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カテゴリ:宗教( 87 )

38年待たされた人


   へブル語でベテスダと呼ばれる池があって・・
   そこに、38年もの間、病気にかかっていた人がいた

               ヨハネ5:1,5




ベテセダは、憐れみの池という意味があります。
この池に真っ先に飛び込む人がどんな病気でも癒されるという噂があります。ですから大勢の人が集まってきたのです。
うまい話がありますと、人は集まってきます。その中でも、少しでも身体に自由がきく人が勝つのです。
障害者、高齢者、病人の中にも競争原理は働くのです。
差別があるのです。

いわゆる健常者が障害者を差別するのなら、 まだ話は分かります。

理解して貰えるように努めることはできます。

でも、病人が病人を差別するようでは、もはや話になりません。
この意味で、ベテスダは「憐れみの家」どころか、「競争原理の家、切捨ての家」と呼んだほうがよいかもしれません。

そこに主イエス様が「よくなりたいのか」と言われます。

この言葉は、非常に酷な言葉だと言われます。
聖書は、『彼が臥せっているのを見、それがもう長い事を知って』と記しています。
彼を知っているからこそ、『なおりたいのか』という慎重な言葉を選ばれたのだと思います。

私たちが人に忠告したり、励ましたりする時に、よく相手の状況を見誤ってする時があります。
自分の弱さがありながら、相手の弱さを裁いてしまうことがよくあるのです。


病人は『主よ。よくなりたいです』と答えることができませんでした。
ここにこの人の問題があるのです。
『主よ。私には、水がかき回された時、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、もう他の人が先に降りていくのです』

悲惨です。
これが果たしてグチと言えるでしょうか。
これが38年間の現実として、彼の身に染み付いてしまっていたのです。
誰が彼のみを責めることができますか。

主イエスのみがお責めになることができる。
しかしお責めにならない。


サルトルは  「地獄とは、他人のことである」  と言葉を残していますが、
驚くことはない、私たち自身がその人にとって

  地獄  とも  隣人  ともなり得るのです。

38年の病という重荷に加えて、他人という「地獄」を背負って生きているこの人に向かって、
主イエス様は
『起きて、床を取り上げて歩き(続け)なさい』と言われます。
『私が背負って一緒に行こう』とは言われませんでした。男はそれを期待していたのかもしれませんが・・

主イエス様は「ベテスダには救いはないよ。」と、

お前の地獄からお前を救い出すために、私は十字架にかかったのだ と、

今日も私たちに語り続けています。

                  
                      教会メッセージより

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by hanamizukidayo | 2008-03-01 11:32 | 宗教

 この道

この私が?と思ってしまうほど
奇蹟が起きたとしか考えられない
しかたで、
教会に導かれた。
蛇のように用心深く、しかし鳩のような
純真さを忘れずに
ただ主を見上げていたかった、
豆粒みたいに小さな信仰だったのに。

ずっと待っていてくれたかのような
私の教会。

すべてをゆだねて
ほんとうの神さまが
与えて下さる平安に
気が済むまで安らごう。


日々の不安や悲しいこと、
痛み、辛く思う事
自分の至らなさも情けない部分も
何一つ変わりはないけれど
主が共にいて下さり、

かつてない平安がある。


この感覚、この確信。
自覚すればするほど、
いろいろな宗派も宗教も無宗教さんも
微笑ましいほど
身近な存在に思えてくる。
あの人もこの人も
みんな
キラキラ輝いて
ステキだ。

人間あれもこれもとはできないのだから、
私はこの道から入るけれど
みんな
神さまに繋がっているんだね。

みんな
友達なんだね。

見えなくても愛で結ばれているんだね。
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by hanamizukidayo | 2008-02-23 20:42 | 宗教

ういずだむさんのブログを読みながら・・



>幸せとは与えること。無償の愛。


  愛は神なり、神は愛なり by内村鑑三


ういずだむさんは、宗教はみんなが幸せになるためのもの
という素朴で単純な真理を掴んでいる人。
だから、JWと研究しながらも
神の無償の愛、その本質へまっすぐ思いが向かっている。

現役証人はいろいろと理屈を付けたがる。そもそも・・
鎧のように理論や「知識」のようなもので武装していなければ
足元を崩される脆さと危険を、統治体こそ一番分かっているから
愛の源を本当は隠したがっている。

人間にとって福音が真実に個人に救いを感じさせなかったら・・
信じたくても、逆に神さまを恨んだり、不信感を抱いたり、
侮蔑さえ覚えてしまうとしたら・・

せっかく聖書を勉強したあげくにそう悩んでしまったら、
その教えの源を考え直してみて欲しい。

個人の幸せが尊重されない教えはどこか間違っているのではないか 

 
  悪魔・サタンのものではないだろうか



固定観念や先入観のない研究生のブログを読むと
逆に、新鮮な発見と気付きが得られることが
多いものです・・

感謝(*^_^*)





ところで、私の愛の対象と言えば・・
もっぱらペットに無償の愛を注ぎまくってます^^
(話のレベル急下降w)

ただいてくれるだけで自分が癒される。だから、
どんなに悪戯被害(?)にあってもニコニコ笑って許せちゃう。
生物学的上下関係を持ち出して、動物だから可愛がるとか、
おおらかに許せるとか、生存権を持った飼い主様なんだからという
理屈は、ペットにゃ通用もしないし関係ない。

ただただ可愛いだけ。
危ない事したら怒る、それも可愛いから。


昔、長男がまだ生まれたばかりの頃、
ベッドですやすやと眠る寝顔を覗きながら
夫が言った。


「大きくなって生意気になったり憎まれ口を利くように
なっても、ずーーっと可愛がっていけるように、
こんな寝顔を見せてくれてるんだね。覚えておかなきゃなぁ」


役に立つとか立たないとか、何かの代償のために
必要とされている人間など本当はいないのだ。
神さまは、ただ無条件に人間を愛して下さる。
あどけない息子の寝顔は本当に可愛かった。
表情豊かに笑っている写真の数々が、
慣れない育児に戸惑いながらも、懸命に
愛情を注ぎ、自然体で育てていた時代が
私にもあったんだということを残して
くれている気がする。

夫と一緒にいつまでも、無邪気な笑顔や寝顔を
忘れずに、大切に見守っていこうと心に誓ったはずだった。



3年半後に、JWと出会うまでは・・
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by hanamizukidayo | 2008-02-19 15:31 | 宗教

従順、条件付の愛の刷り込み教育

最近、あるサイトで目にした投稿記事を読んで
考えさせられてしまいました。

研究生だった経験をお持ちの方が、書いておられますが
はじめは共感を覚えたものの、何かイタイ気持ちの方が強くなって
しまいました。
JWの子どもたちは時々、世の中の人にこのように見られているという一つの例なのでしょう。

母親から「あなたのお父さんはサタンに騙されており、人格的に問題が多い」と言われ続けて育ったそうです。仮にどんな父親でも、幼い子供にとって父親を馬鹿にされるのはとても辛い事の筈なのに、凍りついたような表情で「別に~」と言うのです。本当に心が死んでいると思って、ぞっとしました。人間、こんな風になる位なら嘘を付くほうがまだマシです。

なぜこのような無感覚、非人間的なパーソナリティが作り上げられたかという事を私もずっと考えて来ました。そうです。
天性のものではない・・組織の従順教育によって、親世代もこどもたちも異常な教えを刷り込まれた結果だと考えています。

「神は愛、愛は神」なのに、冷え切った心、嘘、世人への見下し、仲間内での足の引っ張り合い・ねたみ・中傷の数々は、個々の信者自らの心を欺く「悪魔的」な教えの影響だと思わないわけにいきません。
私のような一世はともかく熱心な信者の子どもとして育てられた世代の人は、こんな喩えは良くないかもしれませんが生まれたばかりのアヒルの子が、最初に見たものを親と思うのと同じ・・ように、最初の歪みに気付くのに大変困難があると思うのです。

閉鎖的な空間にとどまっている限り、刷り込みから脱却するのは本当に困難かと思います。また、中途半端な状態に身を置いても難しい。

例外もあるとは思いますが、JWは家族関係を壊し、精神を蝕む怖さのあるカルト集団ですので、洗脳を溶くには外からの根気強いアプローチが不可欠です。
私に出来る事は限られていますが、身の周りにいる人たちに何かできることがあれば
少しでも力になりたい、そう思わずにいられません。。
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by hanamizukidayo | 2008-02-13 18:09 | 宗教

メッセージより  【2時間40分】

2月12日  ・・・・・

今日もこの言葉でもって「いのち」と「光」と「力」とをあなたのものにしてください。

続き・・・
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by hanamizukidayo | 2008-02-12 14:23 | 宗教

求めていたのは祈りだった

JWの教えと組織の体質に心底幻滅し、
人間関係のトラブルに巻き込まれた事も
加わって以来、約5年悩みに悩んだ末、
私は自然消滅の形で組織を離れました。

一旦入信したら最後、組織からきっぱりと離れるのは難しい
これはJW経験者なら誰でも経験しますように、苦い時間の経過が
必要です。
形上では離れる事が可能であっても、長年刷り込まれた教理の呪縛。
親族、友達、家族・・関わってきた様々な人々への思い。
それらを断ち切る決断に身がすくんだ事もありました。

自分の過去との決別も意味します。
良いものだと信じてすべてを注いできた(約20年)の
努力と、それが間違ったもので、多くの人に迷惑をかけてしまった
事。あらゆる面で後悔の念が募りました。

決別する前に、打ち消せない疑念は固まっていましたが、
どうにもできないところまで来てしまったという思いと、
これからどう行動していけばよいのかと言う狭間に立ち、
なお且つ、不活発になった「弱い人」というレッテルを貼られ
会衆の人々の冷たい視線の中で針のムシロに座ったような
JW最後の5年でした。。

精神を病み、通院を続けながら心理学や本を読みました。
インターネットでこの問題を調べるようになって、初めて自分だけ
の問題ではなかったこと、
私以上に悲惨な経験をし、回復に向け闘っている仲間たち。
また、すでに克服し他の人達を助けるために精力的に情報を
発信していらっしゃる元二世さんをはじめ、力を頂いたサイトの
数々・・管理人さんたちの惜しみない努力に深く感謝します。

JWから少しでも距離を置きたいという事と、社会で
何かできることがないかと、考えるようになってから
私はJWの伝道をさぼり、ボランティアの方に時間を
割くようになりました。

義父の介護を通して親身に動いてくださった民生委員さんや
施設の職員の方々、病院関係者・特に認知症が進んでいく
義父の症状に戸惑いや不安を抱えていた当時、精神的な
サポートを与えてくださったのは「愛があるはずの」JWではなくて、
彼がが普段「サタンの世の人」と、内心見下していた
世の中のたくさんの善意の方たちでした。

やがて私も県や市の社会福祉センターにボランティア登録し、
講習を受けながら地域の要請や施設等に出向いて
いました。また希死念慮を伴ううつ病の苦しさを経験した
ので、自殺問題に関心を寄せ、命の電話相談員の講習も
受けるようになりました。

ある時、日本WMCAの講師に出会い、ボランティアは素晴らしい
行いであるけれど、「ボランティアであっても一定の責任と
自覚を持つように。待っている相手に、自分の都合で行かなかったり
ルーズにしていたら信頼を失います。相手を傷つけてしまいます」

そのような話を聞いたのがきっかけになって、
自分に甘く、どちらかと言えば出不精な私は
「仕事」という枠に身を置いて、専門的な知識を学び
ながらやっていくほうが自分には合っていると思う
ようになり、一つの活動だけ残しボランティアからは
遠ざかりました。

この頃はまだJWに二股をかけた時代でした。
約、10年ほど前に現在の職場に入り
介護保険制度が発足すると同時に
障害者支援に主にたずさわりました。
04年から精神障害者の居宅支援も始まり、
関わりたいと願っていた仕事に就きましたが、
身体的に限界を覚えるようになり、数年前から
もっぱら高齢者のケアを中心に働いています。

でも、内容的にはほとんど一緒です。
高齢者のうつも大変多く、特に独居で
あまり親族も尋ねてこないケース、あるいは
難病のために1日中常に身体の痛みと闘っている方、
症状進行に不安を抱え、また見守る家族も介護の
ストレスや元々の家族関係の複雑な経過ゆえに、
葛藤を抱えた家族もあれば、本人に代わって上げられない
もどかしさに心を痛める優しい家族もいて、
人生の最終部分の最後まで、様々な個人のまた家族の
ドラマがあると実感します。

恐らく、この仕事に付かなかったら出会う機会はなかったであろう
方たちとの出会いは、私を励まし、考えさせ、生きる事
の教訓を日々教えていただいています。
今日が最後のケアになるかも知れない。私か相手の方
の身に何が起こるか断言は出来ないので、毎回これが
最後であっても悔いのないように心を込めて相手に
向き合きあう、自分に出来る最善を尽くして向き合う。
失敗は仕方ないですが、内心は真剣勝負で仕事しています。
おかげで帰宅すると身体はヘトヘトですが、JW時代のような
虚しさは微塵もありません。


聖書の事も信仰も、じっくり考える時間もない時期がありましたが、
いろんな経過を通して、今再びまた違う角度から「信仰」について
考えるようになりました。

私の心の奥底に常にわだかまっており、どんよりと
影を落としていた、「本当の神さま」とは・・という疑問に
今、やっと光が射さしています。

エホバの証人でありながら、「エホバ」という神をどうしても
好きに」なれず、理屈で愛そうと努めたエホバ時代でした。
ですから集会や奉仕などの「形」で自分なりに示し、
受け入れてくださいと祈るしかなかったのです。

本当の父親に愛情が持てなかったから、父なるエホバ神を
親しく思えない、自分の側の問題だとずっと考えていました。

イエスを愛し、その教えには心から感動できるのに、
神を拒否する心、これも自己否定的心理に陥ります。


昨年のある時期に、自分の心を正直に吟味するようになって
「本当の神さまを私に示してください」と祈るようになりました。
祈りは、ある方を通して聞き届かれ、彼女の友人達も私の
ために共に祈ってくださったと聞きました。

求めていたのは、現実の世界で一緒に祈りあう人々でした。
まず、祈り合う友を、私は切実に必要としていたのです。

与えてくださり、この祈りを聴いて下さった主に感謝します。


今朝は朝から雪が降っています。

今、私の心が洗われるように、清い信仰に立ち返る助けと
なって下さっている荒野のモーセのような牧師先生の教えを
請いにこれから出かけてきます。

今日、訪れて下さった皆さんの幸せを祈りつつ

一気に書いたので、一部帰ってから訂正するかも知れませんが、
誤字乱文ありの長文、読んでくださってありがとうございます。

               愛を込めて
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by hanamizukidayo | 2008-02-03 09:06 | 宗教

愛が満ち溢れるように

チベット仏教のダライダマ法王は、「先進国の社会が精神の危機とも
言える状況に陥っていることを思い起こせば、技術や知性の
発達に偏る事なく、他人に対する思いやりや、優しさと言った
心を育まなければ人類に降りかかる問題は、益々深刻化する。
宗教こそ、世界の人々が連携し、世界平和を実現する上で重要
な役割を果たす」と説いています。


私も宗教の存在意義はここに集約されると思います。
伝統的な教えから良い感化を受けて、「隣人を尊び愛し合う」、
個人の意識が社会へと連鎖し、世界が平和になりますように。



人間の世界が存続するよう努力しているのが
良い宗教で、人間の世界を滅ぼそうとしているのが悪い宗教



大雑把に分けるとしたらこれくらいの基準で
それぞれの宗教的価値感を尊重しあいながら
宗教界からまず、
平和になっていけば良いと思います。

あと一つ。
「自分たちだけが正しくい」と、ふんぞり返る人には
近づきたくないのと同じです。
「真理だ真理だ」と口で言うよりも
何を行っているかが大切ですから
もし、偽者と見たら離れて下さい。
災いの元です。
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by hanamizukidayo | 2008-01-30 12:02 | 宗教

教会

「牧師に感化されるのは良い点もあるが、悪い点もある。
イエス様はみ言葉で導かれた。『牧師信仰』に感化されるのではなく、
導かれる側の主体性をイエス様は大切になさる」



前にも書きましたが、初めての礼拝で聴いた牧師先生の言葉です。
このような教会に行きたいと願っていましたので、心に焼き付きました。

高齢であり、脳性麻痺のために不自由なお身体です。
普通なら人の手を借り、社会的な役割から引退しても
おかしくないのに、養護施設や障害者自立支援のワークホーム
に毎週教えに出向き、遠距離の活動も続けておられるようです。

み言葉の、奥深さを思い知り、味わい尽くし、主の御心の学び
だけに満たされる集会なので、そいういう事を知ったのも、最近
休憩時間に誰かがちょっと話してた内容から耳にした次第です。


昨夜紹介した本も、主宰されるある障害者団体の情報誌に
数年かけて書いたエッセイ集だったと、読んでから気が
つきました。

私は慎重に、慎重に教会選びを考えていましたが、
クリスマスが来ても、いざとなるとどこに行けば良いのか
見当が付かず、とりあえずどこでもいい、後日決めようという
考えでした。。きっかけになれば良い、念頭にあったのは
それだけでした。

にもかかわらず、この1ヶ月、「神さまの働きかけって本当に凄い」
の一言です。

聖書をめくったり、音響の器械操作はご自分の
手の平が上を向いた指先でを使ってされていますが、
「スイッチを入れる瞬間、指に痛みを感じるようになった」
と、昨日おっしゃっていました。



今日が最後かも知れない、覚悟で聴きます。

どうか、先生がお元気でいて下さるように、
この方に学べるよう手を差し伸べて下さった
主に感謝します。請願と共に・・
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by hanamizukidayo | 2008-01-28 11:06 | 宗教

恵み

ウダウダと愚痴ってしまいましたが、約一名w
共感してくれる友がおり、どこかで同じように考えた人も
いる事でしょう。反感を買っても別にかまいはしない。

もし、私が独善的考えなのであれば、
神さまが必ず諭して下さるでしょう。

先週牧師先生が、旧約聖書に書かれた障害者に
ついて執筆された本をプレゼントして下さいました。
目からウロコのような・・素晴らしい内容でした。


障害のある方と、仕事で接する時に
価値感の違いを感じることがたまに
あります。

でも長い間、日の当らない場所に置かれた不幸は
察しなければなりません。福祉に関して言えば
確かに昔は、恵まれていなかったと
思います。


先生の著書は、障害者自身の弱さ欠点をも直視しつつ、
一人の人格として神の前に立つ、言い換えれば
神を畏れ人を愛する責任のある生き方を
(障害があるなしに関わらず、すべての人に)問いかけて
いるのでした。
(旧約の話なので「神=エホバ」を用いたとおっしゃっていました)

眼病があり、妹より美しくなかったレア

一杯の食事のために神の祝福を得損なった俗物として
語られるエソウの弟ヤコブ 

ダビデの親友ヨナタンの子、足なえのメピポセテ
らい病を患ったナアマン
苦難にあったヨブ
などなど

悲しみや患難を通し
ようやく、

神さまの働きかけに

目覚めた人々の
物語なのかも知れません。



障害を持つ信仰者の視点から
同じ障害を負っている人々への
勇気を湧きたたす福音の書であり、
同時に、

本来、生まれた時から"罪"の下にある
(見かけは健常であっても)すべての
人の心を揺さぶる内容だと
深く感動しています。


教理問答(旧約:出エジプト)
礼拝メッセージ(ルカ8:21)

身を入れて真剣に聴くのでまたたく間に
午前のプログラムが終わります^^

恵みに溢れた教えが、胸に
迫ります。一言さえも
聞き逃してはならないと。



今週も昼食に与かり、
午後の祈祷会にも
参加しました。

今日もまた思いがけないプレゼントを
神さまが用意して下さっていました。

(続く)
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by hanamizukidayo | 2008-01-27 21:14 | 宗教

こころを強くするメッセージより

1月25日

メッセージ・・
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by hanamizukidayo | 2008-01-25 12:15 | 宗教