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早期条件付け教育 - 1

  親としてのあなたの役目


いろいろな出来事の中には、わたしたちにあまり影響しないものもある一方、後々まで大きな影響を及ぼす出来事もあります。子供の誕生は明らかにその後者です。夫婦にとって、子供が誕生した後の生活は必ず変化します。非常に小さいとはいえ、家族のその新しい成員は、声で自分の存在を知らせるので、無視することはできません。

両親の生活はいっそう充実した幸福なものになるはずです。しかし対処しなければならない難しい問題も生じてきます。最善の結果を得るには、両親が共にそれらと取り組まねばなりません。ですから誕生後の子供の発育にも二人が大切な役割を果たします。この時ほど、誠実で一致した、そして謙虚な協力が必要な時はありません。


父親また母親の役目、及びそれぞれの役目がどのように調和するかを理解することは、子供の必要を満たして良い結果を得るのに大いに役立ちます。平衡を取ることは必要です。頭では理性的であろうとしても、感情に押し流されて平衡を失うことが往々にしてあります。どうかすると過少から過度へ、そしてまた過少へと、両極端に走りがちです。父親が頭の権を行使するのは望ましいことですが、行き過ぎると横柄になります。母親が子供の訓育にあずかるのは良いlことですが、父親を押しのけてその仕事を独占するなら、家族の構造は脅かされます。それ自体良いものでも、行き過ぎると悪いものになることがあります。 - フィリピ4:5
( 参照 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようにしなさい。主はすぐ近くにおられます。新共同訳)



  愛されることによって愛することを学ぶ

愛されることは赤ちゃんの感情面の発育にきわめて重要です。赤ちゃんは、愛されること、愛の模範を示されることによって愛することを学ぶのです。

赤ちゃんでも幼児でも愛を示されるとそれを感じ取ります。そして自分もその愛を真似て、母親の首にかわいい腕を回したり、熱烈にキスしたりして愛を実際に行動に表します。するとまた母親から感情のこもった温かい反応を刈り取る結果になるので、喜びを感じます。こうして子供たちは、愛することは愛されることと同じように幸福であるという、そしてまた、愛を示すなら、自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。(使徒20:35、ルカ6:38)証拠の示すところによると、幼い時に母親と愛情の絆で結ばれない子供は、のちになって他の人々を深く愛したり、他の人々のために何かをしてあげることに大きな困難を感じます。

子供は生まれるとすぐに物事を学び始めますから、最初の数年間は最も大切な時です。その時期に母親の愛はきわめて重要です。母親が、甘やかすのではなく、愛を示し愛を教えることに成功するなら、その益は永久的なものになります。良い母親になることは、女性の仕事の中で最も取り組みがいがあり、報いのある仕事です。さまざまな労苦や要求が伴いはしても、良い母親になることほど有意義で、永続的な満足の得られる"一生の"仕事が世の中にあるでしょうか。

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by hanamizukidayo | 2008-03-06 22:26

たった一つの・・

ひよかさんからコメントを頂きました。ありがとうございます、ひよかさん。

お互いにJW一世として私たちが目撃し、体験してきた事柄を単なる個人の物語として口を閉ざし、傍観者の側に立っていればよいという問題ではない・・その思いが強まっています。70年代や80年代の世代は遠くなり、かつて行列が並ぶほどだった集会所のトイレでの懲らしめも消え、最近では王国会館の中を長老の子どもが走り回っていても注意する人もいなくなったと、どこかのサイトで目にする昨今です。でも、先に書いた未信者さんのような悲劇もまだまだ起こりえるし、体罰奨励は見えにくくなったからと言っても、上から目線のあの体質が変わったとも思えません。むしろ高齢化時代になった現在、さらに巧妙な手段で子どもを取り込み、組織の証人に仕立てようと量るかも知れません。


●」もし一人の子供を命の与えぬしであられるエホバ神の立派な僕に育てるなら、それは大いに喜ぶべきことではないでしょうか。

(ひよかさん)
子供の人格や、特質や、どんな興味を持っているか・・・何の考慮もなく神の僕になるのが喜びだ・・・そんな馬鹿な!・・・あり得ない。
神さまがたった一つの職業しか、認めないとでも言っているような・・・ふざけた書籍です。



ええ、生まれる前から「的」を絞られたらたまりませんよね。子どもは奴隷じゃないんですから。


(ひよかさん)
神さまがたった一つの職業しか、認めないとでも言っているような・



これが高等教育などの問題に繋がってますよね。JWにとって、何のための多様性だと言うんでしょう。神さまがそれぞれに個性(賜物)をお与えになったことを無視した教えです。持って生まれた才能や後天的に獲得した各人の相違に、運命がさらに付け加わって人は誰のものでもない独自の人生を発展させていく。「天職」という言葉がありますが、ある職業がその人にとって最も才能や個性を発揮できて輝かしい充実した人生(お金や名声だけでなく)を送るなら、創造者にとって喜びに違いありません。多くの過ちからさえも私たちは学んでいけるのですから。人生の始まりの部分でレールをしかれ、「間違いを犯さないように」と怖れたり、大人(親)でも守りきれないような規律を子どもには期待し、行き過ぎた道徳主義によって窒息させてしまうなら確実に子どもの「魂」は殺されてしまうでしょう。

人を「生かす」神が、画一的な人間を求めるはずがないのです。ひよかさんのコメントに感謝します♪ またご意見・感想お寄せくださいね(*^_^*)
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by hanamizukidayo | 2008-03-05 19:06

いわゆる 闇教育


統治者にとって何という幸福であろう。人間がものを考えないとは。
    
                       アドルフ・ヒットラー




罰は猛烈だった。十日の間、どう考えてもそれほど長くやる必要はないと思われるのだが、父は4歳の子の手を開き、指をまっすぐに伸ばさせてそこに細い棒で祝福をくれた。毎日片手に7つづつ。全部で140回ともう少しになった。これで子どもの汚れなき時代は終わった。天国で起こったこと、アダム、エヴァ、女怪リリト、蛇とりんごを巡る物語、有史前の聖書中の罪の報いの蕾、全能の神の怒りの声と天国の門を示す指 - そんなものを僕は知らない。僕を無垢の天国から追放したのは父だったのだ。 C.メッケル 1980年



魂が自分の意思を持とうとするのはまったく自然のことで、従って生後2年の間にうまくやってしまわなければ、その後からではとても目的を達することはできない。この生後すぐの時期は、力や強制を自由に使えるという点でも、大変都合のよい時期なのである。子ども達は成長するに従い自分が赤ん坊だったことをすぐに忘れてしまう。であるから、その時期に子どもから意思を奪ってしまえばその子どもはその後自分にも意思があったことなど決して思い出さないし、その際手厳しいやり方をしても、決して後に悪影響を残したりしはない。  1748年


子どもの不服従はすなわち、あなたの人格に対する宣戦布告と同じである。あなたの息子はあなたから支配権を奪おうとしているのだから、あなたは力をもって力を制し、あなたに対する尊敬を揺るがぬものにしなければならない。そうでなければ教育などとてもできはしないのだ。息子に、あなたこそ主人なのだということを思い知らせねばならない。  1753年


聖書は言う (シラの書30:1) わが子を愛する人は懲らしめを惜しまず、後にその子は親の慰めとなる。   1902年


一番厳しく言われていたのは、両親、」教師、神父等々、とにかく大人であれば使用人にいたるまで、その人の言うことを遅滞なく実行することおよびその言いつけを守ること。そしてどんなことがあっても決してそれをおろそかになどしないことであった。大人の言うことは常に正しい。これが私に対する教育の基本であって、これらは私の血となり肉となった。  
            アウシュビッツの所長 ルドロフ・チェスの証言

   
        
    参照 魂の殺人
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by hanamizukidayo | 2008-03-05 13:46

 "神のみ前に"おけるJW親の責任

子どもを持つことに伴う責任と報い


■「相続財産」を育む

子どもを持つことを考えている夫婦は次の点を自問してみなければなりません。自分たちは子どもが欲しいと思っているだろうか。子どもが身体的に必要とするものだけでなく、感情的にまた霊的に与える力があるだろうか。子供を正しく訓練し、子供が見習える正しい模範を示すだろうか。
夫婦の意思によってであれ、生物学的状況によってであれ、妻であるあなたは妊娠しました。
「エホバからの相続財産」を育むあなたの仕事は始まりました。



■子供の発育 ー あなたは矢の狙いをどこに定めますか

矢の価値は、それが弓を放れる前にどれだけうまくねらいを定められているかによってきまります。的を射るには注意深く上手に矢のねらいを定めなければなりません。それと同様に、親が子供に人生への出発をどのようにさせるかを祈りを込めて懸命に熟考することは大変重要です。子供が自分の手元を離れる時、他の人々から尊敬される平衡のとれた大人になり、神に誉れをもたらすでしょうか。育児と躾は子供の誕生以前に決めておくべきです。
赤ちゃんはあなたの愛情を感じ取り、あなたの模範に従うのです。
「少年をその道に従って訓練して下さい・。年老いても彼はそれから逸れていくことはないでしょう」 ー 箴言22:6

子供たちには、名ばかりではなくて実質を伴う親を持つ権利があります。神に献身したクリスチャンは一人の弟子を作ることを望んで多くの時間と勢力を費やすかもしれませんが、必ずしも成功するとは限りません。ではクリスチャンの親は、「子供をエホバの懲らしめと精神の規整とを持って育ててゆく」のにさらに多くの時間をかけるべきではないでしょうか(エフェソス6:4)
もし一人の子供を命の与えぬしであられるエホバ神の立派な僕に育てるなら、それは大いに喜ぶべきことではないでしょうか。そうすればそのような息子あるいは娘を設けたことは、たしかに豊かに報われたことになります - 箴言23:24,25

実際、子供は誰のものでしょうか。ある意味では、あなたのものです。しかし、別の意味では、創造者のものです。あなたはご両親が好き勝手に扱える所有物ではありませんでした。あなたのお子さんもそのような意味ではあなたのものではないのです。
身体に何らかの欠陥があって、流産や死産をしても、親は死んだ子供を生き返らせることができません。したがってわたしたちは、神がわたしたちすべての命の与え主であることを謙遜に認める必要があります。

親は、自分が世に生み出した子供たちに責任があり、子供たちの育て方について神に申し開きをしなくてはなりません。神は地球を創造され、人間がそこに住むように意図されました。そして、その目的を果たすための生殖能力を最初の両親に付与されたのです。その二人は、神から離反することによって大敵対者の側に立ちました。大敵対者とは、神が天と地の被造物からなる自分の家族に主権を正しく行使していないと神に挑戦した者です。ですから創造者に対して忠誠を尽くす大人になるようにお子さんを訓練することにより、あなたとあなたのご家族は、大敵対者が偽り者であり、エホバ神が正しいことを証明できるのです。
「賢くあれ、わが子よ。そしてわたしの心を喜ばせよ。わたしを嫉妬している者にわたしが返答できるためである」 - 箴言27:11

子供に対する義務と神に対する責任とを果たすなら、人生において物事を真に成し遂げたという気持ちを持つことができます。そして腹の実は報いである(詩127:3)という言葉に心から和することができるでしょう。



  参照 あなたの家族生活を幸福なものにする
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by hanamizukidayo | 2008-03-05 12:59

それぞれの反日ブロバガンダ

相変わらず気になる、政治・社会ネタももっと書きたいのですが、年度末の忙しさで手が回りませんw

日教組に訴えられた高輪プリンスホテルの件や、イージス艦事故の大臣責任追求騒ぎ、今に始まったことじゃない(中国毒ギョーザ)責任回避、先日48歳のお誕生日を迎えられた皇太子の会見(だんだんと"皇室問題"が世間にもただならぬことだと認知されて来たような)・・報道番組を見る時間が少なくなってしまった分、一部の報道番組司会者の珍問投げかけ、コメンテーターの珍答にイラッとする機会にさらされなくて、まぁストレス軽減にはなっていますw


3月4日、今日 都内で「南京の真実」という映画があると知ったのも昨夜のことで、大変残念です。横浜でもやるそうなので何とか都合をつけて観にいきたい、でも余りにも3月は忙し過ぎる。

そういうわけで今のところ
「家族生活」の本は持ち歩いて、ドトールや電車の中でせっせと読んでいます。
知らない人にはJwに見えるかもw   
一見もっともないい事も言ってます。確かにね。
そうでなければ聖書知らない人を組織に引寄せられないんだから 当然といえば当然。

でも書籍の下部にある質問が、やっぱり曲者です。
巧妙に誘導されて、いつの間にか画一的JW流思考パターンが
出来上がってしまう設定。違う意見を言ってくれる人はサタンの影響下に
ある人だからと警戒して距離をとってしまった後だから、研究生はもはや
一般的な判断が不可能になってしまう。(今とは時代も意識も違う)



遅まきながら反省した予習の教訓
■本文から答え探ししていると相手の手に乗ってしまう。
■必ずしも納得していないのに模範的な答えを返せば司会者が褒める。
機嫌悪くさせるのも嫌だし面倒だし、説得が始まると研究時間が長引くので、「そうですね、そう思います」と司会者に合わせているうちに、自分の考えの方を調整せねばっという思考になってしまう。
もともと人生経験は浅いし、聖書の知識がないんだから若干20代の当時の私に何が出来た
だろうという気がします。相手は近所の親切そうな先輩主婦なんですから、断りたくても断れなくて押し切られた。

昨夜も大好きな日テレ「心の歌」を観ました(男性コーラス特集でした)が、
「母さんの歌」に代表されるように、日本人の心は元々家族の絆・親子関係の
素晴らしい価値感を先祖代々受け継いでいる。アメリカの文化や宗教にに飛び
つかなくても、日本の伝統を見直すだけで幸せだったのかもしれない。

マグマグ・メールマガジンより
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by hanamizukidayo | 2008-03-04 11:21 | 政治・社会

本が届きました

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          あなたの家族生活を不幸なものにする          幸せな家庭を壊す秘訣



この本を発送して下さった二世さんのご親切に感謝いたします。新品なので驚きました。ありがとうございました。


20年以上も前、一人の証人からこの本を渡されて、 すべてが始まったと言っても過言ではありません。

80年代前期・・組織も高度成長期だったあの時代。


たった1冊のこの本がきっかけで、私のまわりの人間関係が変化し、家族を残せばバラバラに壊れてしまいました。


辛うじて、私の家族は「存続」していますが、Jwの幻想の楽園と同じで
「幸福な家族となる鍵」など聖書には元々なかったと知りました。


聖書に馴染みの薄い日本人へのプロパガンダにもってこいの出版物だったのではないでしょうか。昭和末期の時代の様々な要素、それが証明しているはず。またたびたびの教理変更が証明しているはず。


気付かせてくれたのが 「魂の殺人」です。昨日からまた輸血問題のニュースがJWネット界
を駆け回っていると思いますが、現役の方には「終わりが近いからね~。ますますサタンに信仰が試されるんだわ」などと、組織に言われるまま思考停止してないで、置かれた状況をしっかり考えて頂きたいと願います。

とりあえず昨夜は「秘訣」から読んでみました。やっぱねー、久々に悪夢を見ました。
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by hanamizukidayo | 2008-03-02 12:02

ソースが分らなくなってしまいましたがアップします

すべての愛は、自己愛から始まります。

 自己愛をもてば、生きる力が自然に湧いてきます。
 自己愛をもてば、生きる意味や、生きる目的が見えてきます。
 自己愛をもてば、生きがいを感じて、いきいきと生きることができます。

 自己愛をもてば、
 「生きることは素晴らしい!」
 「この世に生まれて良かった!」
と、本当に心の底から実感できるのです。

 そして自己愛がさらに、「隣人愛」や「すべての生命への愛」に発展すると、
 隣人やすべての生命が、この地球で自分と同じように生きているのが、嬉しくて
嬉しくて仕方がなくなります。
 「生命」というものの存在が、とても素晴らしく思えて来ます。そしてそれが、涙が
出るほどありがたく感じます。
 すべての人間と、すべての生命の幸福を心から望むようになり、それを少しでも
実現させて行くことが、自分の幸福のすべてになるのです。

 すべての愛は、自己愛から始まります。
 キリストは、「隣人を自分のように愛しなさい」と言いました。しかしこの言葉にお
いても、まずはじめに自己愛を持っていることが、すでに前提となっているのです。

                 * * * * *

 しかし、一体どうやったら、自己愛を持つことが出来るのでしょう?

 実はこれが、そんなに簡単なことではありません。たいへん難しいことなのです。
 とくに、自己否定に取りつかれて苦しんでいる人には、なおさらそうです。

 しかしこれは、避けて通ることのできない、とても大切なテーマです。だから今後、
自己愛を持つための方法について、さまざまな側面からじっくりと考えて行きたいと
思います。

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by hanamizukidayo | 2008-03-02 09:06

私のヨブ記

will3月号で横田早紀江さんの新書紹介を読んだ。

彼女は聖書のヨブ記を読んで洗礼を受けた。
ヨブ記は、行い正しく生きる義人に、神が苦難を与える不条理な物語だ。
畳をかきむしって苦悩する彼女にとって、神との対話なしには精神に
異常を帰したかもしれない。
孫のキム・ヘギョンちゃんの存在を知って、こう書いている。

  めぐみの不幸な人生の中にも、こんな可愛い子が育っているのですから
  神さまは不思議なことをなさる方だなと、私は感動をもって受け止めました。





私の教会でもヨブ記の学びが行われる。
ヨブは、3人の友に「同情してくれ」とは言っていない。
苦しみの重さを「正確に測ってくれ」と訴えている。

この二つをしばしば取り違えて取り返しのつかない愚を犯して
しまう私がある。
昨日もやってしまった!

真面目で誠実な気持ちで聖書研究している人に
「同情」よりも激しい皮肉的かつ批判的な言葉を浴びせてしまった。

立場が逆なら分かるものも、人間は、いや私は自分の立場でしか
ものが言えない。


ある人にとってはその荷は重いが、他の人にとっては問題にならないことがある。
他人の重荷を評価する上で「驕慢になりやすいのが人間の弱さ」とヨブ記から
学んでいるはずなのに。

ヨブは、自分の苦しみ、災害の重さを量ってくれと訴えている。
そればかりか、「落胆している者に、友情をくれ(ヨブ6:14)
さもないと神への恐れを捨てることになるとまで言っている。
さらに、「今、思い切って私の方を向いてくれ。」
     「どうか思い出してくれ」 6:28,29
とまで哀願している。
7章にいたると神に向かって「私をかまわないでくれ」と、
「見張る」神の顧みさえうっとおしく煩わしく
もはやこんな生きながら身体が腐っていく生命を生きたくない。
死にたいとさえ訴える。



牧師先生は言われた。

「私たちもヨブほどではないにしても、すぐわめき散らします。もう生きたくないと。
それにしても、聖書にの中にヨブ記があるのは何と慰めでしょうか。わたしたちは
つぶやくのは悪い事だと分かっていてもつぶやくし、そのくせつぶやく他人を
許せないのです。容赦なくここぞとばかり裁いてしまいます。ヨブの友人のごとく
このどうしようもないのが人間です。

『なぜ、私をあなたの的とされるのですか。』
これもヨブの感動ではなくて、神の顧みを『うるさい!』と
跳ね除ける言葉です。
しかし、神さまは常に何十億もいる中で、このちっぽけな私に的っを絞っていて
下さり、ちっぽけなどうでもいい わたしのために、 御子を十字架に架けるといった
おおきな犠牲を払って わたしを愛されているのです。」



かつて私も叫んだ。
「もうほっといて下さい!これ以上私の人生に関わらないでないで下さい!」

「なぜ私が重荷を背負わなければならないのですか。なぜあの人(組織)ではなく
弱いこの私が」と。

ちっぽけな、ほんとうにちっぽけな存在に過ぎない私が
他人からみたら軽い軽い荷を背負いきれなくて喘いでしまう。
始末に負えない「裁き」さえやらかしてしまう。


けれどもここでお終いにさせないのがキリストの素晴らしさであり、
恵みであるとしかいいようがないのです。


   すべて疲れた人、重荷を負う者、我に来たれ、
                          我 汝を休ません マタイ11:28
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by hanamizukidayo | 2008-03-01 13:00 | 宗教

38年待たされた人


   へブル語でベテスダと呼ばれる池があって・・
   そこに、38年もの間、病気にかかっていた人がいた

               ヨハネ5:1,5




ベテセダは、憐れみの池という意味があります。
この池に真っ先に飛び込む人がどんな病気でも癒されるという噂があります。ですから大勢の人が集まってきたのです。
うまい話がありますと、人は集まってきます。その中でも、少しでも身体に自由がきく人が勝つのです。
障害者、高齢者、病人の中にも競争原理は働くのです。
差別があるのです。

いわゆる健常者が障害者を差別するのなら、 まだ話は分かります。

理解して貰えるように努めることはできます。

でも、病人が病人を差別するようでは、もはや話になりません。
この意味で、ベテスダは「憐れみの家」どころか、「競争原理の家、切捨ての家」と呼んだほうがよいかもしれません。

そこに主イエス様が「よくなりたいのか」と言われます。

この言葉は、非常に酷な言葉だと言われます。
聖書は、『彼が臥せっているのを見、それがもう長い事を知って』と記しています。
彼を知っているからこそ、『なおりたいのか』という慎重な言葉を選ばれたのだと思います。

私たちが人に忠告したり、励ましたりする時に、よく相手の状況を見誤ってする時があります。
自分の弱さがありながら、相手の弱さを裁いてしまうことがよくあるのです。


病人は『主よ。よくなりたいです』と答えることができませんでした。
ここにこの人の問題があるのです。
『主よ。私には、水がかき回された時、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、もう他の人が先に降りていくのです』

悲惨です。
これが果たしてグチと言えるでしょうか。
これが38年間の現実として、彼の身に染み付いてしまっていたのです。
誰が彼のみを責めることができますか。

主イエスのみがお責めになることができる。
しかしお責めにならない。


サルトルは  「地獄とは、他人のことである」  と言葉を残していますが、
驚くことはない、私たち自身がその人にとって

  地獄  とも  隣人  ともなり得るのです。

38年の病という重荷に加えて、他人という「地獄」を背負って生きているこの人に向かって、
主イエス様は
『起きて、床を取り上げて歩き(続け)なさい』と言われます。
『私が背負って一緒に行こう』とは言われませんでした。男はそれを期待していたのかもしれませんが・・

主イエス様は「ベテスダには救いはないよ。」と、

お前の地獄からお前を救い出すために、私は十字架にかかったのだ と、

今日も私たちに語り続けています。

                  
                      教会メッセージより

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by hanamizukidayo | 2008-03-01 11:32 | 宗教

道徳主義の罠

  

    

       非常な善人と非常な悪人とは感じが殆ど同じです。                    


                       ― 萩原 朔太郎 ―  『ふっくりとした人柄』)





       天使を装うとする者は獣になる 

                     by パスカル
 

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by hanamizukidayo | 2008-03-01 00:20