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参議院選挙の争点

今日も政府自民党側の問題発言とやらで、連日マスコミ野党の
避難を受けまくっていますが、
麻生氏の発言は、差別用語だと受け取るほうがおかしいのではないの?
それでも農水副大臣の「花代」発言にはさすがに呆れました。
このタイミングに下らない冗談(本人曰く)を言ってる場合ですか!
もしやこの方、反阿倍派なんでしょうか。

肝心な政策主体の論戦はうやむやなまま、選挙を迎えてしまうのは
阿倍総理にとっても残念でならない事態ではないでしょうか。

この選挙で与野党の政策を見比べ、国の将来を託するに値する
政策主体の論戦が行われることを期待しましたが、そのような
展開にならなかったのが残念です。

「年金、政治とカネ 9条を守れ 」  国民の関心はそれだけではないと
またまた言いたいところです。


何がなんでも阿倍政権を打倒したい野党サヨクマスコミ連合の目的の一つには、
外国人参政権がからんでいるのではないかと思います。


鳩山由紀夫氏は、「在日韓国人に一日でも早く地方参政権を付与しなければならないというのが我が党の政策」などと語っていました(朝鮮日報より)

この外国人参政権には鳩山氏ばかりでなく、民主党の有力者の多くが賛成しています。前原誠司前代表も、小沢一郎現代表は自身のHPでやはり積極的に賛成の意を表明しています。
それだけでなく、与党の中にも賛成派がいるのです。




  マスコミの露骨な阿倍政権倒閣運動の目的は反日も同然ではないでしょうか。


         
  http://f157.aaa.livedoor.jp/nazonog/  
     
   
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by hanamizukidayo | 2007-07-23 16:44

秘密

新生聖書の言葉教会
http://angel.ap.teacup.com/seisyo/
パスワードは ryoushiki
新生給茶室の直リンクは
http://6116.teacup.com/seisyo_no_kotoba/bbs
パスワードは joushiki
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by hanamizukidayo | 2007-07-23 00:34

吉永小百合ファンとして


 小百合さんは日本を代表する女優で、今でも好感度抜群。
有名人にもサユリストを自認するファンは多い(特に同世代人)ですね。

清楚な美しさに魅了されて、私も昔から大ファンでした。

小百合さんは「平和の語り部」として各地を回り、ヒロシマ・ナガサキの
原爆詩の朗読ボランティアもされています。

昨夜テレビで、小百合さんの「沖縄戦」の朗読活動の紹介をやっていました。
野坂昭如氏の詩だそうです。チャンネルを切り替えた瞬間目に入ったので、
最後の数分しか観れなかったのですが・・

もしかしたらとは思っていましたが、小百合さんが反原爆や沖縄戦の朗読語り部
という事は、「憲法9条」を守る護憲派キャンペーンをやっている「九条の会」とも
繋がっているんじゃないかと勘ぐってしまったので検索してみましたが、サイトに
名前はありませんでした。

でも、ひめゆり学徒隊の映画主演もされたし、私の印象に焼きついているのは
五味川純平原作の映画で、左翼活動家役の山本圭さんと共演された
「戦争と人間」です。
"理想的な平和"のために護憲派として熱心に、ボランティアに取り組んで
おられるのはごもっともだと思います。けど、



    「世界中が憲法9条を持つようにになったら、必ず平和が達成される。
    憲法9条さえ守っていれば、戦争にはならず安全で平和だ」

               ↑
もし小百合さんが、「9条を守る会」などのようなサヨクリベラル人たちと
袂を分かち活動をされているのなら残念です。
昨夜聞いた話の限りで、断言はできないけど、
「沖縄戦集団自決命令」の日本史教科書替え反対運動などにも
同調されているんでしょうか(・_・メ)


やっぱり気になるので、先ほどウィキペディアを見たら

岩波書店の  「憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言」

にお名前が・・・^^;  あの香山リカや、姜尚中と一緒だなんて( ̄▽ ̄;ガ~ン





http://www.sanspo.com/geino/top/gt200706/gt2007062502.html
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by hanamizukidayo | 2007-07-20 00:48 | 日常

反日勢力と日教組①

そもそも、私はなぜエホバの証人になったのだろうか
なぜカルトもどきの宗教に関わってしまったのだろうか、

そんな事をずーっと考えていました。

そうするとやはり、どこかで強く影響を受けたある考え方が
ある筈で、それが自分でも好ましいと思っていたから、
エホバの証人と出合った時にマッチングしてしまったのは
確かだろうと思うんですね。

いつも脳裏にあったのは恐らく自分の中学時代の体験が、
かなりそれ以降の社会への視点になっていたように感じていました。


ネットサーフィンていうのかしら・・我が家では読売しかとってないので、
時間がある時、私はよくネットで他紙を読んだりしますが・・

偶然にもつい最近、私の受けた教育はこれとまったく一緒だった~!と、
びっくりした記事を見つけてしまいました。
(まだ現役時代だった頃、偶然アリス・ミラーの本に出会った時にちょっとだけ
 似たような驚きでした)
 


この記事は、後で整理しようと思いコピーしていたのですが、
自分の言葉でまとめられないのでそのまま掲載させて貰いますw

いじめ問題に焦点が当った記事ですが、私の中学時代は穏やかな
時代でしたし、いじめがなかったとは言い切れませんが今日のような
深刻さはありませんでした。
ここで注目したいのは、以下にあるように、教師のイデオロギーが
教育現場でまさにこの記事にあるのと同じ方法で施された、そういう
教育を2年、3年の2年間に渡って社会科教師だった担任から受けた
という事実です。
毎日、反省会という名目の学級会が1時間以上行われました。

驚きましたね~。でも、1年の時の担任は英語の教師だったせいか
班活動とは言わず、「バーズ学習」という呼びでグループ編成を
しましたが、生徒を、画一的な型にはめるような意図は全く感じませんでした。

タイトルに関連してしばらく関連した記事を続けたいと
思っています☆


************************

昨年(註、1994年)の七月九日付の読売新聞によれば、「東大阪市市立小学校の教諭が問題児のお腹にはさみを突き付けて、『怠ける子の心には悪魔が宿っている』と脅した。クラスを八班に分けて級友の態度をお互いに監視するように指示をした。毎日○×方式の採点結果をもとにして、『最悪版』」―これはビリ班とかボロ班とか言うんですね。どの班が一番悪いかを決めまして、誰がいるためにこうなったかというんで、つまり責任追及になるわけですね。班を競争させて、いちばん悪い班はどの班か。それは誰がいるためにこうなったのかというわけで、つまり集団いじめが教育目的になっている面がある。

 これは、全国生活指導研究協議会という共産党系の組織がございますけれども、それが「集団主義教育」―これはマルクスの疎外論というものを学校教育に機械的に適用したもので、『学校集団づくり入門』という本がございます。これは最初の第一斑は昭和三十八年に出ておりますけれども、第二版は三十八刷を重ねている大変なベストセラーで、今日も大きな影響を与えております

 この本には次のように書かれております。

 「一見なんの事件もなく、おだやかさのなかにあぐらをかこうとしがちな集団にゆさぶりをかけ、ことさらにごたごたをひきおこす。それを班内のごたごただけでなく、班と班との対立、ぶつかりあいとして導き出すのである。そのために、相手にけちをつけ、いがみあい、やっつけあうといった、いわばえげつない争いの方法を実践的にたいせつにする。
 

 日直からある班が『ボロ班』と評価されたとき、この屈辱的な評価に対してその班の子どもたちは感情的にいらだち、それは班の内部にも向けれられて、『おれはちゃんとやったのに、おまえがだめだから』といったやりあいが起きてくる」 こういうことが今日もなお三十八刷を重ねているベストセラーの中に書かれていて、これは明確にソ連のマカレンコの「集団主義教育」を実践しようしているわけでございます。」

 同書第一版の「まえがき」には、次のように書かれています。

 「教師のりくつぬきの要求を先行条件として子どもたち相互間の矛盾相剋を意図的に激化して集団化への道を否応なしにひらいていく過程が組織的に用意され、徹底的に妥協のない点検と追求のなかで、集団成員の相互責任モラルが求められる

 社会主義が崩壊している中で、大変時代遅れな学校経営が今日なお大きな影響を持っているという事実を指摘しておきたいのであります。文部省は通達を出して、緊急アピールをしましたけれども、教育的な土壌、つまり攻撃的な風土ですね。集団でみんなを追求して行くという、そういう攻撃的な風土を改めて行かない限り、なかなかいじめを根絶することは難しいんではないか。その点がほとんど指摘されないので、私はあえて指摘しておきたいと思うわけでございます。


 福岡県筑前町立三輪中いじめ自殺事件では、自殺した中2男子生徒に対する集団いじめを誘発した者は、「君は偽善者にもなれない偽善者だ」「うそつき」などと男子生徒を罵倒していた担任教諭であった。この教諭は、自らの行為が男子生徒と級友の関係をぎこちなくしたことを自覚していたにもかかわらず、男子生徒に対する集団いじめを止めようとはせず、また学業成績をイチゴの品種に例え「(高価な)あまおう」「出荷できない」などとランク分けして生徒を呼んでいたという。

 岐阜県瑞浪市立瑞浪中いじめ自殺事件では、自殺した中2女子生徒は、バスケットボール部の部活動の中で、シュートを失敗したり、強いパスを受けることができないと他の部員から冷笑され、ミスするごとに「ごめんなさい、ごめんなさい」とチームメートに謝っており、女子生徒の遺書にも部活動で一緒の同学年4人の名前が書かれ「本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これでお荷物が減るからね。もう何もかもがんばる事に疲れました」などと書かれていたという。

 (略)

 いじめ、未履修問題で国の権限強化を検討

 政府・自民党が今国会の最重要法案と位置付ける教育基本法改正案が30日、衆院教育基本法特別委員会で審議入りした。審議の中で、伊吹文明文部科学相は高校必修科目の未履修問題や多発するいじめ事件をめぐる教育委員会の対応が問題化していることに対し、法改正も視野に、教育に関する国の指導監督権限強化を図る考えを示した。具体的には教育長任命の際の認可権を文科相に付与することなどを検討する。

 特別委は、安倍晋三首相らが出席して総括質疑を行った。首相は同改正案について、「志ある国民を育て品格ある国家を作るのが改正の目的だ。公教育を改正しなければ(経済的な)格差が拡大する恐れもある。改革は待ったなしだ」と述べ、今国会で成立を期す考えを強調した。

 一方、伊吹氏はいじめや未履修問題に関連し、「政治からの中立性のため教育委員会は置くべきだとは思うが、文科相の教育長の(任命の)認可権、是正措置を要求する権利がなくなっている。かなりの見直しをしなければいけない」と述べた。地方分権一括法施行に伴い弱まった文科省の指導監督権限の再強化を図り、国が教育現場に責任を持つべきだとの認識を示したものだ。これに関連し、安倍首相は同夜、「教委はチェック機能を果たしていなかった」と指摘した(中略)。


「多重構造」責任あいまい

 学校教育の監督は誰がするのか。国が教育内容を定め、自治体が管理する現行の教育委員会制度は、学校、市町村、都道府県教委、国-とつながる「多重構造」が、責任や学校教育の“品質”管理をあいまいにしている。

 学校の教育内容は文部科学相が告示する学習指導要領で定めるが、指導要領に基づく授業が実際に行われているか、各学校を国が指揮することはできない。国は都道府県教委に助言や援助、指導ができるだけだ。

 都道府県教委の業務を実質的に指揮する教育長(特別職)の選任はかつては知事が任命、国が承認した。だが地方分権の進展で平成11年、国の承認は不要に。国が都道府県教委を監督する権限もなくなった。

 この結果、国の指導を無視する都道府県が相次いでいる。福岡県教委は地方公務員法に違反し、教員の勤務評定を実施していなかった。兵庫県教委は国の再三の指導を無視し、教職員組合の教研集会に有給で参加できる取り扱いを続けた。教員の政治活動が問題になった山梨県教委は教育長自らが違法な政治カンパに加わり、文科省の指導に従わない状態が続いた。

 小中学校はさらに複雑だ。学校管理の責任は市町村教委がもつ。教壇に立つ教員の任免権は都道府県教委で、教育内容は指導要領として国が作る。ところが学校教育の品質管理を見ると、国が各学校を直接指導、是正する権限はない。市町村教委は組織が脆弱(ぜいじゃく)で、学校の状態把握などが十分できていない。 学校教育の質を維持、向上させ、国の指導方針などを現場の学校に浸透させる役割を持つ指導主事を市町村教委に配置しているのは全市町村のうち44%の自治体のみ。福岡県筑前町教委には指導主事がおらず、いじめ自殺を誘発した教員の言動を把握し、注意する担当者すら今年3月までいなかった。北海道滝川市には指導主事が1人いたが、「いじめを訴える遺書があればいじめと考える」とする国の指導を無視して解決を遅らせていた。(産経新聞10月31日)


 中央政府が都道府県教育委員会を監督する権限を喪失した平成11年(1999)以降、日教組の強い地域では、集団いじめを助長するマカレンコの「集団主義教育」を実践する左翼教職員が跳梁跋扈しており、だからこそ、いじめ自殺事件が起きた中学校の校長や教育委員会は、日教組や日教組と連帯している部落解放同盟から糾弾されることを恐れる余り、言を左右にしていじめ自殺の真相と責任の所在を隠蔽しようとするのではないか。

****************************
 
   余りにも長いので、まともに読んだらくたびれちゃいますよね(笑

   もう少し簡潔に省略したいところですが、私も疲れました、目が^_^;

 

(追加)
   お昼に帰ってきた夫が書類を抱えて、また慌しく出かけたので・・
  少し続きを書いてみたいと思います。

   このページを開いて、「集団主義教育」の内容を読みながら、やはり
  私たちも一種の洗脳教育を受けたんだなぁと改めて思いますね。
  1学年に3クラス程度の小さな中学校でした。
  隣の学区から来た生徒たちと中学では合流しましたが、小学校時代からの
  友達や上・下級生たちとも幼友達同然の仲よしにも囲まれていて、相思相愛の
  男の子もいて、いろいろな活動も含め、私の思い出の中ではとても楽しい時代でした。

   担任だった社会科の先生とは、家が近かった事もあり、
  保育園の園長だった先生の奥さんと、私の母は仲が良くて
  あの頃は校長先生は必ず、また教師の借家も必ずと言っていいほど
  学校の近隣にあった時代です。普通のご近所付き合いが大人の間には
  あったのでしょう。

   先生には、二人の男の子がいましたが、血液型が不適合とかで
  不幸な事に二人とも脳性麻痺を患っていました。
  彫りの深い顔をした先生と、美人奥さまの年子の二人は、幼い時も
  日本人離れした端正な顔立ちだった事を覚えています。

   中学生なりに当時考えていた事は、皆平等・平和な社会・民主主義を
  大切にしなければいけない、万一どんな場合でも(貧乏や病気等・・)社会が
  弱者を守るために皆で助け合うことや、互いの人間としての尊厳は
  尊重されねばならない・・そういう大切な事を教えてもらっているのだと
  受け止めていました。先生が理想とする社会に共感しました。先生自身、
  本気で願ってたから教えたんだろう、今でも思います。先生には嫌な思い出
  ありません。そういえば、岩○○という苗字だったので、みんなガンちゃんて
  あだ名で呼んでました(*^_^*)

   でも、長い間心に引っかったまま、時々思い出す級友がいます。
  1年の時初めて同じクラスになった男の子です。

   怒りっぽい性格だったけど、ふざけたり面白い性格の、そのくせ
  本当はとても真面目な性格の男の子で、仲良かったのに、
  2,3年になったらとても声をかけにくい雰囲気に変っていきました。
  気難しい顔をして、いつもクラスの皆をチェックしたり、肩を怒らせた
  ように腰掛けている授業中の背中を、今でも思い出す事があります。

   給食の時間は必ず机を8個並べあって一緒に食べ、勉強も掃除も
  とにかく何でも班ごとだったような覚えがありますが、だんだん皆が
  互いを監視し合って減点を付け合うようになってから、何をするにも
  黙って黙々と、本当に一言も口をきいてはならない規則に縛られて
  互いに緊張しあっていました。

  私は笑い上戸な性格だったので、真面目にやらなければならないところで
  噴出したりして、そういうことでよく減点の対象になって、給食の時間に
  友達とおしゃべりしたとかごくつまらない事でボロ班になったと責められたり
  次の班を決める時にどこにも入れて貰えない羽目になった事がありましたが、
  あまりその事がネガティブな思い出にならなかったのは、そういうことよりも
  楽しい思い出のほうがたくさんあったからではないかなと思います。

   現代社会でこの教育が行われたら、想像するだけでも怖いものを
  感じます。と、同時に、この時代に受けた教育はとても良いものだったと
  肯定したまま、次の世代に引き継がれてそのまま伝統のような形式にようなもの
  が出来上がってしまったのであれば、覆す側=真実に気がついた人達の努力は、
  これが正しいと信じるが故(?)の 並々ならぬ抵抗を受けるのも無理はない。
 
  長年の教育の結果であるならましてや・・です。

   
  
  
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by hanamizukidayo | 2007-07-18 10:04 | 政治・社会

聖書とは宿題を投げかける本である


「聖書の呼ぶ声」というサイトがあります。

ご存知の方も多いと思いますが☆

旧約聖書に見られる歴史的な出来事に、果たして神の御意思が
どのように関係すれば、一見神の特質を疑わざるを得ないようにすら
思える記録をどう理解すればよいのか困惑する時・・

また、聖書を開いても以前の教えと自動思考で連動してしまう・・
好きな聖句や、好みの部分しか読みたくない・・
読まないよりはいいんだろうけれど、これでいいのかなぁと
立ち止まってしまう時があります。

しばらく忘れていたのですが、最近またこのサイトの事を
思い出して開いてみました。それで、非常に興味深く読ませて貰いました。

聖書は、視点を変えて読むと非常におもしろくまた興味深い本だと
改めて実感します、驚きです。
エホバの証人の教理がもたらした、消えにくい重圧感からの解放をも
味わえると思いますよ☆

お薦めサイトの一つです(*^_^*)


一部ご紹介します。

続く・・
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by hanamizukidayo | 2007-07-18 08:15 | 宗教

w

来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。

 集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。

 しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。

 作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。

 軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。

 沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。

 前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。

 例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。

 その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。

 子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。




関連ニュース02/28 11:37 日本語正しく使えますか?6月から検定...
02/26 22:54 台湾人学校の歴史教科書使用禁止
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by hanamizukidayo | 2007-07-12 14:18

聖書外典も「啓示の窓」

10日の読売夕刊に「国際聖書フォーラム2007」の記事を
大きくとりあげています。

興味のある方はどうぞ(*^_^*)

実は私も聴きに行きました。


私の信仰の拠りどころとは?
何をどう信じたいのか? 
この時代、聖書をどう捉えどのように読むか?

長い時間かけて自問していましたが、
いろいろ考えていた事が自分なりに整理できたような気がします☆

セミナーは、「真理はこうだ!「とか、「このように信じるべきだ!」 
といった画一的な説教や見解の押し付けではなく、
むしろさらに課題が提案されたように思いましたが、
そこがまた素晴らしいと思いました。

外典についての考え方は分かれているようですが、
私はイエス様の教えの本質を(今のところ)四福音書のみから
深く深く胸に刻みたいなあと思います。

付け加えるとしたら、旧約の特に第2イザヤ・・私など及びもしないけれど
イエス様の視点に想いを馳せると涙が出てしまいます。
 普通(大雑把な言い方ですが)の人間だった方が・・。

  ↑ 私見です。
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by hanamizukidayo | 2007-07-12 11:04

不安

 ある時は、待つこと

 ある時は、退くこと

 ある時は、突入して闘うこと

  
 
 心が騒ぐのは大切なものがあるから
 かけがえのないものがそこにあるから


 もしかしたら、杞憂にすぎないかも知れない
 もしかしたら想像以上に厳しい事態なのかもしれない


  私にあるがままの現実と事態を見抜ける賢さと
  すべてを受け入れる強さを 与えてください。



  
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by hanamizukidayo | 2007-07-11 14:46

家事の合間に

 今朝は息子たちも夫の手伝いで一緒にでかけました。
夜中までかかるそうなので、ちょっと一息~(^。^)y-.。o○
悪いけど、たまにいないとホッとしますねww

とは言っても・・今日も何人か来るだろうし、食事の仕度はいつもと
一緒ですけどね・多分^_^;

毎週スイカの大玉2個、桃1箱 八百屋さんで買って、ハンバーグなら
一度に1,5キロのひき肉をこねて、配達の食材を使うとは言え、買出しもありで
毎日給食おばさんやってます。

土曜日だけは完全開放させて貰い、夕方仕事が終わってから
友達とおしゃべりしたり、ぶらぶらショッピングしたり
本屋さんに立ち寄ったり・・その時の気分で息抜きしてます。

 私の仕事、夫からはいつも辞めろと言われているのですが(多分、
体力を心配して)、外の仕事がなかったらどこまでもダラケてしまうんじゃないかと
決心がつきません。
出かける前の緊張感と、終わった後の達成感(自己満足かもしれませんが)は
普段の生活では味わうことができないものなので。
仕事だと大威張りで出かけられるしね(笑




ところで、今回の参議院選挙について一言、
マスコミの誘導が、果たしてどれほどの国民を動かすのか、
そこに注目したいと思っています☆
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by hanamizukidayo | 2007-07-11 14:11 | 日常

しつこいようですが、再びw

 国民の最大の関心は、消えた年金問題・・本当にそうなんでしょうか。
ことさら責任問題と騒ぎ立てて政争の具にしなくても、他に考えなきゃならない事は
たくさんあるような気がしてなりません。

先日も小沢党首は、記録が消えてしまった人にもすべて支払うなどと、言ってましたが
常識的に考えて、そんな事が実現できるはずがないと思います。
悪意の人にも、言われるまま無差別に鵜呑みにして支払うつもりでしょうか?
それこそ、無責任な放言ではないかと思います。

 「年金問題は重たい問題なので、超党派で取り組む事が求められる。
スエーデン、ドイツ、イギリスはそのようにしてきた。
戦前のドイツで、時の与党を年金問題で攻撃し、大躍進したのが、
ヒトラーのナチスだった」
雑誌で拾い読みした記事です。


 ずさんな社保庁を放置してきた責任は、与党にだけあるとも思えないし、
ましてや阿倍総理の責任ではない、と思います。
まさか日本がこうした問題で、ナチスのような全体主義国家になっていくとは思いませんが、
マスコミの煽りに乗ぜずに、多難な時代を切り開いていくため、どのような価値体系を持ったリーダーがふさわしいのかよく見極める必要があると思います。

 どうせ政治家や官僚なんてろくな人はいないとか、政治には何を期待しても
始まらないとかそういう意見を聞きますが、本当にそうでしょうか?
私にはあまりにも一般化した言葉に思えます。
政治家は皆、自己中心で自分の利益しか考えない人間だろうと、
見くびってしまったら、人の才能や真価は発揮されないと思います。

 政治家や官僚は、余りにも長い間、マスコミに批判されたり、風刺されたり
不当な非難を長い間、必要以上に浴びてきたのではないか・・社会のそういう体質(政治家や官僚を国家権力として不当な評価)が、社保庁においても国(与党政府)が、
人(労働組合)に見下され、結果として、国民の個々に多大な
不利益をもたらすような顛末になってしまった原因の一つなのでは
ないかなと思いますが、考え過ぎでしょうか??

 教育の現場でも、日教組は権力(校長)に対して、政府自民党が決めた教育指導要領に基づく校長らの指導は「不当な支配」なので従う必要がないという屁理屈で、校長の指導を拒否してきたという事実があるそうです。

 戦後の教育やマスコミの報道の仕方など、いろんな要素が複雑に絡まって
私たちの価値感は、影響を受け形成されてきている・・・
宗教の価値感を否定する環境で育つのと、敬虔な宗教環境で育つのとでは、
違いが生じるのと同じように、まともな政治家に対しても良いことには当たり前、失敗を見つければ非難を垂れ流し、過剰反応を煽り立てるような事が日常的であれば、
政治不信に陥ったり、どうせ誰がなっても世の中は変らないでしょなどと、
選挙にも関心を払わなくなるのも、当然の結果なのかもしれません。

でも・・そうなった時、ツケを払わなければならないのは国民である
私たちなんですよね。


美しい国とは、自然や景観の美しさ以上に人の美しい心の持ちようだと、
言った人がいましたが、前にも書いたように
ノーブレス・オブリージュ(高貴な者の責任)  を促すには、それぞれの
実像を肯定的に受け止める姿勢もまた、大切ではないでしょうか。
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by hanamizukidayo | 2007-07-04 16:57 | 政治・社会