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カテゴリ:宗教( 87 )

マインドコントロール解除プロジェクト

<お断りもせずに市川北教会から盗んできました。中澤牧師先生のサイトより>

トラクト「進入禁止」のご案内


表 紙  図  面    

               
             http://blog.livedoor.jp/hiyo25mekemeke/archives/51276644.html
こちらは、ひよかさんのページでご覧下さい072.gif
    

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(裏     面)


日本人ではなくなります

 エホバの証人の信仰を持つとは、日本人であることを捨て、エホバ神(旧約聖書に出てくる神の名)に全き献身を誓う「エホバ王国の民」になるということです。
 では、その王国とはどのようなものでしょうか。
 ①1914年、キリストが天において王に就任した
 ②その王国の政府は、144,000人の人々によって構成されている
 ③その144,000人のうち大部分は天上に復活しているが、地上には、現在8,600人ほどが生存している
 ④その8,600人の中でも、統治体と呼ばれる12人からなる組織(ニューヨークのブルックリンに本部がある)がエホバの証人の信者の教義と行動基準を指示する
 ⑤日本政府や国際連合などはサタンの支配下にあるので、地上の政府の政治的行動には参加してはいけない
 その結果、選挙では投票しません。
 それぞれの国歌、国旗なども認めません。
 警察官や自衛官になることはできません。


*組織は生活の細かなことまで規定します
 組織はエホバ神の意志を伝達する経路だと考えられ、その教えには絶対服従が求められます。例えば
 ①他の宗教関係の本を読むことは一切禁止されます
 ②輸血をすると地上で永遠に生きる望みがなくなると教えます
 ③誕生日は人間を崇めることになるとして祝わなくなります
 ④クリスマスやイースター、その他祝いごとは禁止されています
 ⑤いかなる場合にも、家庭や社会人としての義務よりエホバの証人の集会や伝道活動を優先させるようになります
 ⑥組織から離れた人とは、あいさつすることも許されません


*マインド・コントロールされた人間になります
 エホバの証人の集会では、ものみの塔の組織が出版する書物をのみテキストにします。しかも司会者は、その書物の中にあらかじめ用意された質問を読み上げ、信者はそのテキストの本文から答えるのです。このような教育方法は、組織が教えたいことを教えることができるきわめて巧妙なマインド・コントロールです。
 エホバの証人は、自分たちに都合のよいように訳しなおした「新世界訳」という聖書を使います。この聖書は、5人の人によって造られたのですが、聖書の原語(ギリシャ語やヘブル語)を知っているのは、その中でただ一人だけでした。聖書を正しく研究している人の中で、この新世界訳を認める人はただの一人もいません。例えば、ギリシャ語に関して誰からも最高の権威者として認められているJ・マンティ博士は、新世界訳について次のように述べています。
私は、「新世界訳」の翻訳ほど聖書の教えから逸脱したものを見たことがありません。この翻訳はあまりにもヘブル語やギリシャ語の原文からかけ離れています。この聖書は非常に有害です。あまりにも偏見に満ちています。自分たちの教義に合わせるため、多くの聖句を変え、結果として聖書全体を歪めてしまっています。


*預言は外れてばかりいました
 エホバの証人は、世界の最終戦争が間もなく来る、と教えられています。
 ものみの塔の組織は、これまで世の終わりについて何度も何度も預言し、それが外れる度に奇妙な弁明を繰り返してきました。
 例えば、この宗教の創設者ラッセルは、1874年にキリストが王に即位し、1914年にハルマゲドンの戦いが来ると預言しました。その預言が外れ、ラッセルは1916年に失意の内に死ぬと、その後継者は、1914年は世の終わりではなく、キリストが目に見えない形で天の王国の王に即位した年であったと言い変え、世の終わりは数年後に来ると教えました。
 1920年頃には、1925年に旧約聖書の人々(アブラハムやイサクやヤコブ)がこの地上によみがえって来ると預言し、アメリカのカリフォルニア州のサンディエゴの町に「ベッサリム」という家まで建てました。そのよみがえりがないことが分かるとその家はこっそり売られてしまいました。
 1960年代になると、1975年は人間が造られてから6,000年になるので、1975年に世の終わりのハルマゲドンの戦いが来ると教えました。その1975年が何事もなく過ぎてしまうと、大ぜいの人が失望して信仰から離れたのですが、組織は、そのような預言は一部の狂信的な人たちが言い出したことと、その事実を覆い隠してしまいました。
 外部の人たちから、こうした間違った預言の歴史が指摘されますと、エホバ神は真理を少しづつ明らかにしているので間違うことがあるなどと言い逃れをしています。


*訪問されたらどうしたらよいのでしょうか
 エホバの証人の訪問を受けたときあなたはこれまでどうしてきましたか。
 エホバの証人は、はっきり断られるまでは、何度でも訪問するよう組織から指示されています。しかし「訪問しないでください」とはっきり断るなら、再訪問拒否として、次回からは訪問されません。あいまいな態度を取らないことが大切です。
 エホバの証人が「聖書を学びましょう」と語りかけられても、それは決して聖書のほんとうの学びではないことを知ってください。それは「あなたも地上で永遠に生きられます」という組織の入門書の学びなのです。
 聖書を学びたい方は、お近くのキリスト教会に行き、聖書そのものを学んでください。


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by hanamizukidayo | 2008-10-25 20:33 | 宗教

q寄付のお話

今日は寄付についてご高齢の教会クリスチャンのお話を思い出したので、
書いてみます。

その日は、亡くなられた娘さんの命日だった(クリスチャンは命日という言葉は使わないかもしれませんが)そうで、お墓参りに行きたいけど遠いし、お父さんも足が悪いから歩けないと仰いながら、思い出を話してくださいました。

ご夫妻は、長年東京の九段にある教会におられたそうです。
もう一人の娘さんは近くに住んでいて、時々娘さんご夫婦の教会に行かれることもあるそうですが、アルツハイマーを患ってからは、"クリスマスや何か特別な時を除いてもう滅多に行かないし、聖書も読まないけど、困った時にはこうしてお手伝いに来てくださる人がいるし、美味しくお食事をいただけて本当に幸せ、感謝だわ"と 口癖のように仰るとても明るい綺麗なご婦人です。

お話の様子で教会のお墓は九段ではなく、おそらく郊外のどこかか他県なんだと思いました。
まだ現役の頃、教会の墓地建設にだいぶ寄付されたそうですが、
それはまあどの宗教でも、そういうことはあるでしょうね。

余談ですが、最近はお墓を建てたり、維持したりするのにお金がかかるし面倒だからと、インターネット墓地というものを利用する人が増えたとか。ほんまかいなと思いましたがwで、お墓参りもネットでする時代になったと新聞に載ってました。何かこう、霊魂を信じない中華思想みたいで、わたしは違和感感じます。それはともかくとして、千の風になってが流行した影響もあるみたいですね。


話、戻します。教会の墓地を建設した頃、信仰の篤いすばらしい先輩ご婦人がいらしたそうです。当然、熱心に墓地のために動かれ、寄付もたくさんされた。そして、誰よりも早くそこに入られたそうです、  「ねぇねぇ、お父さん。たしか1番だったわよね?アハハ!」上品なのに、こんな話もされる最高のお婆ちゃん、好きすき053.gif

寄付の話になったので、「献金箱が回ってきた時、どのくらい入れるのが常識なんですか?」
と尋ねたら「2、3百円でいいのよ、気持ちなんだから。会員になったら幾らか会費みたいなものがあるけどね」
「少ないかなと思いながら千円入れてたんですけど」と話たら、「幾らでも自由だけど、そんなに入れるは必要ない」というお話でした。おしまい
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by hanamizukidayo | 2008-10-24 15:39 | 宗教

厚かましく恩着せがましい命令 


  読者のみなさま、いつもご訪問ありがとうございます。

  以下はものみの塔2008年11月15日信者向け用の記事です。昨日、偶然入手して
  何気に読んでましたら目にとまり、怒り心頭ババーっと書きました。

   どうぞご自由に転載してください。




ものみの塔 11月15日号  P6 「 心と魂を一つにして神に仕える 」より



1)このような方法で与える人も いる。
 

世界的な業への寄付
金銭の自発的な寄付を  
〒 243- 0496
神奈川県海老名市中新田四丁目七番一号
  ものみの塔聖書雑誌協会     
もしくはお住まいの国を担当するエホバの証人の支部事務所へ直接送ることもできます。
       


2)「条件付寄付」の取り決め
将来何らかの事情で資金が必要になった場合に、寄付者が、寄付額未満の金銭的な援助を協会に要望できる、という条件がついた寄付です。詳しい情報をご希望の方は、ものみの塔聖書雑誌協会に手紙か電話でお問いあわせてください。
  


3)その他の寄付

不動産: 売却可能な不動産を、無条件の贈与として、ものみの塔聖書雑誌協会に寄付することができます。そのような寄付を望まれる場合は必ず前もって、ものみの塔聖書雑誌協会の法律部門と連絡をお取りください。

保険: 生命保険金などが支払われる際、ものみの塔聖書雑誌協会へ寄付されるようにすることができます。

遺贈: 法律に従って作成された遺言書によって、金銭、預貯金、有価証券、動産をものみの塔聖書雑誌協会に寄付することができます。作成する遺言書については、公正証書の形式をとることが勧められています。日本では、寄贈された財産が宗教団体の宗教的活動に用いられることが確実な場合、相続税の課税価格に算入されない「非課税財産」とみなされます。なお、不動産の連携を望まれる場合には、必ず前もって、ものみの塔聖書雑誌協会の法律部門と連絡をお取りください。


こうした寄付の場合は一般に、寄付者の側で一定の手続きを踏むことが求められます。このような方法によってわたしたちの世界的な業に貢献したいと願っておられる方たちのために、支部は参考となる資料を用意しています。資料や支部からの援助をご希望の方は、手紙か電話でお問い合わせください。あるいはお住まいの国を担当する支部事務所にご連絡ください。

   ものみの塔聖書雑誌協会
                    〒 243ー0496-  以下(略) 

                     電話  046-233-0005




急いでアップしました。現役サイトで取り上げているかもしれませんが(見ないのでよくわかりません)あまりにも厚かましく、礼儀知らずで身勝手なこの要求はなんでしょう、一体。
 (大体人様に寄付のお願い時は普通、低姿勢ですよ、世の常識!)

この法的に抜かりないよう計算し尽された文書、しかも尊大な態度は何ですか?「・・・することができます」という妙な日本語を使って信者に有無を言わせぬ取り決め、殺し文句ですね。
相変わらずです。  現役のみなさん、くれぐれも騙されちゃだめですよ033.gif033.gif033.gif

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by hanamizukidayo | 2008-10-23 20:43 | 宗教

信仰と狂信の違い

http://members.at.infoseek.co.jp/netplane/karuto.html#8

『セクト危険注意』(抄訳)
(国際ジャーナリスト・広岡祐児『フォーラム21』H16.2.1)

議会報告2468号がでたあとの96年9月にフランス青年スポーツ省が出したクラブや林間学校の指導者等宛の小冊子「セクト危険注意」を抄訳します。


何によってあるグループをセクト的だと決めつけられるのでしょうか?

まず不寛容、主導者(gourou)が曝いた真実だけが唯一無二なものだと信じ込むことがあげられます。残りのものはすべてそこから派生します。服従、虚偽の約束、だんだん大きくなる要求(金銭、時間、献身)、断絶(友人、家族、そして時には勉学や仕事)、監視、信者を募る義務、継続的な完全な従属、一言でいえば有害性。




セクトが明日の信者に誘いを掛けるため、利用する仮面とは何ですか?

理想、宗教、指導者の見せかけの価値、スポーツ・文化・人道主義的な政策、偽治療法、慈善活動、女性擁護、平和擁護、第三世界との連帯…




信じ込みやすい、狂信的な人々だけに関わる問題なのではないでしょうか?

違います。勧誘される人ははじめは普通の人達と同じです。まさに鋳型にはめるともいうべき方法ですこしづつ変化させた後、彼らは従属した、服従した、ロポット化された、あるいは狂信的人物となるのです。このように、我々は誰でも勧誘される危険性がありますが、それは決してセクトそのものには足を踏み人れたつもりではなくても、魅力的で、一見無害と思われる集団にははまってしまうからです。




俳優や知識人たちなどたくさんの人々が、入信したことによって価値あるものを獲得したと発言しているのは何故でしょうか?


まず、セクトが彼らをまるで王子様のごとく扱うからです。次に、彼らは重大な欠点とは別に、不安定な困難な仕事に立ち向かっていくための集団の支えという利点をそこに見い出すからです。最後に、高い代償を払って手に人れたものは簡単に放棄できないし、心理操作によって離脱行為はすべて裏切りと見なすようにされているからです。




このような集団に、どんな期待を抱いて入信するのですか?

じつに様々です。ある人達にとっては、温かい集団を見つけること、まことしやかに調われた大義名分への賛同や宗教的な理想の発見であったり、混乱や疑惑から逃れることであったり、奇跡的に病気を治すことであったりもします。




我々は、自由な国にいます。誰かをあるグループに強制的に入らせたり、力づくで引き留めたりすることがどうしてできるのでしょうか?

まさに、誰も力づくで引き留めたりはしないのです。少なくとも最初の頃は。その後、徐々に心理操作が行われていくのです。




それは、洗脳ということなのでしょうか?

洗脳よりはるかに狡猾(こうかつ)です。例えばヴェトナムで捕虜になったアメリカ人操縦士が受けた洗脳は強制的に行われました。現在のセクト集団では、信者は自発的に自己変革するとか、人道的あるいはエコロジー活動に身を投じるとか、治療するとかいっています。しかし、信者は騙されているのです。




何故人々はセクトについて行くのですか?


恩恵を期待しているからであり、またセクト集団やその指導者が説得力に長け、魅力的だからです。更にセクトは、個人が秘かに抱いている不安や疑惑を煽ります。人に劣等感や罪悪感を持たせるのです。




その代わり、何が約束されるのでしょう?

進歩、権力の獲得、啓示です。




そして実際には?
 

感情的な反応を挑発し、感動的な証言を提示し、集団の効果あるいは孤立や疲労の状況を作り出します。こうした事によって、教化に対して人を無防備にさせてしまうのです。
 その追究を我々に提示します。セクトにはまり込む人達はそれを信じているのです。実際にはセクト集団は、従順な信者の活力や仕事、金、時には肉体をも搾取し、その上に指導者の支配力を構築して強化することを狙う権力や集金の装置であることが多いのです。



あらゆる社会参加(政治的、宗教的、あるいは人道的)は、セクト主義への一歩を含むものなのですか?


セクト集団には組織への取込みがつきものです。社会参加と組織への取込みとは大きな違いがあります。
・社会参加は、一時的で変換が可能。
・社会参加はほんとうに自分を待ち受けているものがわかっているが、組織への取込みをされる者はわからないまま。
・社会参加では心理操作は存在しないが、セクト集団では必ず系統的に行われる。
・社会参加は限られた活動範囲のみに関係するが、組織への取込みは、全体的支配の構築(意見、信仰、感情、行動の仕方、あらゆる領域における服従)を目指す。




信仰と狂信との違いは何ですか?


信仰は寛容を前提としますが、狂信は一体性を要求し、外のあらゆるものと闘います。
 
信仰は私は信ずると言いますが、私は知っているとは言いません。

狂信は反論を拒否し、絶対の真実に自分たちは直結していると主張します。



宗教とはどう違いますか?


宗教は常にセクト的逸脱と無関係だったわけではなく、そのために闘いや迫害を巻起こしました。主な宗教に含まれるある種のグループが、現在でもなおセクト組織の様な行動を取っているとしても、その一般的な方向はセクト的狂信とはかけ離れています。さらにセクト主義は宗教の領域のみ関係しているわけではありません。他にもセクトのグループや組織は存在します。例えばナチズム、この政治的、思想的なセクト主義はとてつもない恐怖を引き起こしましたが、宗教として紹介されたことは1度もありませんでした。



宗教はセクトとして始まったのではないのですか?

主要な宗教はむしろ、過度な知的、宗教的、政治的権威に反対する解放組織のようなものとして始まり、創立者の死後発展していきました。それは幹部が個人的な権威あるいは栄光への追究を達成しようとした場合に限りセクト的な逸脱をしました




何故セクトを非難するのですか?

問題はセクトを迫害することではなく、犯罪が現実にあるという事実です。たとえば、子供の権利や労働法、民主主義的自由を遵守しないこと、汚職や現体制の転覆を試みることなどです。




何故国家は、セクトを禁止しないのですか?


思想の自由、宗教の自由、結社の自由によってセクトの禁止ができないようになっています
。実際、国家は、セクトのメッセージの内容だけから、ある団体は許可し、ある団体は禁止するというように宗教団体(あるいは偽宗教的、哲学的な集団)の間で差別するわけにはいかないのです。思想の異なる流派、伝統宗教、あるいは(危険の有無に関わらず)セクト[訳注:宗派、少数派宗教の意]の間に、信仰の理論上から可能な識別法はありません。それは、不可侵な領域であり、現状維持していくことが適当だと想われます。




セクトの違法的不正行為は、何故あまり処罰されないのですか?


普通法への侵害について議論が起るたびに、セクトの代表者らは、決まって宗教の自由というお得意の分野に議論を移そうと努めるからです。セクトに対する告訴の多くが失敗に終わるのは、被害者と推定された者が、法廷では事件の際同意していたとみられたり、セクトの信者が皆完全に心理操作され、弁護側証人として登場し、偽りの証言によって法廷を惑わすためです。




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<追記>

民主石井氏の「公明ばい菌みたいなもの」発言に新聞・マスコミの反応は鈍かった。
鈍すぎる。広告料スポンサーに頭が上がらないからあえて話題にしないのか、言ったのは民主だから・・にしてもこの偏向ぶり。これが与党側の発言だったら謝罪しろ、辞めろの騒ぎどころではないはずだ。

それはさておいて、JW系某掲示板に今日この記事を貼った。
元の人たちにもいろいろあって、一世、二世・三世の世代による見方の違い、例えば
宗教観や思想あらゆる好み、そこに多様性があるのは当たり前なのだが・・

ただ組織に対する考えの温度差、こればかりは簡単に同調できないものがある。
確かにJWを強く否定することで、自分のアイデンティティを再構築しようとする心の
作用も分るつもりだが、ある対象と比較し自分を高めたいだけに見える人も見かける。
たいていの元JWにとって、組織=自分史でもあるわけだし、愛する家族が
捕らわれているとすればJW=カルトは否定したいという気持ちが分らなくも
ない、が あえて言わせて貰う。はっきり言って残念ながら違和感を感じる。


カルトをカルトと言うことは差別語を使う失礼な態度だとでも思っているのだろうか?

上のサイトは学会の問題を扱っているが、JWはここまで汚くなかったと思われるだろうか。
もしそうであれば少し立ち止まって考えて欲しい。


私たちは学会よりもましな宗教だったと内心考えていないだろうか。
身に降りかかった不幸を嘆きながら、もし他人の宗教の不幸を見下す心があるなら
まだまだマインドコントロールが解けていない証拠では?

この記事にあるように、国家がセクトを取り締まるのは非常に難しい。
オウム事件を通しても私たちはそれをよく理解できる。

結局マスコミに訴えて何とかして貰いたいというのは、現実的ではない。第一甘い。


拉致被害者横田めぐみさんのご家族や、山口母子殺人事件の本村さんが、国を動かし司法を動かせたのは何だったのか。私が思うにそれは、良識的なごく一般の人々の心を動かす何かがあったからだと思う。その何かが、国(政治家)や裁判に反映する言動力になった。。つまり良識ある人々の支持、<世論>が見方になった功績だと思う。
そして世論を、人々の心を動かしたのは、ごく普通の良識的で健全なものの見方を貫かれた
横田さんや本村さんの姿、つまり誠実で真摯な家族を思う愛が、見る側の琴線に深く触れたからではないだろうか。もし、自分がその立場におかれたらどうか、人事ではないと。

事件当時、若干20台前半だった本村さんの、死刑を求める主張はテレビ・マスコミさえ動かした。新日本製鉄の技術者として、社会人としての勤めを果たしながら、過酷な裁判を闘われた。

理不尽な裁判結果にやり切れない思いをマスコミ世論に訴える手段として、自殺を考えた日々もあったと言う。しかし死んで逃げるのではなく勇敢に立ち向かわれた。


最高裁の判決が下りてから、本村さんはこう書かれている。

遺族のこれまでの思いを代弁してくれただけでなく、過去の判例に捉われることなく、まさに真相を究明し、事実に即した判決を下してくれたことに感謝する。
(略)
君(元少年)への死刑が執行されるなら、結局、事件で3人の尊い命が失われることになる。それからの私は、君を含めて3人の十字架を背負って生きていくのである
。                                                      will 6月号


たった一人の戦い、たった一人で引き受ける 重みへの覚悟

その姿に、現代人が失った尊い精神の高みを人々は見た。


人を動かすものは何か。
救い救われるとはどういうことか。

大切なものを守る強い意志と決意、戦うこと、恐れないこと、失意から立ち上がること。
謙虚に真摯に向き合っていくことこそ、カルトを経験した私たちの課題ではないだろうか。
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by hanamizukidayo | 2008-10-07 20:13 | 宗教

人は、みんな変わっていくものですから・・・  by サチエ(かもめ食堂)

 どうやら、人は人に出会うために生きているようですね。
 現実の日常であれ、ネット空間であれ・・何かに引き寄せられるように
 人との出会いがあり、またお別れにも意味を感じます。単なる偶然ではなく
 私たちの人生が、より豊かに濃くなるように見ておられる方の働きを感じます。
   わたしもあなたに好きな詩を送ります。

           ネオさん、いつかまたね。 お幸せに001.gif


  「一期一会」

 忘れない

 愛する意味を

 愛した時間を


 愛するあなたを

 私は一生忘れない




ネオさんより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かもめ食堂におじゃまして、7日が過ぎました。

自分の心の中を見るのは久しぶりでした。

しばらく、おわかれです。


はなみずきさんとご家族、妹さん、お友達に平安を。


ネットで見付けた 詩 を
あなたと、あなたの妹さんに送ります。


 
  シオンの娘達

 盗人に囚われた、シオンの娘達が帰ってきた。
 心を砕かれ,狼の鞭に家族を引き裂かれて,
 シオンの娘達が帰ってきた。

   
   休みなさい、シオンの娘達。

 
 あなたがたの労苦は虚しいものだったが,
 あなたがたがのべ伝えた言葉は、
 まさに御言葉だった。

  癒しなさい、あなたの心を。

   
 あなたがたの献身に、
 応える盗人はいなかったが、
 きっと、応えてくださる方が居られるはず。

  
  癒しなさい、あなたの家族を。

 
 門から、一人の方が入って来て、
 自身の羊たちを呼び集めるその日まで、

 
  休みなさい、シオンの娘達。

  
 あなたの優しさと、心に染み入るすばらしい詩に感謝します。 はな
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by hanamizukidayo | 2008-10-01 12:12 | 宗教

一神教について③

   ここを読んでくださっている皆さんへ
   拙いブログにご訪問ありがとうございます。

   始めた頃と同様に、今も出来るだけマイナーをモットーに
   マイペースで書いています。
   特別な方向性や目的も定めておらず、
   気のむくままパソコンに向かってきました。
   来てくださっている皆さんのブログに訪問もせず、
   長い間本当に失礼しています。もう少しでいろいろなことが
   片付きますので、そうしたらまた遊びによらせてくださいね。
   お願いします029.gif
   
ところで、「パウロの生涯とイエスの実像」というサイトがありますが、
みなさんご存知でしょうか?
JWを経験されたされた方々にはぜひ一読して欲しい、そんなサイトです。
リンクフリーだそうですので、この記事に目を留めてくださり、いいなと
思われたらお友達にも教えてくださいね。
      


本来ならサイトの筆者さんに了解を得るのが先なのですが、
今日は時間がないので取り合えずアップさせてもらいます。

モーセと一神教を書いたフロイトの説と調和する大事な部分だと
思ったので、一部転載(太字部分)しました。
創世記には二つの物語、二通りの流れがあると聞いたことはありましたが、フロイトの説、
つまり、多神教の火の神神ヤハウェ(エホバ)と、一神教のエジプトのイクナン教信奉者モーセの物語を重ねてみると、そうなってしまった因果関係の説明がつくように思います。

少し話がそれますが、このサイトでは神の民イスラエルが、カナンへの侵略戦争を引き起こし、
一方的な虐殺行為によってカナンの地を攻め取ったという、理不尽な聖書記述についても
興味深い解釈をしてました。
聖書は神の御業として特別な方法で民を守ったり、導いたりしたと書いてあるけれど
当時の中東における民族・部族間においては特筆するほどのこともない、
むしろその時代は一般的な武力闘争に過ぎなかったのだから、イスラエルが
特別よくも無ければ悪くもない単なる歴史の一こまに過ぎないと読むべき・・
そういう意味のことが書いてあったと思います。

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament5.htm

よく平和な平常時に、ある人々が過去の特別な時代のことを「今時点の感覚」で
正義・正論を振りかざして裁いたりするのもどこか同じようなモノではないかと
言う気もしますが、これは余計な一言かな。



引用*****
古代ヘブライ語の旧約原本によれば、創世記の第1章に登場する神はエロヒム(Elohim、神々という複数形)とあり、第2章の4節からはヤハウェ(ヤハウェー、Jawhe)の名前で書かれていまして、後の文章も全般に渡りエロヒムかヤハウェのどちらかあるいは両者一緒に使われています。この事から、別々の2つの原本が後のモーセ五書に組込まれたのではないかと推定されました。ヨセフスがエジプトに奴隷で売られた話にも、一つの句にはエロヒム、別の句にはヤハウェの名が並行して用いられていますし、ノアの洪水伝説にも同様で・・・もしエロヒムとヤハウェの話を別々に抜出せば、2つの独立した物語(そのうちのどちらか1つを眺めれば矛盾がない一貫性のある話になる)が出来る

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament.htm
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by hanamizukidayo | 2008-09-24 01:58 | 宗教

ヤハウェ(エホバ)唯一神教はどのように生まれたか① モーセと一神教を読んで

結論から言えば、アブラハムの神・ユダヤ教の神は、人間が考えた神
(裁きの神、ねたみの神、契約の神、義務を伴う神)だった。

この神「ヤハウェ、あるいはエホバ」は、元を辿れば古代アラビアのミディアン人が
崇拝した多神教の「火の神」だった。

ではなぜ、唯一まことの神・一神教の神として世界に君臨し(ているかに見える)
現在に至るまで信じられているのか。モーセとは何者か?

ジークムント・フロイトの「モーセと一神教」がその謎に迫っているので、
興味のある方は読んでください。←なんかこういう言い方しかできなくて
すみません。JWみたいですね。でも、ここに書くと長くなってしまいそうなので。

フロイトと言えば精神分析ですから、この本の専門的解釈も多々あると思いますが、
ユダヤ教創立の"歴史物語"としてストレートに読みました。精神分析、ムリだし。 

これを読んだことで、いわゆる伝統的な教会の礼拝メッセージとは一味異なった
メッセージを発信しているキリスト教サイト「コイノニア」をはじめ、幾つか読み
直してみる機会になもなりました。

聖書原理主義(聖書は一字一句まで神の言葉とする原理主義)からの脱皮
聖なる書物への後ろめたさや罪悪感なし。私の収穫はこれに尽きましたね。

フロイトの意図がそこにあったのかどうかは分からないけど、結果的に
フロイトは、キリスト教に対するユダヤの優越・選民思想を説いてしまいました。
それは自身にとって身を削るような作業だったかもしれませんが。
組織の権威主義や選民思想に、疑問や嫌悪感を感じた元エホバの証人は
その類似性に「やっぱりねー」と、うなずかれることだろうと思います。
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by hanamizukidayo | 2008-09-16 16:44 | 宗教

ヤハウェ(エホバ)唯一神教はどのように生まれたか② コイノニアより


以下は、コイノニア講演会第6章より抜粋したものです。
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koenchaps.htm


私たちは一般に、一神教とはひとりの神を崇拝し、多神教は多くの神々を
拝むことだと考えています。

そして、日本は多神教の国であり、欧米はキリスト教だから一神教だ。
なんとなくそんなふうに考えています。
多くの知識人たちも、宗教を語るときに、この点をずいぶん大ざっぱに割り切って、
これを前提にして議論をしているようです。

ところが、一神教と多神教との関係は、実はそれほど単純ではありません。
 
 まず、一神教と唯一神教、多神教とその最高神、これらの関係から説明します。

モーセの十戒は、「あなたがたには、私のほかに神はいない」という宣言で始まります。

このことは、「あなたがた」以外の周辺の諸民族は、ヤハウェ以外の神々を拝んでいたことを意味しています。
すなわち、この宣言は、「神は宇宙にただひとりしかいない」と言っているのではありません。
大切なのは、「あなたがたには」のほうです。

モーセの民にとっては、神はヤハウェ一人だけである。こう言っているのです。

つまり、ほかにも神はいろいろあるけれども、あなたがたはそれらでなく、
一人の神だけを「主なる神」として礼拝しなさいという意味です

これが一神教です。
しかし、これは「唯」一神教ではありません
 
 イスラエルの神は、このように旧約時代の初期の頃には、一神教であったと言えます。
ところが、アッシリア帝国によって北イスラエル王国が滅び、バビロニア帝国によって
南ユダ王国が滅ぼされて、ヘブライ民族は捕囚として50年ほど異国の地にとらわれる
という厳しい体験をします。

この前後に、ヘブライの預言者と呼ばれる一群の人たちが現れます。
これらの預言者たちを代表する人物にイザヤという人がいますが、彼は、
ヤハウェこそ、全世界を支配する唯一の神であると宣言するのです。**

 この頃から、ヘブライの神こそ全宇宙を支配する超越した神であるという唯一神教が芽生え始めます。
一神教から唯一神教への移行が生じたと言えましょう。

注意しなければならないのは、唯一神教が、このように民族的な危機の中から
生まれてきたということです。


(補足*)旧約聖書成立
かなり以前から広く知られている事ですが、旧約聖書は歴史的順序では書かれておりません。最も重要な書と言われるモーセ五書は、バビロン補囚からの帰還後かなり遅い時期に書かれ、しかも創世記1章「天地創造」は、モーセ五書編集の一番最後に書かれたとも言われています。


ヘブライの神は本来一神教でない

 ところで、イスラエルの神は、そもそものはじめから一神教であったかと言えば、
実はこれも、それほど単純ではありません。

ヘブライ語の「神」を意味する「エロヒーム」は複数なのです。

このことだけでなく、旧約聖書には、ヘブライの神が、その原初から一神教ではなくて、それ以前に、イスラエル民族が多神教の影響を受けていた形跡があります。たとえば、旧約聖書には、太陽、火(セラフィーム)、風(ケルビーム)、巨人など、自然を人格化した表象表現や天使たちや巨人がでてきます。

これらは元来、太陽や風や火が、なんらかの霊力のあるカミとして崇拝されていた時代の痕跡を残しています。また神々が人間と交わって半神半人の英雄がいたことを示しています。
聖書で厳しく排除され、あるいは忌避される悪霊でさえもそうです
これなどは、おそらく外国のカミであったのが、唯一神教の影響で、悪の霊へと落とされていったと見ることもできます。

こう見てくると、ヘブライの宗教だけを通じても、多神教の影響から一神教へ、さらにヤハウェが「神々の神」として最高神となり、さらに唯一神教へ推移するという複雑な過程を認めることができます。


 補足  

(**)バビロン補囚期に、イスラエルの民衆の声は・・・何故神は約束の土地を奪い、神殿を焼き払い、我々を見捨てたのか?神の契約は偽りだったのか?・・・この絶望と不信感、それに預言者の厳しい声が重なり、原始信仰(ヤハウェーエロヒム)を超えた本格的宗教(ユダヤ教)が生まれたと考えられます。
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by hanamizukidayo | 2008-09-16 15:29 | 宗教

jw問題

とっくにご存知の人は多いと思いますが、最近、どせいさんの掲示板で
「エホバの証人問題」を社会にもっと認知してもらうためにどうしたら
良いかが話題になっていたんですね。
しばらく見ていなかったので知りませんでした。


「問題」はすでに、インターネット上で情報がたくさん発信されていますが、
真面目な現役信者は見ないでしょうし、
テレビ・マスコミは、警察ではないけど、よほどの事件性がなければ
取り上げないでしょうから、難しいことだなぁ・・と、
いろいろ考えてしまいました。

マスコミの報道は事実だけとは限らないのですし、あの掲示板の発言にも
あったように、特に朝日は捏造しても自分たちの意図する方向に世論を誘導ます。
またテレビも、一般人の感覚とは温度差を感じることがしばしばです。

テレビで思い出しましたが、8月に見たNHK・BS放送の「アウシュビッツ-5」の
冒頭では、ナチスの「強制収容所で殺されたのは、約700人(確か)のエホバの証人・・」と
真っ先に紹介していました。
こうした番組をたまたま見て、ものみの塔は「立派な宗教だ」と勘違いしたり
見直す人が、もしかしたらいるかもしれないと思いましたね(汗)


本当に知りたい事を調べるにはインターネットが適していると私も思いますが、
「エホバの証人問題」を、「専門家」をはじめ、世の中が「社会問題」としてみるか
どうかは、正直言ってあまり大きな展開は望めないような気がします。
今現実に家族関係や冠婚葬祭や輸血など、問題に直面して、深刻に悩んで
おられる方たちには申し訳ないのですが。


輸血問題がニュースになった以降、エホバの証人に対する反応は、確かに冷やかになったと思いますが、、オウムのような事件があってもアレフとして存続しています。統一教会もそうですが、排斥運動がおきてもカルト教団そのものががなくなった話ははめったに聞きません。
それは自分に直接関わることがなければ、大方の人は宗教に冷ややかで無関心だから
なのかもしれません。

組織が衰退していつか無くなるには、新らしい信者を作らないこと、
そのためにはインターネットが大変有効だと思います。
そして可能な限り身近な現役信者に組織の真実に気付いてもらう
ように、個人レベルで努力することも大切でしょう。
でもこれは実際相当のエネルギーが必要で、未だに「楽園が来る、
この組織が唯一の神の経路だ」と言ってはばからない現役の妹と
話していると、ああこの子はもう一生辞めるつもりなどないんだなぁと
むなしい脱力感を覚えて、JWのことなどもうどうでもいいと
放り投げたくなってしまう時もあります。

結局、問題意識を持った人たちが一致結束すればもう少し
「社会問題」として世の中に浸透する可能性はあると思います。
逆にそうでなければ困難ではないかと危惧します。なぜなら
今も奉仕活動と称してJWの宣伝活動は、絶え間なく行われて
いるのですから。

最後に、個人的にはいい人だからとか、良い部分もあると
元の人たちや家族が擁護するのは「問題」の解決にはならないし、
意味がないような気もします。
この点はまた別の機会に・・
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by hanamizukidayo | 2008-09-04 11:42 | 宗教

今頃、大会の話w

先日JW現役・妹が、「今年の地域大会はすばらしい3日間だった!」と、
珍しく先方から電話があった。
どうでもいいけど、正確には「今年も」と言ってたかもしれない。

大会会場で私が現役だった頃、一番親しくしていた**姉妹に
会ったら、私の話になって二人して泣いたと言う。
うーん、そう言われても複雑。はっきり言って今さらって気もする。
でもまあ、いろんな意味で妹に迷惑が及んでいることは
察するので、「ごめんねー」と返事するしかなかった。


大会の少し前、元JWの友達からこんなメールが届いた。


「今週は**の大会らしいです。
ようやく、よそ者のように、大会かーって考えられる

不思議な開放感があります041.gif


思わず笑ってしまったが、彼女は本当に長い間、よく闘かって来たと思う。
私はネットの情報を見たり、引越しを重ねて遠ざかったが、そういう手段を
使えなかった分、苦労も大きかったと思う。


それぞれに家族があり、仕事もしていたため、会って話す機会は
めったになかったが、お互いにその存在が力になっていた。
それにしても・・ついこの前まで、確か今年の春頃まではイライラして
ストレスが昂じると、「もう辞めさせてくださいっ」と長老に電話していた
という彼女なのに、強くなったものだと感慨深かった。


妹の話に戻るが、最近開拓バリバリだった姉妹が集会に来なくなったと
言う。「病気になったら、もう集会に行かなくてもいいんだと、喜んでいる
みたいなの。前は具合が悪くて集会を休む人を散々裁いていたのに!
それにたまに来る時は、みんなに抱きかかえられて凄く悪そうにしてるけど、
家では全然違うのよ。チャリに乗ってる姿を見かけた人、躓いていたわ」

よくも悪くも、その姉妹の気持ち、分かるなぁと思いながら
「病気なんだから、今までと同じように優しくしてね」と言ったら、
少しむっとした声で「もちろんそのつもりだよ」と返ってきた。

病気になって初めて・・身の振り方を真剣に考えるきっかけになるケースも多いと思う。
病気にでもならなければ、自分の状況をゆっくり冷静に考える時間もないのだから。


先週、大会で発表になったらしい新しい書籍が2冊、ポストに入っていた。
「自分を神の愛のうちに保ちなさい」
私が会衆を去った頃に出た「エホバに近づきなさい」という書籍に似ているような
気がして、目を通してみたが、丸ごと、JW流道徳律本に過ぎなかった。
  そのおきてを守り行うこと、これがすなわち神への愛です。ヨハネ5:3

神の「愛」のうちにとどまるには、何が求められるか。
おきてによく従い、汚れた行いを避け道徳的なクリスチャンとしてふるまうこと。

極々、当たり前のことをもっともらしく表現したものに加え、
大部分はあくまでも、JW独自の基準の押し付けに過ぎなかった。

要約すればこういうこと(これまでと何も変化はありません)
組織の律法に従うことが救われる条件です。邪悪なサタンに支配され、
この世は誘惑と悪に満ちているけれど、私たちの示す「立派な業」に
よって、エホバへの愛を実践し、その業によってJWだけが救われますように!
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by hanamizukidayo | 2008-08-31 00:01 | 宗教