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カテゴリ:宗教( 87 )

見覚えのある顔だと思ったら


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(出版社)
名 称 株式会社 麻布プロデュース
所在地 〒105-0001
東京都港区虎ノ門3-8-27 巴町アネックス2号館6F






(以下アマゾン・レビューより)

希望の力, 2006/1/6
By ふわふわふわりー (群馬県)

恐ろしい絶望と恐怖の中で、消えることなく輝いていた聖書研究者たちの信仰と希望に、とてもさわやかなものを感じました。
リープスター兄弟が聖書の神の言葉によって強められ、神の王国の希望を見いだすことができて、ほんとうに良かったです♪

一番印象に残っているのは、初めて出会った聖書研究者の「ほほえみをたたえて輝くまなざし」です。
神の王国の希望が、どれほど人を強くすることができるか、改めて実感しました (><)/
自分も、これから先、何が起きようとも、神の王国の希望に焦点をあわせて、霊の実を示してゆきたいと励まされました^^


神の王国の希望が輝いていました, 2006/3/11
By ふわふわ (群馬県)

最近、やっと2回目を読み終えました♪
自分が抱いている神の王国の「希望」が、とっても貴重で大切なものであることを実感できた体験記でした。
自分の一生の中で、2番目に好きな本になりました (^-^*

だれもが骨と皮ばかりになる、あまりにも過酷な環境のなかでも、
聖書研究者たちの信仰と希望、そしてパープルトライアングルが
ほんとうに輝いていたと思います。
極限の状況に置かれたとき、神の王国の希望があるのとないのでは、これほど違うのか・・・と、深く考えさせられました。

聖書研究者たちの模範にならって、死に至るまで、
神の王国の希望を決して失うことなく、神の言葉を学び続けてゆきたいと励まされました!
             


         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「忠誠を保った立派で模範的な」クリスチャンのお話の本です。



先日T姉妹(不活発暦5年くらい)からこんな感じのメールが来ました。


「訪ねてきた姉妹に薦められて買ってしまい

夜中にうなされて大変な目にあった

出版社から出ている本で、協会の見方とは違うと言ってた。
途中まで読んだけど具合が悪くなった。
読みたいなら回すけど?」

うなされるような本を私に?って一瞬思いましたけども、
薦めたという姉妹の心境を知りたくて読むことにしました。

毎日持ち歩いていましたがハードカバーの分厚い本だし、暑いし
あまり気乗りしないまま今日まで開かなかったのですが、
夕方から右上の本を一気に斜め読みしてしまいました。


「この頃までは、組織も神に用いられていたのかな。
  T姉妹はどこが気持ち悪いと感じたのかしら。
収容所の残酷シーンだとかそんな意味ではないはずだし・・」

あらためて表紙をみると、どちらも見覚えのある顔です。
筆者の履歴には一言もJWだと表記されていないけれど
JW経験談そのものだし、紛れなく兄弟・姉妹だし。

 出版社から辿ってみようと検索してみました。
  
   麻布プロデュース出版部(訳)


なにやらブロパガンダを狙ったJWのダミー会社のような気がします。
JWの息がかかった書物が一般の会社を装って?出版されている、
そういうことでしょうか。
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by hanamizukidayo | 2008-07-25 20:46 | 宗教

「緋色の野獣」について

ネットではとっくに周知の事実だが、90年代はものみの塔協会の雑誌で国連の「広報」活動がなされていた。

http://www.geocities.com/wts_rides_the_beast_jp/support.htm




当時、それらの記事に対して矛盾しているとか、おかしいと考えなかった。協会の記事を盲目的に読んでいたからだ。90年代・・私はまだ、ネバならない・・組織を信じたいと思っていた。



最近やっと気がついたのだが、
国連は本当に緋色の野獣だったのだ。
JWの説は正しかった?


その通りかも知れない。



ありがとうとお礼のひとつも言いたいところだが、
お得意のダブルスタンダードを
やってくれちゃってるだけの話なのだ。、
信者には一般のキリスト教会、
特にバチカンを痛烈に非難する手段として
国連を表向き利用したのだと思う。

JWの「真理」の敵は健全な諸宗教・教会だったが、国連はお友達だった?
国連は宗教界も絡んでいるのでややこしい。


協会は一応国連との関係を否定する文書を公表したが、口先では何とでも
繕うのがカルトの体質である。
表向きの情報を信じることは出来ないだろう。

  
http://www.stopover.org/lib/translation/NGO/support.html



最近、私は以下のことを確信した。

国連の真実の姿は共産主義という紅い世界征服者たちの巣窟である。。

平和と人権と環境をスローガンに、偽善を吐き散らす「緋色の野獣」であると。



偽善の化面をかぶったJW組織が、国連の正体を見抜いていたのは
そこに自己の姿を投影し、本能的な嫌悪感があったからだろうか?


いや、それよりもっと真実に近いと思うのは、初代会長フリーメーソン説
である。
そうであれば、JWの正体そのものが、パリサイ派ユダヤ人という
国際的な陰謀の一機関であり、国連との深い関係を秘めていると考えて
おかしくないのではないだろうか。ちなみに創価も統一も同類だろう。
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by hanamizukidayo | 2008-07-21 10:50 | 宗教

ワン・ワールド普及団体

反エホバの証人のサイトを見て最近思うこと。

証人たちは、個人的には非常に穏やかで誠実、社交的で人当たりがよくて信頼に値する人々・・
そして、組織はお金に汚くないと考える人が多い印象を受ける。
また、社会的な犯罪を犯す破壊的なカルトとは一線を引いて考えるべきで、
深刻な問題点はだんだん緩和傾向にあるので、いずれは伝統的な宗派に統合されるのではないかといった楽観的な見方が占めているように思う。


しかし、私はそうは思わない。


確かに個々の信者や子供たちや研究生のほとんどが真面目で真理を探究する人たちだったことは認める。
しかし、諺にもあるように
「朱に交われば朱くなる」のである。


破壊的であろうとなかろうと、正直で誠実そうな仮面をかぶった欺瞞的な組織が
単に目的もなく終末・ハルマゲドンで信者の人生をコントロールするはずがない。

また輸血拒否や、兵役拒否や党員カードを買わせないことでむざむざと
信者の生活や命を見殺しし、事実上流血の罪を犯しているのは犯罪行為も同然ではないか。
(被害者は信者だけだから問題意識が薄いだけ)


金銭の問題に関しては、具体的な証拠を挙げることはできないが、
学会や統一やアレフなどと大差はないだろうと思う。
一部の幹部クラスによって、真実を知らされない末端信者の状況は
 JWだけが例外だんてまったく幻想だと思う。

以下、妄想・・

こういうことを考えていると頭がガンガンしてくるのだが、
JWの初代会長・ラッセル師はフリーメソンと関係があった。

フリーメーソンそのものについては諸説があるようなので、
真実は分からないとしか言いようがないのだが、
興味があったら見てください ↓
  
  http://elbaal.hp.infoseek.co.jp/olympians.htm#oly



一見キリスト教に見えるがすでに悪魔教に
すりかえられた出版社によるワン・ワールド
政府の普及・催促
   コレだ。


地上の楽園(共産主義)、 清い言語の一致した世界(地球市民) 古い人格を脱ぎ捨て
神の支配という理想社会にふさわしい臣民教育・・これがJWだった。
国のない漂流民族への思想改造。

JWも大きな闇の組織の歯車の一つなのだろう。
http://www.geocities.com/wts_rides_the_beast_jp/support.htm?200818
  (写真のエリノア・ルーズベルトについてはいつか書きたい)
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by hanamizukidayo | 2008-07-18 12:07 | 宗教

宗教的寛容 - 日本人のキリスト教を求めて

数ヶ月前に偶然見つけた、「コイノニア」というサイトを愛読している。

僭越ながら、戦後の歴史観や思想的な部分には正直気になる点もあるが、日本人としてキリスト教をどう捕らえたらよいのか大変参考にさせていただいている。また「イゲンを語る」ことなども
私には分からないとしかいいようがないが、いろいろな信仰観を持った人たちの集まりという点に心惹かれるものを感じる。

教会に行っていた頃は毎週の礼拝が待ち遠しく、貪るように説教を聴いて毎回が感動の連続だった。
今は離れているが、もしもまったく政治的な事柄には無縁か、あるいはカトリック教会のように
個々の思想・信条が右も左にも関係なく許され、自由で良いのなら、できれば儀式的なことより聖書の学びを大切にするプロテスタント系の教会に所属したいと今でも願望している。


以前の私だったら、[神様]の前に自分の主義主張などとんでもないことだと思っただろうし、口が裂けてもこういう本音は言えなかったと思う。
でも、たとえ「その考えは間違っているよ。遜りなさい」と忠告する人が現れても「思想」は感情つまり、好みの問題だと思うので、方向転換して改めようかなと言う気になれない。自分の好みや感覚がすべて、そして常に自分が正しいと言うつもりはないが、聖書の学び以外の部分に相当する(と思う)牧師や教会の意見が全面的に正しいとも言えないと思っている。そういうことは本当は話し合ってお互いの違いを認め合ってもいいんじゃないだろうか。残念ながら、JWで骨抜きにされた後遺症なのか、話し合いにならない雰囲気に呑まれてしまい、ある意味信仰には関係のない部分でひびが入ってしまった。でも、これも一つの経験だと思う。。


行き詰まって悩んだ頃、このサイトを知っていて良かったと、
感謝している☆





<日本文化悪霊論を批判する>
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/kowa/bibliolatry.htm



明石順三氏や美智子皇后さまのことにも触れているページ↓
皇后さまのお心に深く感動しました。

http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koen/chap10.htm
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by hanamizukidayo | 2008-07-02 17:49 | 宗教

いっしょにいなかったので



トマスよ

あなたの手をのばせ


わたしのわきの傷跡に手を差し入れて見るのだ

復活の朝 より確信を持つために疑ったトマス

わたしのうちにもいるトマスなのだ


トマスよ

いっしょにいなかったので 疑うのか

わたしはいつもあなたとともにいるよ

       (SSK  野の花より) 

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by hanamizukidayo | 2008-05-22 10:13 | 宗教

嵐の中の平安

元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれひとりとして命を失う者はないのです。

                          使徒言行録27章22節


 
 神様は、「あなたは嵐に遭うことはない」とも、「あなたは何も失うことはない」とも言ってくださいません。神様が約束してくださっているのは、「嵐に対する平安」ではなく「嵐の中の平安」です。どんな嵐にあっても、何を失っても、あなたは必ず守られ、主の備え給う港に安全に上陸することができる、その保証が神様の約束です。だから、嵐にもまれても、何かを失っても、希望を捨てず、元気を出しましょう。
                                                                                                                                    
                                      教会メッセージより
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by hanamizukidayo | 2008-04-05 11:31 | 宗教

桜  日本人  信仰


 ∞∞∞∞∞∞ 本日の名言 ∞∞∞∞∞∞     


薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、    
我々は分つことをえない。    
薔薇は桜の単純さを欠いている。


  ― 新渡戸 稲造 ―       ( 武士道 )   


http://www.makuya.or.jp/forjapan/kirisuto/nitobe.htm a>


http://www.makuya.or.jp/forjapan/kirisuto/uchimura.htm
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by hanamizukidayo | 2008-04-04 09:25 | 宗教

お薦めサイト紹介


最近、暇さえあれば教会サイトを見ています。




聖書をどのように読むか、共感したサイトです。
 ファンダメンタリズムにも注目  



   www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spiritchaps.htm" target="_blank">www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spiritchaps.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spiritualityindex.htm
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by hanamizukidayo | 2008-04-03 09:28 | 宗教

教会  -  イースーター礼拝

昨日は教会のイースター(復活節)礼拝でした。

JWの記念式、今年は22日だったようですが、見事な満月を
見るといやでもJWに関わった年月のあれこれを思い出して
しまいます。

JWを辞めても依然としてニサン14日は「特別な日」だという
思いに縛られていたことに今頃、気がつきました。
この時期は記念式に誘われることとはまた別の意味で、
毎年気持ちが沈みがちでした。

イエスさまの受難、組織を離れても「特別な日」だという思いを
捨て切れなかったのはこれだったと思います。


不活発になってから私は家族も親しい人も記念式に招待しようとは
全く思わなくなり、式が始まる直前に会場に駆けつけ誰とも話さず
終わったらすぐ席を立つ、そうした2,3年を経て一昨年から
行くのをやめましたが、私にとってJW最後の呪縛は記念式への
こだわりでした。今年は教会で2月から6回に渡って受難節の
メッセージを聞くことができたのは幸いでした。


イースター礼拝ではマルコ16章を中心にしたメッセージを聞きました。

主イエスが罪人として刑場で亡くなった後、本来ならそのまま
罪人は放っておかれるところをアリマタヤのヨセフという有力者が
ピラトに遺体の引渡しを申し出たので、イエスの亡骸は墓に収められ
たこと。女達は(弟子の男たちは散っていた)イエス様の最後に立ち会い
お墓の場所も見届けて知っていた。そして安息日が明けてから
「墓の入口から誰が入口の石を転がしてくれるでしょうか」と話し合いながら
向かったが目を上げると石はすでに転がしてあった。そして、
墓にはイエスの亡骸が無かったので、女たちは怖くて震え上がった。
                     (マルコ16章)

弟子達にとってさえ、イエスの復活はその時点で信じがたい出来事でした。
決してきれいごとだけを見る者ではない、現実の厳しさや見過ごしやすい
自分自身の醜さをクリスチャンは見る者なのです。
そして必ず死を迎えますが、キリストの甦りによって永遠の命に移される
道が開かれましたから、主イエスが死んで復活されたこの出来事は聖書の福音です。
(↑メモを取らなかったのでうろ覚えです)



残りの者級という特別な人々を崇める「特別な式典」、それは
聖書のどこにもないJWの独善的な教理でした。確かに表向きは
キリストの死に注目させていますが、同時に油注がれた「特別」な
人々を過度に際立たせようとする偶像崇拝の儀式です。

「油注がれた特別の人々」だけが天に行き支配者となり、他の人たちは
自分たちに支配される大群衆だと思い込んだ一部の選民思想人間に
注目させるためのパンとぶどう酒を見守る式典。キリストの贖罪とセット
になっていたため、長い期間誤った教えの刷り込みから解放されていなかった
ことにやっと最近気が付きました。



昨日の礼拝には友人が来てくれました。


「もったいぶった話し方でないところが
とても良かった。行って良かった」と
夜、メールが届きました。

思うところは一緒です。
もったいぶった話が得意で、特別の人種のように振る舞い
世の中の人たちを裁き、仲間でさえ自分たちの基準にかなわないと
平然と裁いた会衆の指導者たち。

会衆に痛めつけられ傷ついた人たちが
主イエスさまの本当のメッセージによって
心の安らぎと霊的な傷が回復できますように。



      。。。。。。。。。。。。。。。

先週から花粉症で、毎日クシャミとハナミズ・目のかゆみに
参っています。今年は予報通り花粉の量が多いですね。
去年は比較的楽だったのでそろそろ体質が変わって治ったかなと
期待していたけれど、甘かったようですw

薬を飲み飲み動いていますが、休日に幾ら寝ても疲れがとれません。
体調が良くないと考えもまとまらないので、更新も滞ってしまいがちです。
また、よくいくサイトには目を通しているのですが、なかなかコメントできなくてごめんなさい。
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by hanamizukidayo | 2008-03-24 01:42 | 宗教

私のヨブ記

will3月号で横田早紀江さんの新書紹介を読んだ。

彼女は聖書のヨブ記を読んで洗礼を受けた。
ヨブ記は、行い正しく生きる義人に、神が苦難を与える不条理な物語だ。
畳をかきむしって苦悩する彼女にとって、神との対話なしには精神に
異常を帰したかもしれない。
孫のキム・ヘギョンちゃんの存在を知って、こう書いている。

  めぐみの不幸な人生の中にも、こんな可愛い子が育っているのですから
  神さまは不思議なことをなさる方だなと、私は感動をもって受け止めました。





私の教会でもヨブ記の学びが行われる。
ヨブは、3人の友に「同情してくれ」とは言っていない。
苦しみの重さを「正確に測ってくれ」と訴えている。

この二つをしばしば取り違えて取り返しのつかない愚を犯して
しまう私がある。
昨日もやってしまった!

真面目で誠実な気持ちで聖書研究している人に
「同情」よりも激しい皮肉的かつ批判的な言葉を浴びせてしまった。

立場が逆なら分かるものも、人間は、いや私は自分の立場でしか
ものが言えない。


ある人にとってはその荷は重いが、他の人にとっては問題にならないことがある。
他人の重荷を評価する上で「驕慢になりやすいのが人間の弱さ」とヨブ記から
学んでいるはずなのに。

ヨブは、自分の苦しみ、災害の重さを量ってくれと訴えている。
そればかりか、「落胆している者に、友情をくれ(ヨブ6:14)
さもないと神への恐れを捨てることになるとまで言っている。
さらに、「今、思い切って私の方を向いてくれ。」
     「どうか思い出してくれ」 6:28,29
とまで哀願している。
7章にいたると神に向かって「私をかまわないでくれ」と、
「見張る」神の顧みさえうっとおしく煩わしく
もはやこんな生きながら身体が腐っていく生命を生きたくない。
死にたいとさえ訴える。



牧師先生は言われた。

「私たちもヨブほどではないにしても、すぐわめき散らします。もう生きたくないと。
それにしても、聖書にの中にヨブ記があるのは何と慰めでしょうか。わたしたちは
つぶやくのは悪い事だと分かっていてもつぶやくし、そのくせつぶやく他人を
許せないのです。容赦なくここぞとばかり裁いてしまいます。ヨブの友人のごとく
このどうしようもないのが人間です。

『なぜ、私をあなたの的とされるのですか。』
これもヨブの感動ではなくて、神の顧みを『うるさい!』と
跳ね除ける言葉です。
しかし、神さまは常に何十億もいる中で、このちっぽけな私に的っを絞っていて
下さり、ちっぽけなどうでもいい わたしのために、 御子を十字架に架けるといった
おおきな犠牲を払って わたしを愛されているのです。」



かつて私も叫んだ。
「もうほっといて下さい!これ以上私の人生に関わらないでないで下さい!」

「なぜ私が重荷を背負わなければならないのですか。なぜあの人(組織)ではなく
弱いこの私が」と。

ちっぽけな、ほんとうにちっぽけな存在に過ぎない私が
他人からみたら軽い軽い荷を背負いきれなくて喘いでしまう。
始末に負えない「裁き」さえやらかしてしまう。


けれどもここでお終いにさせないのがキリストの素晴らしさであり、
恵みであるとしかいいようがないのです。


   すべて疲れた人、重荷を負う者、我に来たれ、
                          我 汝を休ません マタイ11:28
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by hanamizukidayo | 2008-03-01 13:00 | 宗教