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宗教的寛容 - 日本人のキリスト教を求めて

数ヶ月前に偶然見つけた、「コイノニア」というサイトを愛読している。

僭越ながら、戦後の歴史観や思想的な部分には正直気になる点もあるが、日本人としてキリスト教をどう捕らえたらよいのか大変参考にさせていただいている。また「イゲンを語る」ことなども
私には分からないとしかいいようがないが、いろいろな信仰観を持った人たちの集まりという点に心惹かれるものを感じる。

教会に行っていた頃は毎週の礼拝が待ち遠しく、貪るように説教を聴いて毎回が感動の連続だった。
今は離れているが、もしもまったく政治的な事柄には無縁か、あるいはカトリック教会のように
個々の思想・信条が右も左にも関係なく許され、自由で良いのなら、できれば儀式的なことより聖書の学びを大切にするプロテスタント系の教会に所属したいと今でも願望している。


以前の私だったら、[神様]の前に自分の主義主張などとんでもないことだと思っただろうし、口が裂けてもこういう本音は言えなかったと思う。
でも、たとえ「その考えは間違っているよ。遜りなさい」と忠告する人が現れても「思想」は感情つまり、好みの問題だと思うので、方向転換して改めようかなと言う気になれない。自分の好みや感覚がすべて、そして常に自分が正しいと言うつもりはないが、聖書の学び以外の部分に相当する(と思う)牧師や教会の意見が全面的に正しいとも言えないと思っている。そういうことは本当は話し合ってお互いの違いを認め合ってもいいんじゃないだろうか。残念ながら、JWで骨抜きにされた後遺症なのか、話し合いにならない雰囲気に呑まれてしまい、ある意味信仰には関係のない部分でひびが入ってしまった。でも、これも一つの経験だと思う。。


行き詰まって悩んだ頃、このサイトを知っていて良かったと、
感謝している☆





<日本文化悪霊論を批判する>
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/kowa/bibliolatry.htm



明石順三氏や美智子皇后さまのことにも触れているページ↓
皇后さまのお心に深く感動しました。

http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koen/chap10.htm
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by hanamizukidayo | 2008-07-02 17:49 | 宗教

たとえ「正しくない」道を歩むことになろうとも

佐藤優氏のコラム http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200806110006o.nwcより、


「愛国心について」



☆ユダヤ人にとって国家とは、かつての悲劇を繰り返さないために、絶対欠かすことのできない存在だ。


 ■イスラエルの緊張感に学ぶ
 筆者が論壇で尊敬している一人に潮匡人(まさと)氏がいる。潮氏は論評の対象となるテキストの内在的論理を正確にとらえた上で、建設的な批判を行う。潮氏は、党派的立場から「批判のための批判」を行うのではなく、論壇で立場の違う人々が対話を行う土俵を作る努力を怠らない。

 7月1日発売の『正論』(産経新聞社)8月号に掲載された潮氏の「なぜ日本を愛せないのか 愛国心を忌避する人々の“病理”」を読んでそのことを再認識した。潮氏は愛国心について根源的な問題提起をする。


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 〈護憲リベラル派の中には、日本脱出を語る者さえ現れた。

 《教育基本法を変え、有事法制を作り、いま憲法までが変わろうとしている。それで、果たしていいのか。それを承知の上で、それでも日本にはいま「愛国心」が必要だ、というなら私にはもう、言うべきことばはない。そうなったときに日本に住み続けるかどうかは、それこそ〈私〉の問題だ》(香山リカ『〈私〉の愛国心』ちくま新書)

 たしかに彼女の問題だ。だが恐らく彼女も日本に住み続けるであろう。

 公正を期すために最後に、保守陣営の「愛国心」論にも触れておこう。上坂冬子氏は近著『これでは愛国心が持てない』(文春新書)でこう嘆く。

 《事に当たって厳然と対処することなく、国家の体面にかかわる問題に曖昧(あいまい)な対処をされたのでは、愛国心の持ちようがない》

 お気持ちは分かるが、私の意見は多少違う。大半の日本人にとって、日本とは愛さずにいられない国である。いくら頭で「これでは愛国心が持てない」と怒ってみても、愛さずにはいられない。そういうものではないだろうか〉

 
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筆者の愛国心に対する感覚も潮氏がここで書いた内容に近い。日本の現状に対して、怒りや嘆きは当然ある。しかし、愛国心とはそれとは別の位相から出てくる感情である。かつてイギリスの作家ジョージ・オーウエルは「右であれ左であれわが祖国」と言ったが、筆者もそう思う。一部の有識者からおしかりを受けることを覚悟した上で書くが、仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい。

 愛国心について考えるとき、筆者にイスラエルの友人が述べたことがいつも思い浮かぶ。この友人が10歳のとき、1967年に「6日戦争」(第3次中東戦争)に遭遇した。友人の母親は第2次世界大戦中、両親とはぐれ、難民になった経験がある。そのときの経験がよみがえったのか、いざというときに備え、母親が宝石と貴金属をスカーフに包んでいるのを見て、父親がこういった。

 
「無駄なことはやめなさい。もしこの戦争に敗れたならば、私たちは殺されるだけだ。ユダヤ人に“逃げる”などというぜいたくは許されていない」


 いまでこそイスラエルは、エジプト、ヨルダンと平和条約を結んでいるが、当時は周囲すべての国がイスラエルの存在を認めず、たたきつぶそうとしていた。一見、イスラエルに住むユダヤ人もヨーロッパやアメリカに逃げれば、生き残ることができるように見える。「しかし、それは幻想だ」と友人は言う。なぜなら、「イスラエルという国家が地上に存在するから世界各国に在住するユダヤ人が保護されているのである。第2次世界大戦で、600万人のユダヤ人が殺されたのもわれわれを守る国家がなかったからだ。イスラエルが消滅すればユダヤ人の居場所は再びなくなる」

 この友人の祖父は西ウクライナ(ガリツィア)のある町でパン屋を営んでいた。熱心なユダヤ教の信者で、ナチス・ドイツ軍が町に侵攻してきた日がたまたま安息日(土曜日)だったので、「侵略者よりも神を恐れるべき」と考えてシナゴグ(ユダヤ教会堂)に集まり、礼拝をしていた。ドイツ軍はこのシナゴグにガソリンをまいて火を付けた。祖父は焼け死んだ。

 当時17歳だった父親はアウシュビッツ収容所に送られ、生き延びた。あの悲劇を繰り返すことがないようにするために、戦後、ユダヤ人はイスラエル国家を再建したのである。イスラエル人の緊張感から日本人が学ぶべきことは多い。


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続く
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by hanamizukidayo | 2008-07-02 01:40 | 政治・社会