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カテゴリ:宗教( 87 )

与える者の栄光

私をあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、

いさかいのあるところに許しを、

分裂のあるところに一致を、

疑惑のあるところに信仰を、

誤っているところに真理を、

絶望のあるところに希望を

闇に光を、

悲しみのあるところに喜びを、

もたらす者としてください。

慰められるよりは慰めることを、

理解されるよりは理解することを、

愛されるよりは愛することを、

私が求めますように。

なぜなら、私が受けるのは与えることにおいてであり、

許されるのは許すことにおいてであり、

我々が永遠の命に生まれるのは死においてであるからです。

                         聖フランシスコ 「平和を求める祈り」




曽野綾子さんは著書「魂の自由人」で、「愛はこっそりと行使されるが、人権は声高に喧伝(けんでん)される」と書いておられる。
人権を要求する人の一つの精神パターンは、他人に「自分の事を大切に思え」と言うことであり・・・要求する他人の存在がないと、自分に価値が決まらないのだ。
他者がいなくても、自分の生き方と人生を決める癖をつけておかないと、人間の心は縛られる(世間の評価など) 
 
私はある意味JW問題もこういう観点から考えるのも必要ではないかと
近頃思うことがある。仕事で関わる福祉やその制度問題からこんなふうに
考え直す事が多くなったのだが・・



聖フランシスコのこの祈りには、要求する事が市民の権利と定義する現代の流行とは心理的方向性において正反対を向いた

要求ではなく 与える者の栄光 がきらめき輝いている。
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by hanamizukidayo | 2007-05-06 14:16 | 宗教

一世として

ここは反JWの場で、別にアンチ聖書とかではない意見も書いて
いいのよね?

ボロボロのどん底状態の末に新世界訳も出版物も全部処分し、
何とか前向きになりだした頃、私が信じたものは何だったのか
そんな事を考えるようにもなり、図書館から借りては聖書を
読むようになった。
集会や奉仕に行かなくなったおかげで、時間はたくさんあるし、
いつしか"個人研究"に打ち込んでいる自分がいたw

疑問はどんどん解けていった訳じゃない。でも
同じ苦しみをした仲間がたくさんいた事、神への罪悪感とか自分の悩みは
おかしいとかそうではなかった事を知り慰められた。
しかし、善意のつもりで家族や他人様に押し付けた結末に
いたたまれない思いにかられる。
家族はともかく、入信の手助けまでし残してきた人たち・・
妹家族 従兄弟たち

心の救いはイエスさましかないと
思うようになった。

イエスさまが主でありキリスト教の神 だと言う
牧師さんの言葉に触れ・・

もうエホバに囚われなくてもいいんだ!
ユダヤ教の神エホバではなくて、キリスト者はイエスさまを主、神として見上げる

それでいいんだ、本当は神様はエホバなんだと思うけど
御子イエス様が今の私には主だと思う方が自然だから
自然に受け入れられるほうがいい。
イエスさまの教えなら 至上の教えだ、何の異議もない、オッケイ 



神がアガペーなら、またイエスさまが贖ったのだから
すべての人が救われるはず。
楽園とか永遠の命なんて死んでみなきゃ分からない。
生きている今現在に、平安あれと願う。
希望があれば生き抜いていける。
自分を許し人にも優しく頑張れる気がする。



☆昼寝する豚掲示板に書いたばかりの文章だが、
アップしたら牧師さんの投稿があったので
議論中に場違いのような内容だと思い直し
移動した次第。
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by hanamizukidayo | 2007-04-22 22:47 | 宗教

団塊の世代、言いたかったこと

私にとって仕事の先輩でもあり大切な友人でもある人、Sさんの事で今微妙な立場に立っている。
彼女は私が現在の職場に入った時からの付き合いで、仕事の腕は優秀、なお且つスタッフにも気遣いをするスーパーバイザー的存在だったから、皆に人気があり信頼される人だった。

3年ほど前に定年を口実に(定年制はない業界なのだが)職場を離れる事になった時、誰もが残念がった。
しかし、仕事上の立場から離れたお付き合いができるようになり、普通の友達関係になり互いの家を訪ねあったり、一緒に出かけたりするようになったのだが・・

「あなたはエホバの証人でしょう?」と、彼女から問いかけられたのはいつの事だったか、もう忘れてしまったが、確かに就職した頃はまだ集会や奉仕にも出ていた。
職場で証言をしたことはなかったが、私と研究生し信者になった姉妹が一緒に働きたいと言ってきたので所長とSさんに相談して入れて貰った経過があった。
その後、以前は親しくしていたもう一人のエホバの証人の姉妹が彼女の紹介で同僚になった。

前後するようにして組織にどんどん気持ちが冷めていった私は、次第に大会や集会に行かなくなったのだが、彼女たちは熱心な信者なので当然大会の日は一緒に休みを取る事になる。
「も~!どうして同じ日に欠勤が重なるの!」
所長の言葉で、Sさんは大会=エホバ=紹介したK(私)は姉妹だったのかと分かったそうで。
なぜならSさん自身、10代の終わりごろ都内を外国から来た宣教者と一緒に伝道した経験を持つ、バプテスマを受けていない元伝道者だったと打ち明けたのだ。
引越しや転勤など重ねるうちに自然消滅していったらしいが、自宅のある郊外の町には今でもJWの友人がいて、仕事が忙しいため距離を置いていると言う状態だった。
大会があれば招待されるので、彼女たちが休みを取った日時を見てピーンと来たという。

Sさんが仕事を辞める時、私が心配したのは役員などで知り合った近所のエホバの証人や、伝道で尋ねて来た信者と接触を持たないように、と言う事だった。
当時は「家が2軒あってどちらの管理も必要だし、まだまだ勉強したい事も残っているから宗教どころではないのよ。第一、復活とか信じていないから大丈夫」と、私の心配を笑い流していたSさん。

それから約2年、Sさんは家を整理して市内のマンションに移り、私と同じ区民になった。
気心知れた友達同士で時々お茶したりもあったが、以前に比べたらメールや電話で話す回数は減っていた。
お互いに忙しいし、彼女も私もしょっちゅう出歩いたり群れあうのは好きなほうではないから別に不自然とも思わなかったのだが・・

統一地方選挙を控えて、市民グループのことで互いの意見を交換しあった時からSさんと話し込むようになって、何かのひょうしに「こっちに越してきてから、知り合ったエホバの証人と話している。なかなか面白い人で、来て貰い楽しい時間を過ごしている」と言うメールが届いた。
「止めた方がいいよ~とんでもない宗教だから」
と返したのだが、

「私は聖書を理解したいのよ。昔習ったことは忘れたし一人じゃ読んでも分からないもの。
それにいい人だし、話が面白い。だいじょうぶ、誘われても今は集会に行く気はないから」


Sさんは、お母さんがクリスチャン(何派か忘れた)で、幼い時からその宗派にはものすごく抵抗があったようで、クリスチャンは嫌い、でも聖書は好きで「人間には宗教が必要最後の砦は宗教だと思うね」と言うのが口癖だった。


私は今、昼寝する豚掲示板に来ている牧師さんの立場に立っているような気さえする。
厳密には違うのだけど、エホバの証人はここがおかしいから聖書的な教えではない、イエスさまを主と認めていないのにクリスチャンだと言うのは、偽クリスチャン・偽預言者だと論じても、
一度心に聖書や神様に対するイメージを植え付けたら、説得なんかじゃ人の心は動かないだろう。
「本物は別のところにあるのよ」言えば言うほど、反対されるほど逆の方へ好奇心と好意が行きそこには、「サタンはあなたが勉強すると身近な親族や友人を介して反対しジャマして来ますよ」と警告されたこの言葉の通りだわ! と言う図式が出来上がる。
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by hanamizukidayo | 2007-04-22 18:06 | 宗教

団塊の世代

誰も見てなどいないというのに、風邪気味などと見苦しい言い訳をしてしまった。
あ、でも風邪っぽいのは事実。この頃寒い日が続いたものね。
4月になって観測史上初めての雪になった地域もあった。熊本の阿蘇山なんて、
昨日は27センチも積雪したようだし、この春は気温の変化が著しい。

話を戻して団塊の続き・・あれ?今度は肩や背中が痛くなってきた。
やはり、今日はムリっぽいみたいだ。
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by hanamizukidayo | 2007-04-20 21:28 | 宗教

団塊の世代

TVでやっていたが、今ミシンが売れているという。
男性にも人気があり、ミシンでズボンの裾を直したり手作りのオリジナルを
作るのが楽しいと言いながら50代の男性が教室で習っている場面が出ていた。

ミシンか~ 不器用な私は、もうミシンを使う機会などこの先ないだろうと考え
去年捨ててしまったなぁ。
最近はお値段が2万円ほどで、機能満載、とても使いやすくなっているそうで
昔は給料1ヶ月分くらいしたけど購入しやすいというのも人気の原因だとか。
安かろうが、性能が良かろうが、今更私がミシンを持つ事はあり得ない話で・・

なぜこんな話から入ったのかと言うと、今年から団塊の世代が定年になるので
各業界ではお金を持った団塊の世代に焦点を当て開発、画策しているそうで、
例えば旅行、趣味の車やバイク、衣類、家などなど・・彼らにターゲットを向けた
高価な企画が次々に商品化されている。

本題に入る前だが、途中で一休みしてまた次回。風邪気味のため体力不足w
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by hanamizukidayo | 2007-04-20 18:23 | 宗教

1935年・・教理の変更に思うこと

誤解を恐れずに言わせて貰うなら・・

「あなたのせいでこんなに苦しんだのだから謝ってよ!」と、

反省もしていない相手に迫り、もし上辺だけの謝罪を聞いたとしても空しいではないですか?
今さら組織の体質が変わる訳ないし、こういう明らかな矛盾をまかり通させてしまう程、モノを考えなくなった現役はそれもひとつの生き方として放っておくしかないと思います。

現在苦しんでいるとしても、苦しみから這い上がるのは自分なのです。もし、身近にそういう人がいたら暖かく寄り添って、やがてその人が乗り越える力が湧くまで静かに待ちましょう。

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by hanamizukidayo | 2007-04-14 14:07 | 宗教

理屈とか

何を信じるか、誰を信頼するか、職業も政治も宗教も人間関係も国交も日常レベルの衣食住も本もテレビ番組も、諸々すべては健全な判断力や好みで私たちは常に選択し、もし失敗したら振り返ってやり直せばいいのです。取り返しの付かない失敗というものはそれほどめったにはないでしょうから。

個人の自由だとか権利だとか、そういう言葉は近頃嫌いですが、
人それぞれの価値観は尊重されなければなりません。
たとえ端からは見ていられないような行動に思えるとしても、
最終的に決めるのは本人です。
例えば成人しているような子どもに対して、犯罪行為ではない限り
自分の意見を押し付けたり圧力をかけてはならないと思います。
責任をとるのは本人、そういう事を学ぶチャンスを安易にとりあげてはいけない。
人は失敗から学ぶ機会も許されているのです。

多くの人にそれは間違っている!とか、あなたの考えは狭いとか
言われたり、反対される時、
自分を静かに探り、冷静に決めた事や信念が揺れたり自信を失ったりしないように
努めるのも大切です。

善意の押し付けは悪意よりも始末に負えない時があります。
本人は全く善意だと信じていても、恐ろしいエゴイズムだったり
する場合もある・・JWで学んだ教訓のひとつです。

この世には、全くの善人や全くの悪人などいません。
純粋さも不純さも人間の一部、だからキリストのあがないが必要なのです。
私たちは、不純ささえも陰影となる複雑さを持ち合わせているからこそ、聖書を
ありのままに読み、シンプルに解釈する方がさわやかになれるし
癒されるんじゃないかなぁと思うのです。

聖書へのこだわり① でした。

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by hanamizukidayo | 2007-04-12 22:14 | 宗教