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寒くなりましたね

今日で11月も終わりですね。、今月は、プログを始めてから
最低の更新記録になってしまいました。

このような状態にもかかわらず、訪問して下さっている皆さま
ありがとうございます。


正直、迷いが生じたり心が揺れ動いている時って
どう考えればいいのか、皆目分からなくなるので
文章がまとまりません。
じゃあ、カッコつけないでそれをありのまま書いたらどうか、
というご意見もあるかも知れませんけども、
何となくモヤモヤとするばかりで
具体的に書き様がないという
状態でした。

病院にも行きましが(不眠症の薬との付き合いは長いのです)診察室では、
薬の効き具合だとか、聞かれること以外特に話したいこともありません。

私の今通っている病院は、アルコール依存症の患者が多い事で
有名らしいのですが、確かに待合室では手の震えが止まらない
ような人、時には癲癇のような発作を起こして
床に転がる人、大声で延々とおしゃべりする人
いつ行っても混みあう待合室で、いろいろな場面に遭遇します。

高齢の人も学生から20代の若い人も、中年も男性も女性もと、
様々な層の患者たち。長い長い待ち時間の末にやっと診察室
に入りますが、院長室以外に置かれた3つの部屋は薄いカーテン
で、形ばかりのプライバシーが保たれる程度。中待ちの椅子に掛けて
いると嫌でも中の会話が聞こえるし、今時のおしゃれなインテリアや
BGMにも無縁の雑然とした環境ではありますが・・。

今の私はそういう病院でも全く気にならず、必要なお薬が入手できれば
どこでもいい。カウンセリングの必要もない。そう思っています。
でも、今回で3,4回目の診察をして下さった女医さんは、

「はっきり言って、欝ですよね。
絶対に楽になるから、この方法でこの薬飲んでみて」
私の顔をまっすぐ見ながら言ってくださいました。

と言うわけで、今までよりも薬の量が増えてしまいました。


精神科との付き合いは 前世紀 からですので、
途中で中断した時期もあったとは言え、かなり長いと言えるでしょうね(笑

具体的な事は書けませんが、
個人の力ではニッチもサッチもいかない会衆内の
複雑な問題に巻き込まれ、当時は精神科にかかる
こと自体、長老の目を意識しなければならなかったため、
手当てが遅れたと言えなくもないと思います。
自己責任を回避したような言い方のようですが・・
当時はそういう空気があったのは事実です。

ある姉妹が、離婚によるショック(離婚という結論に至るまでが
長い苦しい道のりで、大変なストレス・加えて神は離婚を
憎まれるbyマラキという教えへの罪悪感も重圧)から欝病になり
精神科に通っていたら、長老から「まだ行っているのですか」と
苦い顔をされたという話を聞くような時代でした。

そうやって感情を封印した時間が長すぎた分、心や身体のバランスが
崩れ始めたら留まることを知らない激流のように、洪水に流されたかの
ように自分を失った時期がありました。

処方された薬は飲んでも飲んでも効かない、30分1時間おきに
次々に飲み続けて、病院に運ばれた事も何度かありました。

でも、その頃通っていた病院の担当医師は、患者の私に
数年経ってから打ち明けてくださったのですが、
エホバの証人の姉妹達を何人も診ている方だった
のです。

当時の私は当然ながら、未信者の人を躓かせてはならないと考えて
いたので、夫にも、その医師にも、悩みの原因は話さないように
努めていたつもりでしたが、薬で朦朧とし医師の顔はおろか
病院だという事も分かっていない中で、けっこういろいろ
話してしまっていたらしのでした。

比較的落ち着いている日に診察を受けた時など、集会の事や
あの問題にどう向き合っていますかと訊ねられるので、
「あっ、私はそんなことまでしゃべってしまったんですね!」と
自分でびっくりする事もしばしばでした。

有名医大で心臓外科医だった経歴を持った方で、その当時
エホバの証人の輸血拒否に直面した事などお聞きしましたが、
少しも偏見や個人的な考えを押し付けず、いつも優しい表情をして
接して下さったので、私もだんだんと何でも話せるようになって、
組織内の悩みも打ち明けたりするようになりました。


そして今から3年前、ちょうど今の住所に引越してきた頃と重なりますが
通いきれない場所に転勤されてしまったのを機会に私も病院を変えました。

最後の頃、「目覚めよ」に以前はあれほど精神科の治療に
注意を呼びかけていた協会が、「対処しにくい危機の時代だから、
精神的な病気も適切な治療を受けるように」
という記事を出したので、その雑誌を持参して言いました。


「今頃になってこんな記事が出ました。信者を病人にした挙句、
病院へ行って治して来いと言ってますよ。自分たちはもうお手上げ、
面倒見切れないと言いたいのでしょうね。先生、これからもっと、もっと
私のような患者が押しかけてくると思います。
これを何かのお役に立てて下さい」

そう言って、Jw関連のサイト、特に精神疾患に関するページは
目にした限りのものを印刷してお渡ししました。


もっとも、その日の帰り道は「とうとうここまでやってしまった。
もしかしたら天罰が下って、今日にでも死ぬのではないか?」
冗談抜きに、緊張しながら運転して帰りましたが(苦笑

でも、「もう辞めました」と言った時、目を見張り「あなたのような人は始めてです」
と仰って、自分が担当している証人患者たちの置かれた難しい状況も
いろいろ話して下さり、資料も喜んで受け取って下さった嬉しさの方が
大きかったと思います。

毎回十分に時間を取り、話に耳を傾けて下さいました。
あの頃、自殺願望が強かった私のために

「薬を飲みたくなったらいつでも来てください。
私は○曜日以外だったらいつでもここにいますから」

その言葉が、自暴自棄にならないように私を支えてくれた
と感謝しています。



世の中には素晴らしい人がたくさんいます。決してサタンの支配する
邪悪な世などではない。悪い事も起きるけれどそれはあって当たり前。


他人を信頼する事が難しいと感じる時代かも知れませんが、
昔も今も、中にはそうではないような人も存在するとしても
個人の持つ正義感や優しさは、大小の差があるよう
だとしても、表し方もそれぞれの形が異なるだけで、
本当は誰もが優しさを持っていると思います。
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by hanamizukidayo | 2007-11-30 14:50 | 日常

12月1日公開 映画 マリア

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まだ映画館の情報は分かりませんが、いよいよ近づいてきましたね。
試写会を観た人たちのコメントを読んで、ますます楽しみになりました。

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tymv/id328745/

全国上映情報が出ました。11/26
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by hanamizukidayo | 2007-11-22 12:16 | 宗教

Amazing Grace 

今日は友達に素晴らしいプレゼントを頂きました。

彼女の通っている教会の神父さんが、歌詞を
日本語に翻訳されたそうです。
一人で聴くのはもったいないので
ナナ・ムスクーリさんの
   Amazing Grace 一緒に聴いてください☆

歌っているのはギリシャの神殿とか。
彼女はクレタ島の出身で、今は
政治家だそうです。(才色兼備スゴイ)



http://jp.youtube.com/watch?v=lhc7MEYY-Ho&mode=related&search

<1>
Amazing grace! how sweet the sound
眼を見張るような恵み! なんと甘やかな響き

That saved a wretch like me
私のような愚劣な者を、それは救ってくれた。

I once was lost, but now am found
私は神のまなざしの中から失われた、
しかし今、私は見つけだされた。

Was blind, but now I see.
私の目はそれを見ることができなかった、
しかし今、見ている。


<Ⅱ>
'Twas grace that taught my heart to fear
恵みが私に神への畏れを教えてくれた。

And grace my fears relieved
そして恵みは私からあらゆる恐れを取り去った。

How precious did that grace appear
その恵みはなんと貴重なものだろう。

The hour I first believed
その何ものにも代え難い恵みが、
わたしに信仰をくれた…。

<Ⅲ>
Thro’ many dangers, toils and snares,
たくさん骨折りをし、誘惑にも出会った

I have already come;
でも今、ここまでたどりついた。

’Tis grace has brought me safe thus far,
あなたの恵みが無事に運んでくれたからだ

And grace will lead me home.
これからは「故郷」へと手を引いてくれる



<Ⅳ>
The Lord has promis’d good to me,
主よ、あなたがお約束なさったものに
悪しきものは一つもない

His word my hope secures;
あなたの「みことば」がその希望のささえ

He will my shield and portion be,
主は信じる者のいのちとなって敵をふせぐ盾

As long as life endures.
いのちある限り


<Ⅴ>
Yes, when this flesh and heart shall fail,
肉体とたましいが衰え

And mortal life shall cease;
地上の命を終えるときがやがて来ることを知っている。

I shall possess, within the veil,
しかし、その時、柩にあっても…わたしは、そうわたしは

A life of joy and peace.
平安の内に喜び踊ろう


<Ⅵ>
The earth shall soon dissolve like snow,
大地が雪のようにとけ

The sun forbear to shine;
太陽が光を失ってゆく時がやがて来るはず、

But God, who call’d me here below,
しかし神さま、私をこの世に招き入れたあなたは

Will be forever mine.
とこしえに私のものだ



JWから逃れた私たちは、
一時は神を信じた"愚か者"です。
けれど、"愚か"な私たちを
主は何と祝福して下さっているのでしょう!

Jwを逃れた事は誰もが勇気のいることでした。
喜びも、すべてをさえ見失い悩みの淵にいた
あの頃も現在をも、主はみんな見ておられる、
慈しんでくださっていると私は信じます。
無条件の愛で。

いつか胸を張って、苦しんだことで無駄なものは
何もなかったと言えるようになりたいです。
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by hanamizukidayo | 2007-11-21 23:17 | 宗教

晩秋

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寒くなりましたね。


ネコりんたち、元気にしています♪

クロちゃんは、写真にすると何だかよく分からなくて
アップに耐えられるような写真は撮れませんが、
ご機嫌なのか、お猿みたいな面白い顔をして
床でくねくね身体をよじって遊んでいます。



今日は仕事の帰りにデパートに寄って、豪華な
クリスマス・イルミネーションを楽しんできました。

いよいよ冬ですね。
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by hanamizukidayo | 2007-11-20 17:58 | 写真

神さまは愛  愛は神さまなんだよ

聖書研究は長期間続くケースが一般的なので、最初の頃の気持ちを忘れて研究生が、順調でないと感情に任せてヒステリックになるというのは、恩着せがましい気持ちの表れではないかと思います。私たちは誰の僕でもない、「み子の友」とイエス様が仰っています。本来なら教会(組織)の働きは、個人が自立した信仰を持つように助けるためのものであって、組織に依存させるためのものであってはならないのだと思います。

時々、ネット上で見られる司会者の言動、長老の言葉や態度に傷ついたという書き込みや記事が見受けられます。痛いほど気持ちが伝わってきます。実際私も似たような体験をしました。

研究司会者の態度は、組織の体質の表れです。人生のすべてを預けて「組織」に依存し、従順に従う者のみが救われるという教えですので。

長老や司会者の立場の人は”伝え・伝えられ・分かち合いの気持ち”こそが、”「お互い」の尊厳を認め合う”キリストの模範に倣って愛を実践しているかどうか、よく観察なさって下さいね。本当に大切なのは、多くの教理(知識)ではなく愛です。
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by hanamizukidayo | 2007-11-19 13:27 | 宗教

あなたがたは友です

わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。

もはや、わたしはあなた方を僕とは呼ばない。

わたしはあなた方を友と呼ぶ。
                      ヨハネ 15:12、15



エホバの証人の基本的な教理の一つに、
「聖書には天に行く人と、住み慣れた地上で永遠に生きる二種類の
希望があります。油注がれたクリスチャンである14万4000人は
霊者として天に復活して、大群衆は地上で永遠に生きるのです」
というおなじみの教えがあります。

わたしの研究司会者は、大変真面目な性格の人で
75年以前にバプテスマを受けた筋金入りのバリバリ
開拓者でした。個人的な会話は好まないタイプで、
私的な無駄話をせずどんどん研究を進めてくれたので、
家庭聖書研究の時間は充実して楽しいものでした。
とても上手な教え手で、わたしは司会者が大好きでした。

今頃どうしておられるかなぁ・・と時々思い出します。
子供達が離れたり、家庭内でいろいろ問題があったようですが、
集会ではいつも明るい顔をして、信者だったお母さん姉妹が
亡くなった時も、涙一つ見せずに「楽園が楽しみだわ♪」と
ニコニコ振舞うような姉妹でした。わたしがバプテスマを
受けて間もなく、同じ県内の他会衆に引っ越しされましたが、
兄弟が離れたとか子供達が登校拒否や家庭内暴力をしている
という暗い噂が風の噂に聞こえてきて、何となく電話もしづらい
雰囲気のまま疎遠になり、今日に至っています。

あの頃は会ったり電話をしたりすれば、彼女のプライドを傷つけるの
ではないか?と、今思えば余計な気回しをし過ぎたかもしれません。
一度だけ、ストレス性の大腸炎で入院しているという話を
聞いて、親しかった姉妹とお見舞いに行ったことがあります。
本当に、今どうしているのだろう・・確かめる手段が思い浮かばない
のが寂しいですね。でも、古い姉妹達と一切の連絡を絶ったのは
こちらの方なので、仕方ありません。

姉妹に教わったことで強烈に残っているのは、

「そもそも聖書は、天に行く人達のために書かれたんですよ」と
言う言葉。(じゃあわたしなんかが研究してもしかたないですね、とは
言えなかったw) もったいない、ありがたやです。

「パウロとバルナバの争いは"霊的に高い次元の言い争い"だった」(?)

「エホバの証人のルーツは、アベルです」きっぱり。これは協会の見解と一致。

「巡回監督の訪問は、各会衆の開拓者を励ますのが主な目的」
(偉大な開拓至上主義者)

「うちの子供たちは、自然に霊的な成長をしたのではありません。
聖書的にゴムホースで40回(以下)の鞭をして来たからです」
(だから研究生のわたしには百回叩け、と言う意味)


なぁんとなく、どういう感じか伝わるでしょうかね。
今はいないと思います。こういう姉妹。
到底真似はできませんでしたし、ちょっと違うのでは?と思う事も
ありましたが、当時でも不器用なくらい大変模範的な証人でした。
会衆の姉妹達とはちょっと距離を置いた感じで、奉仕中の世間話
などもっての他でした。

けど、好きでした。尊敬してましたね。




つい、長くなってしまいましたが、冒頭の聖句の感想を
最後に一言。
キリストは、”伝えたから友”と私たちを呼んで下さっている。

神ならぬ身でありながら他人に教えたからと、"僕・家来・子分"
のように思わないように。
そういう謙遜さを、宗教をやる人は見習う必要がある。
知識だけでは他人の心は動かない。
人に教えてあげようと思った時から、
「傲慢さ」が忍び込む。福音の喜びを分かち合い、共に喜び合う
ようにキリストは仰っている。司会者と研究生は師弟関係ではない。
それなのに、自分の思う通りに研究生が行動しなければヒステリック
に怒るという話をよく聞く。上下関係は組織の体質だ。初めの頃にあった
「音信を分かち合う」という喜びから、相手を「支配する」という悦びに
変質したら、もはや良いたよりの価値は消えてしまうのだ。
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by hanamizukidayo | 2007-11-19 00:10 | 宗教

自由な選択という欺瞞


神さまが与えた選択の自由には、エホバの証人のように人間が、一つの宗教を選択するためにだけ置かれたわけではないと思います。(創3章やヨブ記を知らなくても、聖書を知らなくても、基本的な教えには引寄せられる心を、ほとんどの人は持っていると思うから)

神さまの組織はただ一つ(←聖書的な根拠はないのに、勝手にそう言っているだけ)だから、エホバの教えにさえ従順にしていれば永遠の命、それができなきゃ(付いてこれない者や音信を聞く耳がない者、一般の教会員さえ)滅びるよ・・「神権支配に服しなさい」がすべてなのです。
キリストは「真理はあなた方を自由にする」と言われ、人の心を縛る律法主義的な人間の教えに苦しんでいた当時の人々に解放と救いを与えて下さいましたが、同じ聖書を使って、教会を批判し、他宗教をバビロンと見下すJW組織。
自分達だけが正しいと主張して、そうではない人達を神に変って裁く組織の体質は独善に過ぎないのではないでしょうか。

自分で考え、自分の意思で、自分の人生を責任を持って行動できる「自由」は素晴らしく、私たちに本当の尊厳を付与するものではないかなと思います。
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by hanamizukidayo | 2007-11-18 13:56 | 宗教

ワインの味

今日は、ボジョレー・ヌーボーの解禁の日。

仕事の付き合いで買った1ダースのワインを
義兄のお店や知り合いに配ってきました。

私は、ワインに合うようなおしゃれなお料理は作れないので、
お寿司を買って、生野菜のサラダにチーズやハムを
適当に盛り合わせ、
守屋前次官の証人喚問のニュースを観ながら飲みました。


「(防衛省の)関係者の方々には、本当に申し訳ない事を
してしまった」
「退職金はお返しします。」
償いをする覚悟を表明し、関わった大臣や関係者の
名前を挙げながらも、都合の悪いところは記憶に無いと
口をつぐむ姿を見て思いました。

何だか、個人のする悪などたかが知れてますね。
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by hanamizukidayo | 2007-11-15 21:40

やや浮上中

今日も、おだやかな小春日和になりそうですね。
さわやかな青空が広がって、気持ちの良い日が続いています。

今朝は夫が、早目に出かけてくれたせいもありまして、
珍しく朝からパソコンに向かっています。

夫が、遅く出かけて早目に帰ってくる
しかも日曜日も仕事。(平日にもっとしっかり働けば?と言いたいけど、言えないw)

このようなパターンが続くと、正直・・私は疲れます^_^;
ストレスを感じるのはお互い様でしょうけど。
それにしても、ダンナが日曜日も仕事を抱え込んでいると、
こちらも精神的に落ち着かないので、「どうしてもやむを得ない時は仕方ないけど、
休みの日はきちんと休んで欲しい」とお願いしました。
メリハリがないと人間続きませんよね。


話し合いが成立して、久しぶりに上野に行ったり、
頂いた招待状で明治座の公演を観たり、
共通の友達を訪ねたり、買い物を楽しんだり。

泊りがけで旅行に行くほどの余裕はありませんが、
少しだけ普段と違う事をしてみると、気持ちの切り替えに
なりますね。ほんと。

上野に行ったのは先々週だったのですが、「ムンク展」を
やっていました。ムンクも悪くないかもwと思いましたが、案の定
夫はもっと別のものにしようと言うので、結局、博物館で古代エジプトの
王妃のミイラとか、唐三彩や青磁の焼き物、中国仏教の仏像など見て、
それからちょうど公開されたばかりの「聖徳大使絵伝」(法隆寺宝物館・
ミュージアムシアターで解説付き)等々、渋いものばかり見ました。
夫の趣味に付き合った次第でしたが、満足気な顔でしたし、
紅葉が始まりかけた公園の巨木を見上げながら、散歩も
たくさんできて、私も行って良かったと思いました。

明治座は、大地真央さんのお芝居でしたが、紫吹じゅんさんとか
他、元宝塚のメンバーも加わっていましたのでなかなか華やか
でしたね。後半のショーは、もう宝塚っぽくて最高でした^^
現実離れした空間に身を置くのも、たまにはいいものだと思いました。


約10日間、脳性疲労気味の頭をゆっくり休ませて、
仕事もほどほどに、こどもたちの食事も適当に
手抜きさせて貰い、疲れが序々に取れてきました。

春になるまで更新できないのでは?・・と、
いう状態からは脱却できそうです。
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by hanamizukidayo | 2007-11-14 09:25 | 日常

お知らせです

新しいリンクを、追加しました。

お気に入りのページはたくさんあるのですが、
自分でリンクを貼る作業が出来ない私は、
息子に頼る他なく、都合のよい時にいつか
やってもらう予定でいましたが、そのうち
そのうちに・・と思っている間に、ムダに時間
ばかりが過ぎてしまいました。

今日はやっと息子を捕まえたのですが、
その前に、リンクを貼らせて頂こうかなと
考えていた方々に、承諾を頂いておくという用意を
前もってしていなかった為に、とりあえずお約束できて
いる方のものと、事後承諾でも多分OKであろうと
勝手に判断した方のもの、二つをご紹介します。


☆ ひよかの目。
JW系では有名な 元一世姉妹のひよかさんのページです。

郷里の岡山に戻られてからの、穏やかでゆるりとした
日常を綴っておられます。また、資格取得の勉強にも
励んでおられます。文章が巧みで、ぐいぐい引き込まれる
ひよかさんの世界。こんなブロガーになれたらいいなと
憧れちゃいますね(ムリは承知w) もちろん、底辺には
様々な経験を共有し合えるJW一世姉妹同士の
連帯感のようなものを、一方的に感じてまして
以前から秘かなファンでありました(*^_^*)

  ひよかさん、よろしくお願いしますね~♪




☆ 光あるうちに

クリスチャンのまこさんのページです。

以前にも、記事でご紹介した事がありましたが
まこさんは教会に行っていらっしゃるクリスチャンです。
「昼寝する豚」で意気投合しあった仲でしたが、
1年以上行方が分からなくなって寂しく思っていました。
でもそれは、私がぼんやりしていただけの話で、まこさんは
その後もJw系に来て下さっていたのでした。

勝手ながらプログタイトルの意味を引用させて貰うことに
しました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイトルの「光あるうちに」というのは、「あなたがたに光がある間に、光のこどもとなるために光を信じなさい」という聖書の言葉から採りました。
イエス・キリストは「私は世の光です」と、仰っています。キリストの内に留まる時、
喜びと希望と平安と愛が満ち溢れてきます。キリストがこの世に来られたのは、
闇の世界から、罪なる人間を救い出し、十字架の贖いによって、私たちに霊的な
永遠の命を与える為です。
命ある間に、キリストを信じて歩きましょうというのが、この聖書の言葉の意味です。
・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まこさん、よろしくお願いします~♪
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by hanamizukidayo | 2007-11-13 15:36