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聞いて下さい 「Loving Each Other」より



私の話しを聞いて下さい、と頼むと
あなたは 助言をはじめます

私は そんな事を望んではいないのです

私の話しを聞いて下さい、と頼むと
あなたはその理由について話し始めます

申し訳ないとは思いつつ
私は 不愉快になってしまいます

私の話しを聞いて下さいと、頼むと
あなたは 何とかして 私の悩みを
解決しなければと いう気になります

おかしなことに それは私の気持ちに
反するのです



祈ることに 慰めを見出す人がいるのは
そのためでしょうか


神は 無言だからです
助言したり調整しようとはしません

神は聴くだけで
悩みの解決は 自分に任せてくれます



だから あなたも どうか
黙って 心静かに私の話しを聞いて下さい

話しをしたかったら 私が話し終わるまで
少しだけ 待って下さい


そうすれば 私は必ず
あなたの話しに 耳を傾けます

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by hanamizukidayo | 2008-03-14 00:04

 子供たちを"立派"に導く

家庭環境
子供たちは、周りにあるものを吸収します。周囲の人々の態度を感じ取り、周りで行われている事柄を観察して、スポンジのようにそれを吸収するのです。精神的に緊張していようと、あるいはくつろいだ穏やかな気分でいようと、子供たちは親の気分を感じ取ります。赤ちゃんでさえ、家庭の雰囲気の特色を吸収しますから、信仰、愛、霊性およびエホバ神への信頼といった特質は非常に大切です。



(質問:子供たちを立派に導いているかどうか判断するのに、親はどんな事柄を自問できるでしょうか)
次のことを自問してみてください。わたしは子供がどんな基準に到達することを期待しているだろうか。両親ともその基準にかなっているだろうか。
自分の家族がよりどころとしているのは何だろうか。自分は子供に対してどんな手本になるだろうか。不平を言ったり、あらさがしをしたり、他の人たちを批判したり、消極的なことをくよくよと考えたりするるだろうか。自分が望んでいるのはそんな子供だろうか。それとも、家族のために高い基準をもうけ、それに従って行動し、子供たちにもそうすることを期待しているだろうか
家族の一員である以上は、幾つかの条件を満たす必要があり
、してよいことと、して悪い行いや態度があることを、子供たちは理解しているだろうか。子供たちは親に属しているという安心感を求めますから、家族の基準に従う時には、認められ受け入れられていることを子供が感じるようにしてやらねばなりません。人は自分にかけられている期待にこたえようとするものです。自分の子供をだめな子供だと考えるなら、おそらくその通りになるでしょう。ですから子供に良いものを期待し、その期待に応えるように励ますことです。

人々は言葉よりも行いによって判断されます。子供たちも、言葉より行いのほうをよく注意して見るでしょう。また子供たちは偽善に目敏いものです。多くのことを言い過ぎると、子どもたちは混乱するかもしれません。あなたの言うことは必ず行いによって裏づけられていなければなりません。


父親であっても母親であっても、その役目はやさしいものではありません。
しかし、命の与え主の助言に従ってそれと取り組むなら、喜ばしい結果が得られます。
あなたに割り当てられた役目を、命の与え主に対して果たすように、良心的に果たしてください(コロサイ3:7)
極端を避けて平衡を取り、「あなたが道理をわきまえていることを

お子さんを含めて、すべての人に知らせてください。
  
フィリピ4:5

広い心が知られるように・・新共同訳  聖書の教え:主にある者は広い心でいるように
  
                           by家族生活
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by hanamizukidayo | 2008-03-13 11:47

子どもは手段か

親としての役目 - 親を敬うのはやさしいことですか

子供たちは、「あなたの父と母を敬いなさい」と命令されています。(エヘェソス6:8、出エジプト20:12)子供たちが両親を敬うことは神の戒めを敬うことでもありますあなたは子供たちがそうするのを容易にしているでしょうか。妻は夫を尊敬するように命じられています。しかし夫が神のみ言葉の要求に従って行動する努力をほとんどしないなら、妻が夫を敬うことは非常に難しいのではないでしょうか。夫は、愛する連れ合いとして妻をいつくしみ、妻の誉れを配すべきですが、妻が助けになってくれないなら、そうすることは難しいのではないでしょうか。では親も、親を敬いなさいという神の戒めに子供たちが従いやすいようにしてあげねばなりません。平和な家庭を作り、良い基準を設け、親自身が模範的に振る舞い、健全な教えや訓練を施し、必要に応じて懲らしめを与えるなら親は子供たちの敬意をかち得ます。

「二人は一人に勝る。なぜなら、彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである」とソロモン王は述べました。(伝4:9)二人の人が一緒に歩いていて、片方の人が倒れたとき、もう一方の人は助け起こすことができます。従って、家庭でも、夫と妻は互いに支えあい励ましあってそれぞれの役目を果たせます。親として、ふたりの役目が重なり合っているところは非常にたくさんありますが、それは家族の一致のために良いことです。子供は両親の関係をいっそう緊密にし、しつけという共同作業によって二人を一致させるはずのものです。しかし時には、子供にどんな訓練や懲らしめを与えるかということに関係して意見の分かれるような問題も起こります・・・・・夫にせよ妻にせよ、平衡を欠くと高い代償を払う事になります。

確かにふたりは一人にまさりますが、一人はだれもいないよりもまさっています。片親はエホバ神の僕であるために聖書の助言にまったき信仰っを置いており、もう一方の親はそうではないといった具合に宗教的に分裂している家庭は少なくありません。夫のほうが献身したクリスチャンである場合は、家族の頭ですから子供のしつけや懲らしめのしかたに関してかなり自分の思うようになります。妻のほうが信者で、夫に服している場合、そのやり方は夫の態度に大きく左右されます。(とはいえ)夫が反対するなら、妻は使徒が述べている方法に頼らねばなりません妻が自分の務めをりっぱに果たし、うらうやしい態度を示すなら、夫は「言葉によらずに引寄せられる」かもしれません。さらに妻は機会を捕らえて、子供たちを聖書の原則に従ってしつけます。 ペテロ一3:1~4
                     byあなたの家族生活を幸福なものとする
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by hanamizukidayo | 2008-03-13 09:49

キティさんの経験また疑問を考える

キティさん、ここらでいったん戴いたコメントをまとめてみますね。

キテイさんも「魂の殺人」を読んでこの本と「家族生活」の共通点を見抜いておられますね。しかも、理性的に。嬉しいです。わたしが問題に気がついたのは"不活発"になりたての頃でした。子どもには鞭も振るって、家庭の中で神から与えられた権威とやらを行使しなさいという命令に従った後のことでした。子どもは神(組織)に不従順でしたから、その頃は"何であれ蒔いたモノを刈り取"り、子育てに失敗したクリスチャンと言うレッテルに自他共に甘んじていました。

キティ■高等教育の否定は、子供にJW以外の道を選択させないという意図も感じますが、それ以外にも信者からの寄付が減る(学費がかかる)、高等教育によって子供達がJWの矛盾に気付いてしまう、奉仕の人手が減る…などという理由もあると思います。
とにかくどれも、JWの都合の良いような理由にしか思えず、子供の人生を無視した利己的な悪意を感じます。



(はな)高等教育の否定は、実に世俗的な理由がJWの本音だったのですね。子どもの人生を無視した利己的なモノだった。

あーよかった。 少し救われます♪ わたしのいた会衆には大勢の若者たちがいました。当時は、義務教育の後普通科を選択した時点でレールから「落ちた子ども」だと見られました。わたしは税金をきちんと払うような社会人になって欲しい、また、子どもには自分の好きな道に進んで欲しいと望んでいました。JWであってもなくても。本当にしたかったことを許されなかった私自身の経験から進学に関してはこだわりがありませんでした。つい、自分の話になってしまいましたw

>人生の始まりの部分でレールをしかれ、「間違いを犯さないように」と怖れたり、大人(親)でも守りきれないような規律を子どもには期待し、行き過ぎた道徳主義によって窒息させてしまうなら確実に子どもの「魂」は殺されてしまうでしょう。

私も、決められたレールの上を歩くよう脅されたり、規律づくめで窒息しそうに苦しかったです



(はな)脅しや規律づくめでいう事を聞かせる、子どものために、愛するがゆえに、という大義名分で権力をかさにきた躾教育。キティさんも窒息しそうになるくらい苦しんだのですね。どこにいても、何をしても息抜きすらできないできない空気を吸わされる。それがあの時代、当たり前でしたよね。楽園行きの列車に載せられた子どもたちは、自ら降りる事も出来ずあの中で窒息していた
・・・・

キティ■長老に母が下記の助言を受けました。未信者の夫であっても懲らしめは父親にしてもらった方が良い。それが頭の権を敬っている事にもなる。とかなんとか色々言ってました。

(はな)頭の権とは便利な言葉ですね。都合の良いところだけ未信者の夫を立てる。普段は何と言ってたか・・ 異邦人でしたよ。 異邦人!  「家族の中でも親密にしてはならない」という教えが潜んでいました。反対すればサタン呼ばわりなのに、まったくご都合主義ですねぇ・・ ぁ~あ。


>懲らしめを与えることも父親の役目の一つです。「父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか」という問いがヘブライ12:7にあります。

お陰で、私は小学校高学年から未信者の父にムチをされる羽目になりました…。
散々ムチされたのに良い結果には結びつきませんでしたが(笑)


それを知らない人は、今のキティさんを見て想像もつかないだろうと思います。キティさんの素晴らしい感性やまっすぐな生命力に感動します!幸せいっぱいに生きてくださいね。

キティ■>愛を示すなら、自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。

って幼児の時は、母親から無償の愛を受ける時期だと思うんですが…。
それに、私は精一杯母に愛を示しましたが、母からはその愛に応えてもらえない事が多かったです。そもそも、見返りを求める愛は真実の愛ではないと思います。

>さまざまな労苦や要求が伴いはしても、良い母親になることほど有意義で、永続的な満足の得られる"一生の"仕事が世の中にあるでしょうか。

こういう文章があるから、JW母達は永続的に子供を自分の思い通りにして良いと思うんでしょうか。


(はな)↑女性の生き方が問われ、多様な価値感が急速に世の中に広がった頃ですので、わたしはこの一文に「納得したい」と思った覚えがあります。ただ、様々な労苦や要求という表現に今さらですが、怒りを感じます。人間の普通の感覚を何でも悪いモノにしたがるカルトの思考パターンにハマッテしまいます。大体、子どもは様々な労苦や要求をする厄介な存在だと決め付けてますね。親にとって子どもは本当に無条件に可愛いものなのに。

>愛を示すなら、自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。
おっしゃるとおりですよね。変な文章ですね。これをまともに取ったら、どっちが子どもなんだか。

無条件に愛し許すことができるのはむしろ子どもだと思います。幼いキティさんがそうだったように・・
子どもの方がずっとずっと寛大です。愛されたい、認めて貰いたい、好かれたいと一生懸命に親を喜ばせ愛します。無条件に、純粋に愛してくれます。子どもをみているとそれが分かります。



キティ■しつけについて両親の意見が一致していないこと=どうでも良いこと…な気がします。
その意見が一致していないと、子供たちは、"分裂させて征服"しようとするかもしれません。というJWの見方は、子供を何でそんなに屈折したものとして見るのだろう?と思ってしまいます。
このJWの教えは、どんな些細な事でも両親が決定して、子供を従わせたり、懲らしめたりしてよいと言っているのと同じだと思います。



>子供たちは、"分裂させて征服"しようとするかもしれません。

(はな)家族生活の教えが闇教育たる所以はここにあるかもしれませんね。
常に何かを、誰かを仮想敵視して恐れの感情を掻き立てているみたいですね。可愛いはずのわが子なのに。どんな些細な事でも見逃すな、兆候を読み取って備えなさいとよく言われたものです。




キティ■>「賢明な妻は、…。子供を甘やかし、夫をさしおいて子供の愛情をひとり占めしようとするようなことはしません」

とありますが、子供の愛情をひとり占めって…変な表現ですね。
そんな事を考えているお母さんているんでしょうかね?普通JWでなくても家族全員で仲良くしたいと思うのではないでしょうか…。
それに、子供が複数いる場合には親の愛情をひとり占めしたいという表現はあると思うのですが、逆の場合違和感があります。この文章からは子供は親の為に生きている、親に尽くす生き物として考えられているように感じます


(はな)キティさん、普通に読めば違和感を覚えてしまう箇所を指摘して下さって、ありがとうございます♪ 結局JWは目の前の配偶者や子どもであっても家族といえども、心から信頼させないように誘導するゆがんだ教えだということですね。クリスチャン会衆という大きな家族の成員、そのまた家族を考えた時、会衆では親も未熟な子の立場に過ぎませんから、懲らしめられて当然。信者は懲らしめを感謝する。神は愛する者を凝らされるのだから、自分も神に倣って愛する子を懲らしめる・・次第に目的もへったくれもなく単なる習慣になって悪い兆候=鞭、正しい教え。日常的過ぎて無感覚に陥ったのかもしれません・・一人一人の親は普通の感覚だったはずなのにこういうものを繰り返し繰り返し長年に渡ってしかも、徹底的に教えられまた人にも教えていかなければならなかったのですから。長くなりました。また気がついたことなど教えて下さいね^^ 
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by hanamizukidayo | 2008-03-11 15:06

闇教育   完璧な"服従"のために

子どもの弱さ、未熟さゆえに起きる失敗を咎めて折檻するのはよろしくない。折檻しなければならない罪はただ一つしかない、それは強情である。つまり、勉強しないからと言って子どもを打つのも、転んだといって打つのも、泣いたからと言って打つのもよろしくないが、しかし、もしも子どもがそういう事であれ他のどんなちょっとした悪さであれ、わざとしているものであれば、必ず折檻しなければならない。もしも、あなたの息子が、あなたがそうしろと言ったから勉強しなかったり、あなたに逆らうために泣いたり、あなたを怒らせるために悪さをする、つまり強情を張っているのであれば、  
   その時は殴れ、悲鳴を上げるまで、
   やめて、やめてパパ、いや、いやと!

なぜならそのような不服従はあなたの人格に対する宣戦布告と同じであるから、あなたは力をもって力を制し、あなたに対する尊厳を揺るがぬものにしなければならない。そうでなければ教育などとてもできはしないのだ。折檻するときは手加減せず、息子にあなたこそ主人なのだということを思い知らさねばならない。であるからわざと知らないと言っている事をちゃんとするようになるまで、子どもも折檻を止めてはならぬ。そうでないと息子はあなたと戦いをして勝ったのだと考え、それから後折檻されることがあっても、両親の支配に屈したくないためにそれを無視するようになる。くれぐれも注意せねばならぬ。なぜならば、子どもという者は結構目の鋭いものであって、あなたの弱点に目を光らせている。あなたが怒りに我を忘れているのを見れば、子どもは、あなたの折檻を怒りのなせる業だと見てたかをくくるであろう。折檻はあくまでも、正義の実現であらねばならぬ。もしそれができそうにないのであれば、実際に刑を与える役目は人に委ねたほうが良い・・・・・・・

赦しを与える場合にも、まったくぶっきらぼうにしてはいけないが、多少渋った様子を見せ、あなた方が子どもを可愛いと思っていても、子どもが自ら犯した罪を完璧な服従によって償い、両親の忠実な臣下であろうと決意していることを実証してみせるまで、決して悟らせてはならない。
子どもが幼い時から賢明な教育を施していれば、このように厳しい手段に訴えずともすむのが普通である。しかし、学校に上がるまでそういう躾を一度でも受けていないと、子どもはそれまでに我意を持つようになっているから、どれほど厳しくしても効果は上がりにくい。しかしそういう場合にも、ことに向学心のある子どもであるなら、非常に良くないことをした時でも、殴るより効果にある罰の与え方がある。たとえば靴をはかさないとか、腹がすいたままテーブルにつかせ、食べ物はやらないでおくとか、急所をつくなど。J.Gクリューガー 児童教育の考察 1752年
                                                                                               by 魂の殺人
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by hanamizukidayo | 2008-03-11 08:00

ニュースより

南京大虐殺はなかった
messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835368&tid=fn5fe5tbba6a4oytba4a4ga498a1bezf02hbbfbfta4a2a4j&sid=1835368&mid=1

ニュースサイトで観た本日のニュース  最近の記事とは無関係ですが・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080308-00000104-jij-int
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by hanamizukidayo | 2008-03-10 00:00 | 政治・社会

父親と母親はお互いにパートナー  後半

ヘブライ語聖書は、「聴きなさい、わたしの息子よ、あなたの父の懲らしめを、そしてあなたの母の律法をすててはならない」と述べて、懲らしめが共同で行うべき役目であることを示しています。クリスチャン・ギリシャ語聖書も同様に、「子どもたちよ、主と結ばれたあなた方の親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです」と教えています。父親は子供を懲らしめるのは妻の仕事だと考えることがあります。反対に、妻は、"お父さんが帰っていらしゃったらしりませんよ"と言って、悪いことをした子供を脅すだけのこともあるでしょう。しかし、家族が幸福で、両親がそれぞれ子供の愛と尊敬を受けるには、その義務を分担することが必要です。
                                        箴言1:3、エフェソス6:1

この点で両親が一致協力し、自分の責任を進んで果たそうとする態度を示すのを子供たちが目にするのは大切なことです。子供が父親に何かを頼むと、決まって"お母さんに聞きなさい"と言われるなら、あるいは母親が問題を父親のところにもどして父親に決定させようとするなら、"いけません"と答えねばならない方の親は悪者の役をさせられます。むろん父親が"ああ、しばらく外へ行ってもいいよ。でも夕飯がいつできるかをお母さんに聞いてからにしなさい"といえる場合もあります。また母親は、子供の頼みを聞いてやっても別に悪くないように思えても、夫の意見も聞かなければならないことがあるでしょう。しかし、二人とも、子供が両親を対立させてから、自分の目的を遂げるのを助長したり許したりすることが絶対にないように気をつけます。賢明な妻は、自分が分担している権威を夫と張り合う形で行使しないようにも注意します。子供を甘やかし、夫をさしおいて子供の愛情をひとり占めしようとするようなことはしません。

実際、家族に関係した事柄を決める場合、家族の各成員は、特別な考慮に値する決定を下せる領域を持っているかもしれません。父親には、家族の全体的な福祉にかかわる問題に決定を下す責任があります。母親は台所やその他多くの家事に関する事柄を決定することができます。子供たちは大きくなるにつれて、遊びや、服装その他の個人的な事柄を自分で決められるのを許されるかもしれません。しかし、健全な原則が守られていること、子供の安全が脅かされていないこと、そして、他の人たちの権利が侵害されていないことを、親が十分に監督しなければなりません。このようにすれば、子供たちは序々に決定を下せるようになります。
                  家族生活
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by hanamizukidayo | 2008-03-09 23:36

早期条件付け教育 - 3

昔のパリサイ人は規則の大好きな人々でした。規則を山ほど設けて、多くの偽善者を作り出しました。次々と規則を作れば問題が解決すると考えるのは人間の欠点です。実際の経験から明らかなのは、心を動かすことに真の解決策があるということです。ですから規則を設けることは控えめにし、その代わりに、神ご自身と同じ方向を目指して、原則を教え込むことに努めてください。「わたしはわたしの律法を彼らの思いの中に書く」 - ヘブライ8:10              家族生活P-106
 
    

※聖句の使い方及び論点すり替え:規則を山ほど設ける=偽善者を作り出す人間的欠陥教育だと言いながら、かたや古代イスラエルの律法を含む旧約聖書も「終わりの日に住むわたしたちの益のための教訓」として、都合の良いルールを多用、乱用するのがJW。


                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   
 参照 ヘブライ8:7~13
もし最初の契約が欠けたところのないものであったなら第二の契約の余地はなかったでしょう。
事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。「それはわたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。
それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
彼らの心にそれを書きつけよう。
わたしは彼らの神となり、わたしは彼らの民となる。」

神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
  新共同訳

                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



父親と母親はお互いにパートナー
子供の扱い方や、子供を教え、子供に制限を課し、子供を懲らしめ、また愛することにおいて、父親と母親は協力しなければなりません。」「家族が内部で分裂するなら、その家は立ち行け(ません)」。(マルコ3:25)両親がどんな躾をするかについて話し合うのはよいことです。そうすれば、しつけについて二人の意見が一致していないことを子供たちに見せないようにすることができますさもないと、子供たちは、"分裂させて征服"しようとするかもしれません。親が性急に、あるいは腹立ちまぎれに極端な懲らしめを与えたり、すべての事実を考慮すると本当は懲らしめる必要がまったくなかったりすることが時としてあるのは確かです。そのような時には、両親が二人だけでその事について話し合ったのち、賢明に行動しなかったほうの親は、自分で子供との関係を正すこともできるでしょう。また、両親が二人だけで話し合えない場合、配偶者を支持することは不公正を支持することになると感じるほうの親は、"あなたが腹を立てる気持ちは分かります。もしわたしがあなたの立場にあったらやはり同じような気持ちになると思うわ。でも、あなたが気づいていらっしゃらないことがあるのではないかしら。それは・・・・"と言って、次に何でも見過ごされていると思われることをはっきり話します。このようにすれば、懲らしめを受けた子供の前で分裂や不一致を見せずに、子供の気持ちをなだめることができます。霊感による箴言に、「僭越さによって人はただ苦難を起こすだけである。しかし相談をする者たちには知恵がある」とあるとおりです。箴言13:10、伝道7:8もご覧下さい。
伝道7:8気位が高いよりも気が長いのがよい 新共同訳                              (つづく)
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by hanamizukidayo | 2008-03-09 13:32

闇教育 - その前提にあるもの

教育者と呼ばれる人にとって、嘘をつくこと、他人に痛いことをすること、傷つけること、両親の乱暴に乱暴で応え、その意図を汲まないこと等々はすべて疑問の余地なく悪いことです。それに対して子どもが本当のことを言い、両親の意図に対して感謝し、その乱暴なやり方には目をつぶること、両親の理想を受け継ぎ、しかも自分自身の考え方については自ら批判的な意見を表明すること、ことに求められたことを文句を言わないでやることはすべて正しく、立派で価値ある行動だということになります。そしてこのような普遍的な、ユダヤ・キリスト教のみならず、他の様々な伝統の中でも確立され揺らぐことのない価値を子どもに植えつけるため、大人はしばしば嘘、虚構、虐待、暴行、侮辱などの助けを借りなければならないのです。しかしそうしたからと言って、大人が「その価値を落としめられる」ことにはなりません。大人自身はすでに教育を終えているのだし、しかもそのような手立てにはひたすら神聖な目的、

すなわち、子どもを嘘、邪悪、利己主義から解放するために用いられるのですから。




概念

1 大人は、自分が面倒をみてやっている子どもの支配者
  (であって召使いではない!)である。

2 大人は何が正しく何が不正であるかを神のごとく決める。

3 大人の怒りは本人自身の内の葛藤から生まれるものである。

4 しかも大人はその怒りを子どものせいにする。

5 両親は常に保護されねばならない。

6 子どもにいきいきとした感情が息づいていれば支配者に都合が悪い。

7 できる限り早く、「子どもの意思を奪ってしまう」ことが必要である。

8 すべてはとにかく早い時期に行われねばならない。そうすれば子どもは
  「何一つ気づかず」、大人を裏切ることもできないから。


あふれ出る生命力を抑圧するための手段は以下の通り、罠をしかける、嘘をつく、計りごとにかける、ごまかす、いいようにする、怖がらせる、のけ者にする、つまはじきにする、信用しない、傷付ける、軽蔑する、侮り、恥辱を与える、拷問による暴力。


「闇教育」はまた、子ども達に最初から徹底撤尾偽りの情報と見解だけを教え込むというやり方もします。これらの情報は世代から世代へと受け継がれ、証明不能というよりはむしろ、明白に誤りであるにもかかわらず、子どもはそれをうやうやしく相続するのです。下記はそのような偽りの見解の一部。

1 義務感によって愛情が生まれる。

2 憎悪はそれを禁ずれば殺せる。

3 両親はただ両親であるゆえに尊敬されねばならない。

4 子どもはただ子どもであるゆえに尊敬されない。

5 従順は人を強くする。

6 高い自己評価は害がある。

7 自己評価が下がれば人に対して謙虚になる。

8 優しさは害になる(ネコ可愛がり)

9 子どもの求めに応ずるのは間違っている。

10 厳しさとゆるやかさは世に出るために役に立つ。

11 口先だけであれこれ感謝してみせるほうが、正直にして有難がらないより
   もましである。

12 ふるまいのほうがありようよりも大事である。

13 両親も神も恥辱に耐えられない。

14 身体は不潔でいやらしいものである。

15 感情の激しいのはよくないことである。

16 両親には衝動も罪もない。(そのような者にみせかける必要が生じる)

17 両親はいつでも正しい。

                            by 魂の殺人
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by hanamizukidayo | 2008-03-09 13:27

早期条件付け教育 - 2

   父親の大切な役目

子供が非常に小さいとき、母親のほうが子供の生活の中で大きな役割を果たすのは自然です。しかし、生まれた後は、父親も子供の世界に入っていかなければなりません。子供がまだ小さくても、父親は、時おりその世話をしたり、遊んでやったり、泣く時にはあやしたりして、子供とのつながりを持てますし、またそうすべきです。そのようにして、父親は自分の存在を子供にしっかり意識させます。時がたつにつれ父親は次第に大きな役割を果たすようにならなければなりません。もし、遅すぎると、それは問題の始まり、つまり懲らしめを与えるのがいっそう難しくなる十代によく表面化する問題の始まりとなるかもしれません。十代の男の子はとりわけ父親の助けが必要です。早くから良い関係が築かれていないと、長い間にできた溝は、数週間で埋まるものではありません。


子供が男の子であれ女の子であれ、平衡の取れた丸みのある正確を身につけるのに、父親の男らしい特質は重要な影響を与えます。神のみ言葉は、父親が家の頭であるべきことを教えています。父親は家族を物質的に養う責任があります。しかし「ただパンだけによって人は生きず、エホバの口から出るすべての言葉によって人は生きる」のです。子供に関しては父親は、「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」とも命ぜられています。(申命8:3、エヘェソス6:4)父親が自分に与えられた神聖な使命を果たす動機は、子供への愛情であるべきですが、とりわけ大切なのは、創造者に対する責任感です。


母親の温かさ、やさしさ、同情心に加え、父親は力強さや賢明な指導など、安定感を与える影響力を持っています。父親が神(注:組織)から与えられた役目をどう扱うかは、人間による権威にせよ、神によるそれにせよ、権威というものに対して子供が将来どんな態度を示すか、つまり、権威を尊重するようになるかどうか、また、他人の指示の下で腹を立てたり反抗したりせずによく働くようになるかどうかに著しく影響します。


教育を施す父親の責任がどの程度のものであるかは、神がご自分の民におあたえになった指示、つまり、申命記6章6節、7節の次の言葉に示されています。「わたしが今日命じているこれらの言葉はあなたの心にあらねばならず、あなたはそれを自分の息子に教え諭し、家に座する時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時もそれについて話さねばなりません。」


神のみ言葉の語句だけでなく、それに含まれる教訓も、子供が日々しっかりと心に刻みつけるようにしてやらなければなりません。そうする機会はいくらでもあります。庭にさいている花、空中を飛ぶ昆虫、木の間に見える鳥やりす・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
したがって、親はそれらが語る言葉の意味を子供たちに説明してやらねばなりません。


これらのものを用いるのに機敏であるなら、とりわけ日常生活の中の事柄から例をとって正しい原則を強調し、神の助言の持つ知恵と益を示すのに機敏であるなら、父親は、子供の心と思いの中に、将来のための最も重要な基礎、すなわち、神がおられるという確信だけでなく、「神がご自分をせつに求める者に報いてくださる確信をも築くことができます。


懲らしめを与えることも父親の役目の一つです。「父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか」という問いがヘブライ12:7にあります
 ( 参照 あなたがたはこれを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなた方を子として取り扱っておられます。いったい父から鍛えられない子がいるでしょうか  新共同訳)
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by hanamizukidayo | 2008-03-06 23:46