特色を吸収しますから、信仰、愛、霊性およびエホバ神への信頼といった特質は非常に大切です。



(質問:子供たちを立派に導いているかどうか判断するのに、親はどんな事柄を自問できるでしょうか)
次のことを自問してみてください。わたしは子供がどんな基準に到達することを期待しているだろうか。両親ともその基準にかなっているだろうか。
自分の家族がよりどころとしているのは何だろうか。自分は子供に対してどんな手本になるだろうか。不平を言ったり、あらさがしをしたり、他の人たちを批判したり、消極的なことをくよくよと考えたりするるだろうか。自分が望んでいるのはそんな子供だろうか。それとも、家族のために高い基準をもうけ、それに従って行動し、子供たちにもそうすることを期待しているだろうか
家族の一員である以上は、幾つかの条件を満たす必要があり
、してよいことと、して悪い行いや態度があることを、子供たちは理解しているだろうか。子供たちは親に属しているという安心感を求めますから、家族の基準に従う時には、認められ受け入れられていることを子供が感じるようにしてやらねばなりません。人は自分にかけられている期待にこたえようとするものです。自分の子供をだめな子供だと考えるなら、おそらくその通りになるでしょう。ですから子供に良いものを期待し、その期待に応えるように励ますことです。

人々は言葉よりも行いによって判断されます。子供たちも、言葉より行いのほうをよく注意して見るでしょう。また子供たちは偽善に目敏いものです。多くのことを言い過ぎると、子どもたちは混乱するかもしれません。あなたの言うことは必ず行いによって裏づけられていなければなりません。


父親であっても母親であっても、その役目はやさしいものではありません。
しかし、命の与え主の助言に従ってそれと取り組むなら、喜ばしい結果が得られます。
あなたに割り当てられた役目を、命の与え主に対して果たすように、良心的に果たしてください(コロサイ3:7)
極端を避けて平衡を取り、「あなたが道理をわきまえていることを

お子さんを含めて、すべての人に知らせてください。
  
フィリピ4:5

広い心が知られるように・・新共同訳  聖書の教え:主にある者は広い心でいるように
  
                           by家族生活
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by hanamizukidayo | 2008-03-13 11:47

子どもは手段か

親としての役目 - 親を敬うのはやさしいことですか

子供たちは、「あなたの父と母を敬いなさい」と命令されています。(エヘェソス6:8、出エジプト20:12)子供たちが両親を敬うことは神の戒めを敬うことでもありますあなたは子供たちがそうするのを容易にしているでしょうか。妻は夫を尊敬するように命じられています。しかし夫が神のみ言葉の要求に従って行動する努力をほとんどしないなら、妻が夫を敬うことは非常に難しいのではないでしょうか。夫は、愛する連れ合いとして妻をいつくしみ、妻の誉れを配すべきですが、妻が助けになってくれないなら、そうすることは難しいのではないでしょうか。では親も、親を敬いなさいという神の戒めに子供たちが従いやすいようにしてあげねばなりません。平和な家庭を作り、良い基準を設け、親自身が模範的に振る舞い、健全な教えや訓練を施し、必要に応じて懲らしめを与えるなら親は子供たちの敬意をかち得ます。

「二人は一人に勝る。なぜなら、彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである」とソロモン王は述べました。(伝4:9)二人の人が一緒に歩いていて、片方の人が倒れたとき、もう一方の人は助け起こすことができます。従って、家庭でも、夫と妻は互いに支えあい励ましあってそれぞれの役目を果たせます。親として、ふたりの役目が重なり合っているところは非常にたくさんありますが、それは家族の一致のために良いことです。子供は両親の関係をいっそう緊密にし、しつけという共同作業によって二人を一致させるはずのものです。しかし時には、子供にどんな訓練や懲らしめを与えるかということに関係して意見の分かれるような問題も起こります・・・・・夫にせよ妻にせよ、平衡を欠くと高い代償を払う事になります。

確かにふたりは一人にまさりますが、一人はだれもいないよりもまさっています。片親はエホバ神の僕であるために聖書の助言にまったき信仰っを置いており、もう一方の親はそうではないといった具合に宗教的に分裂している家庭は少なくありません。夫のほうが献身したクリスチャンである場合は、家族の頭ですから子供のしつけや懲らしめのしかたに関してかなり自分の思うようになります。妻のほうが信者で、夫に服している場合、そのやり方は夫の態度に大きく左右されます。(とはいえ)夫が反対するなら、妻は使徒が述べている方法に頼らねばなりません妻が自分の務めをりっぱに果たし、うらうやしい態度を示すなら、夫は「言葉によらずに引寄せられる」かもしれません。さらに妻は機会を捕らえて、子供たちを聖書の原則に従ってしつけます。 ペテロ一3:1~4
                     byあなたの家族生活を幸福なものとする
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by hanamizukidayo | 2008-03-13 09:49

キティさんの経験また疑問を考える

キティさん、ここらでいったん戴いたコメントをまとめてみますね。

キテイさんも「魂の殺人」を読んでこの本と「家族生活」の共通点を見抜いておられますね。しかも、理性的に。嬉しいです。わたしが問題に気がついたのは"不活発"になりたての頃でした。子どもには鞭も振るって、家庭の中で神から与えられた権威とやらを行使しなさいという命令に従った後のことでした。子どもは神(組織)に不従順でしたから、その頃は"何であれ蒔いたモノを刈り取"り、子育てに失敗したクリスチャンと言うレッテルに自他共に甘んじていました。

キティ■高等教育の否定は、子供にJW以外の道を選択させないという意図も感じますが、それ以外にも信者からの寄付が減る(学費がかかる)、高等教育によって子供達がJWの矛盾に気付いてしまう、奉仕の人手が減る…などという理由もあると思います。
とにかくどれも、JWの都合の良いような理由にしか思えず、子供の人生を無視した利己的な悪意を感じます。



(はな)高等教育の否定は、実に世俗的な理由がJWの本音だったのですね。子どもの人生を無視した利己的なモノだった。

あーよかった。 少し救われます♪ わたしのいた会衆には大勢の若者たちがいました。当時は、義務教育の後普通科を選択した時点でレールから「落ちた子ども」だと見られました。わたしは税金をきちんと払うような社会人になって欲しい、また、子どもには自分の好きな道に進んで欲しいと望んでいました。JWであってもなくても。本当にしたかったことを許されなかった私自身の経験から進学に関してはこだわりがありませんでした。つい、自分の話になってしまいましたw

>人生の始まりの部分でレールをしかれ、「間違いを犯さないように」と怖れたり、大人(親)でも守りきれないような規律を子どもには期待し、行き過ぎた道徳主義によって窒息させてしまうなら確実に子どもの「魂」は殺されてしまうでしょう。

私も、決められたレールの上を歩くよう脅されたり、規律づくめで窒息しそうに苦しかったです



(はな)脅しや規律づくめでいう事を聞かせる、子どものために、愛するがゆえに、という大義名分で権力をかさにきた躾教育。キティさんも窒息しそうになるくらい苦しんだのですね。どこにいても、何をしても息抜きすらできないできない空気を吸わされる。それがあの時代、当たり前でしたよね。楽園行きの列車に載せられた子どもたちは、自ら降りる事も出来ずあの中で窒息していた
・・・・

キティ■長老に母が下記の助言を受けました。未信者の夫であっても懲らしめは父親にしてもらった方が良い。それが頭の権を敬っている事にもなる。とかなんとか色々言ってました。

(はな)頭の権とは便利な言葉ですね。都合の良いところだけ未信者の夫を立てる。普段は何と言ってたか・・ 異邦人でしたよ。 異邦人!  「家族の中でも親密にしてはならない」という教えが潜んでいました。反対すればサタン呼ばわりなのに、まったくご都合主義ですねぇ・・ ぁ~あ。


>懲らしめを与えることも父親の役目の一つです。「父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか」という問いがヘブライ12:7にあります。

お陰で、私は小学校高学年から未信者の父にムチをされる羽目になりました…。
散々ムチされたのに良い結果には結びつきませんでしたが(笑)


それを知らない人は、今のキティさんを見て想像もつかないだろうと思います。キティさんの素晴らしい感性やまっすぐな生命力に感動します!幸せいっぱいに生きてくださいね。

キティ■>愛を示すなら、自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。

って幼児の時は、母親から無償の愛を受ける時期だと思うんですが…。
それに、私は精一杯母に愛を示しましたが、母からはその愛に応えてもらえない事が多かったです。そもそも、見返りを求める愛は真実の愛ではないと思います。

>さまざまな労苦や要求が伴いはしても、良い母親になることほど有意義で、永続的な満足の得られる"一生の"仕事が世の中にあるでしょうか。

こういう文章があるから、JW母達は永続的に子供を自分の思い通りにして良いと思うんでしょうか。


(はな)↑女性の生き方が問われ、多様な価値感が急速に世の中に広がった頃ですので、わたしはこの一文に「納得したい」と思った覚えがあります。ただ、様々な労苦や要求という表現に今さらですが、怒りを感じます。人間の普通の感覚を何でも悪いモノにしたがるカルトの思考パターンにハマッテしまいます。大体、子どもは様々な労苦や要求をする厄介な存在だと決め付けてますね。親にとって子どもは本当に無条件に可愛いものなのに。

>愛を示すなら、自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。
おっしゃるとおりですよね。変な文章ですね。これをまともに取ったら、どっちが子どもなんだか。

無条件に愛し許すことができるのはむしろ子どもだと思います。幼いキティさんがそうだったように・・
子どもの方がずっとずっと寛大です。愛されたい、認めて貰いたい、好かれたいと一生懸命に親を喜ばせ愛します。無条件に、純粋に愛してくれます。子どもをみているとそれが分かります。



キティ■しつけについて両親の意見が一致していないこと=どうでも良いこと…な気がします。
その意見が一致していないと、子供たちは、"分裂させて征服"しようとするかもしれません。というJWの見方は、子供を何でそんなに屈折したものとして見るのだろう?と思ってしまいます。
このJWの教えは、どんな些細な事でも両親が決定して、子供を従わせたり、懲らしめたりしてよいと言っているのと同じだと思います。



>子供たちは、"分裂させて征服"しようとするかもしれません。

(はな)家族生活の教えが闇教育たる所以はここにあるかもしれませんね。
常に何かを、誰かを仮想敵視して恐れの感情を掻き立てているみたいですね。可愛いはずのわが子なのに。どんな些細な事でも見逃すな、兆候を読み取って備えなさいとよく言われたものです。




キティ■>「賢明な妻は、…。子供を甘やかし、夫をさしおいて子供の愛情をひとり占めしようとするようなことはしません」

とありますが、子供の愛情をひとり占めって…変な表現ですね。
そんな事を考えているお母さんているんでしょうかね?普通JWでなくても家族全員で仲良くしたいと思うのではないでしょうか…。
それに、子供が複数いる場合には親の愛情をひとり占めしたいという表現はあると思うのですが、逆の場合違和感があります。この文章からは子供は親の為に生きている、親に尽くす生き物として考えられているように感じます


(はな)キティさん、普通に読めば違和感を覚えてしまう箇所を指摘して下さって、ありがとうございます♪ 結局JWは目の前の配偶者や子どもであっても家族といえども、心から信頼させないように誘導するゆがんだ教えだということですね。クリスチャン会衆という大きな家族の成員、そのまた家族を考えた時、会衆では親も未熟な子の立場に過ぎませんから、懲らしめられて当然。信者は懲らしめを感謝する。神は愛する者を凝らされるのだから、自分も神に倣って愛する子を懲らしめる・・次第に目的もへったくれもなく単なる習慣になって悪い兆候=鞭、正しい教え。日常的過ぎて無感覚に陥ったのかもしれません・・一人一人の親は普通の感覚だったはずなのにこういうものを繰り返し繰り返し長年に渡ってしかも、徹底的に教えられまた人にも教えていかなければならなかったのですから。長くなりました。また気がついたことなど教えて下さいね^^ 
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by hanamizukidayo | 2008-03-11 15:06

闇教育   完璧な"服従"のために

子どもの弱さ、未熟さゆえに起きる失敗を咎めて折檻するのはよろしくない。折檻しなければならない罪はただ一つしかない、それは強情である。つまり、勉強しないからと言って子どもを打つのも、転んだといって打つのも、泣いたからと言って打つのもよろしくないが、しかし、もしも子どもがそういう事であれ他のどんなちょっとした悪さであれ、わざとしているものであれば、必ず折檻しなければならない。もしも、あなたの息子が、あなたがそうしろと言ったから勉強しなかったり、あなたに逆らうために泣いたり、あなたを怒らせるために悪さをする、つまり強情を張っているのであれば、  
   その時は殴れ、悲鳴を上げるまで、
   やめて、やめてパパ、いや、いやと!

なぜならそのような不服従はあなたの人格に対する宣戦布告と同じであるから、あなたは力をもって力を制し、あなたに対する尊厳を揺るがぬものにしなければならない。そうでなければ教育などとてもできはしないのだ。折檻するときは手加減せず、息子にあなたこそ主人なのだということを思い知らさねばならない。であるからわざと知らないと言っている事をちゃんとするようになるまで、子どもも折檻を止めてはならぬ。そうでないと息子はあなたと戦いをして勝ったのだと考え、それから後折檻されることがあっても、両親の支配に屈したくないためにそれを無視するようになる。くれぐれも注意せねばならぬ。なぜならば、子どもという者は結構目の鋭いものであって、あなたの弱点に目を光らせている。あなたが怒りに我を忘れているのを見れば、子どもは、あなたの折檻を怒りのなせる業だと見てたかをくくるであろう。折檻はあくまでも、正義の実現であらねばならぬ。もしそれができそうにないのであれば、実際に刑を与える役目は人に委ねたほうが良い・・・・・・・

赦しを与える場合にも、まったくぶっきらぼうにしてはいけないが、多少渋った様子を見せ、あなた方が子どもを可愛いと思っていても、子どもが自ら犯した罪を完璧な服従によって償い、両親の忠実な臣下であろうと決意していることを実証してみせるまで、決して悟らせてはならない。
子どもが幼い時から賢明な教育を施していれば、このように厳しい手段に訴えずともすむのが普通である。しかし、学校に上がるまでそういう躾を一度でも受けていないと、子どもはそれまでに我意を持つようになっているから、どれほど厳しくしても効果は上がりにくい。しかしそういう場合にも、ことに向学心のある子どもであるなら、非常に良くないことをした時でも、殴るより効果にある罰の与え方がある。たとえば靴をはかさないとか、腹がすいたままテーブルにつかせ、食べ物はやらないでおくとか、急所をつくなど。J.Gクリューガー 児童教育の考察 1752年
                                                                                               by 魂の殺人
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by hanamizukidayo | 2008-03-11 08:00