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七人、集まった

昨夜NHKで放送した、黒澤明監督の「七人の侍」を観ました。日本映画、最高傑作といわれる
あまりにも有名な映画なので、ストーリーは省きますが、私は今回初めて観ました。

戦後まもない昭和24年の作品というのが信じられないほど、ダイナミックで
しかも緻密な映像に驚きました。

まず登場人物とストーリーの面白さは、天下一品だと思います。
ぐんぐん引き込まれました。少し音が悪くて、聞き取りにくさはありましたが、
それを上回る戦の場面の迫力など圧巻ですね。
特殊合成で見せる現代映画では、もう絶対に味わえない、本物を追求する映画人の
魂が集結しているという感じでした。
(今日、黒澤監督のインタビュー録画も見ましたが、作品にかける監督やスタッフの
意気込みや、撮影の裏話も凄かったです)

侍たちの個性はどの人も魅力的でした。私は特に、リーダー役の志村喬さんが
すばらしいと思いました。同時に、現代社会ではいわゆる「弱者」に相当すると
見える立場の生活者、つまり村人たちの(年寄りも、若者子供も赤子も
男も女も、親も子供も共同社会も)生きる姿は、現在の自分たちに重なって
いるような気がしました。


三時間半の超大作で、解説もあったために4時間くらいかかりましたが、
「もっと早く観ておけばよかったなー」と思わせた映画NO1かもしれません。
そういうわけで、本日の午後は「『七人のさむらいはこうして作られた』アーカイブ特集」
という番組も見たので、テレビ漬けの休日になってしまいましたw


大いに笑ったり、爽快感あふれる場面も盛りたくさんあって、
おもしろいなと思った台詞はいっぱいありますが、
特に、心に残ったものを、最後に残しておきたいと思います。



このめし、おろそかには食わんぞ   (報酬は米のめし、承知した勘兵衛)



こいつは俺だ。俺がそうだったんだーっ! (赤ん坊を抱いて、叫ぶ菊千代)



いいか、戦さとはそういうものだ。
人を守れん者は、己をも守れん。

己のことばかり考えるやつは、己を滅ぼす者だ!  (竹やりを捨てた村人に、勘兵衛)

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by hanamizukidayo | 2008-09-07 23:47 | 趣味

jw問題

とっくにご存知の人は多いと思いますが、最近、どせいさんの掲示板で
「エホバの証人問題」を社会にもっと認知してもらうためにどうしたら
良いかが話題になっていたんですね。
しばらく見ていなかったので知りませんでした。


「問題」はすでに、インターネット上で情報がたくさん発信されていますが、
真面目な現役信者は見ないでしょうし、
テレビ・マスコミは、警察ではないけど、よほどの事件性がなければ
取り上げないでしょうから、難しいことだなぁ・・と、
いろいろ考えてしまいました。

マスコミの報道は事実だけとは限らないのですし、あの掲示板の発言にも
あったように、特に朝日は捏造しても自分たちの意図する方向に世論を誘導ます。
またテレビも、一般人の感覚とは温度差を感じることがしばしばです。

テレビで思い出しましたが、8月に見たNHK・BS放送の「アウシュビッツ-5」の
冒頭では、ナチスの「強制収容所で殺されたのは、約700人(確か)のエホバの証人・・」と
真っ先に紹介していました。
こうした番組をたまたま見て、ものみの塔は「立派な宗教だ」と勘違いしたり
見直す人が、もしかしたらいるかもしれないと思いましたね(汗)


本当に知りたい事を調べるにはインターネットが適していると私も思いますが、
「エホバの証人問題」を、「専門家」をはじめ、世の中が「社会問題」としてみるか
どうかは、正直言ってあまり大きな展開は望めないような気がします。
今現実に家族関係や冠婚葬祭や輸血など、問題に直面して、深刻に悩んで
おられる方たちには申し訳ないのですが。


輸血問題がニュースになった以降、エホバの証人に対する反応は、確かに冷やかになったと思いますが、、オウムのような事件があってもアレフとして存続しています。統一教会もそうですが、排斥運動がおきてもカルト教団そのものががなくなった話ははめったに聞きません。
それは自分に直接関わることがなければ、大方の人は宗教に冷ややかで無関心だから
なのかもしれません。

組織が衰退していつか無くなるには、新らしい信者を作らないこと、
そのためにはインターネットが大変有効だと思います。
そして可能な限り身近な現役信者に組織の真実に気付いてもらう
ように、個人レベルで努力することも大切でしょう。
でもこれは実際相当のエネルギーが必要で、未だに「楽園が来る、
この組織が唯一の神の経路だ」と言ってはばからない現役の妹と
話していると、ああこの子はもう一生辞めるつもりなどないんだなぁと
むなしい脱力感を覚えて、JWのことなどもうどうでもいいと
放り投げたくなってしまう時もあります。

結局、問題意識を持った人たちが一致結束すればもう少し
「社会問題」として世の中に浸透する可能性はあると思います。
逆にそうでなければ困難ではないかと危惧します。なぜなら
今も奉仕活動と称してJWの宣伝活動は、絶え間なく行われて
いるのですから。

最後に、個人的にはいい人だからとか、良い部分もあると
元の人たちや家族が擁護するのは「問題」の解決にはならないし、
意味がないような気もします。
この点はまた別の機会に・・
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by hanamizukidayo | 2008-09-04 11:42 | 宗教

政策の実現のために

会見が終わって、まずは「お疲れ様でした」とねぎいたい気持ちになりました。


「臨時国会が始まってからでは混迷がひどくなる、今が政治空白を作らない
良い時期だと決断した。」

結果的に、国益のため自ら辞任されたのは評価したいと
言うのが率直な感想です。
野党にも言いたかった事をはっきり言って
良かったんじゃないかな。

多くの国民が注目した公開記者会見で、自国の首相に
「今日の記者会見も人事のように見える」と発言した 中日新聞 の記者。

個人的な主観で決め付けないで欲しい。

さすがに福田総理も怒って「あなたとは違うんです」とピシャリ。
下らない質問をした、あの記者の一言は日本人として情けないです。


昨夜はニュースを集中してテレビで見ましたが、今朝の
報道はひどいものですね。目も当てられない。
仮にも自国の総理大臣の辞任という非常事態の重みなど
そっちのけで、物まねしてゲラゲラ笑ったり、
無責任だ、無責任だと連発。
いざという時、真っ先に責任逃れするような人がよく言うよ。

さっそく「あなたとは違うんです」が流行しそうだとはしゃいでいた
某局も同罪。それに、編集したものを面白おかしく
同じ場面ばかり出すのも失礼な印象操作です。
総理も国民をも馬鹿にしてませんか?




聞くに堪えないのでスイッチ切りましたが
凄く腹がたちます。

記者団との一問一答(毎日新聞)
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by hanamizukidayo | 2008-09-02 15:18 | 政治・社会

緊急記者会見

テレビ(NHK)で、9時半から福田総理の緊急記者会見をやるそうです。

辞任?


解散?
公明党と分離する?

緊急会見なので余程の内容でしょう。

まもなく始まります。
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by hanamizukidayo | 2008-09-01 21:12

一神教は諸悪の根源なのだろうか?

ニュースによると、「蟹工船」効果で共産党に1万人の人が新たに入ったそうです。

確かにスローガンは、理想社会への夢をかなえてくれそうなシステムに見えます。
ですが北京オリンピックで見せつけられた、あの中華ナショナリズム満載開会式や
閉会式のマスゲームに象徴された、徹底的な管理社会の不気味さに息苦しさを覚え
ながら見た人も多かったのではないか、と思ったのですが。
共産主義のいう平和も人権も平等も、見せ掛けの絵に描いた餅に過ぎないのは
もう十分すぎるほど、近代の歴史や現実が証明しているのに・・と思います。

最近購入した、モデルカイ・モーゼの「日本人に謝りたい」を読んでいると、  d0115758_1424068.gif 
この本が出版された30年前も今も、多くの人は戦後の歴史認識の間違いに
気付くことなく、現在に至っているんだなぁと感じ入ってしまいます。

8月は、暇さえあればテレビを見ましたが、NHK・BSⅡでは
BC戦犯の裁判を巡る番組や、戦時中スパイ犯として
日本軍に銃殺された、中国人の父を持ち日本人の母を持つ女性の
ドラマだとか、アウシュビッツもシリーズ、原爆体験者の「裸足のゲン」を
書いた中澤氏へのインタビュ番組ーなど等。
いかにもNHKの意図的なメッセージが見え隠れしていましたが、
かといって、他の局ではこういう重たいテーマを取り上げませんしね。

一番良かったのは、ゴット・ファーザー パートⅢでした。
ヨハネパウロ一世が就任何十日かで突然亡くなった不思議な事件を
思い出しました。オペラ座のすばらしい場面と、闇で生きる人々の対比の
見事な演出は緊張の連続でした。余韻が残る物悲しい最終幕章でした。




話は変わりますが、、昨日久しぶりに大型スーパーに入っている
未来屋書店をのぞいてみたら、新書コーナーを目立つ場所に移動して、
一連の品格本やアンチ朝日系、反中ものがうず高く積んでありました。
(ギョーザ事件の影響も大きいのかな)

数年前に出た中西輝政の「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」も
一緒に並んでいたので、だんだん意識が変わってきた人たちが増えている
手ごたえを感じました。言ってる私もその中の一人に過ぎません。

「スーチー女史は善人か」と、ニーチェのアンチクリスト(適菜収訳)が目にとまったので
買ってみました。
                               
■暴露本的なタイトルと、やや砕け過ぎかなと感じる翻訳は好みでは    d0115758_148985.jpg
ありませんが、ニーチェはキリストとその教えを否定しているわけ
ではなく、本来とは違うキリスト以降の教え(特に教会)が道徳で縛りつけて、
偉大なローマ帝国を崩壊してしまったゆえにキリスト教は無政府主義者と同じ
だと攻撃しています。
どの宗教にも言えることかもしれませんが、善い教えだからと弟子たちが
熱心にのべ伝えて組織化し拡大するほど、崇高な教えそのものが
人を支配する手段になり下がってしまう、そうなってしまっている現状を
謙虚に認めない教会の姿勢に、ニーチェの燃えるような激しい怒りが
表れています。過激な内容でした。


信じる者は宗教に向かい、疑う者は哲学に向かうという言葉があるそうです。
私は、キリストを否定する気持ちはこれからもあり得ない(恐らく)とおもいますが、
JWの道徳至上主義で何かが壊れた気がする私個人の感覚と、ワイマール憲法つまり
ヘブライの法意識で裁かれたという「東京裁判、」それ以後の日本人の自虐史観が
一直線上に重なって見えてきました。

モラルが無ければ秩序は崩壊しますから、その価値はむしろ認めます。
個人の考えが尊重される自由社会ではそれをどう捕らえ活かすか、
またその責任も成人なら、当然個人が追わなければならないでしょう。

その前提で道徳的あるいは常識だと理解していた事を一度白紙にして、
考え直してみたい気持ちに最近かられています。


(最近アマゾンで求めた本)

■「モーセと一神教」    d0115758_1311599.jpg  

衝撃的な内容のある意味危険な本です。
一神教を作ったのはモーセで、また彼はユダヤ人ではなくエジプト人だった。
ではなぜ、モーセはユダヤ教を創設するに至ったか、そのユダヤ教がなぜ
キリスト教という新しいブランドに枝別れするに至ったか。その沿革と内実に
迫り、フロイトがその晩年に命懸けで書いたと言われています。
まだ途中ですが、難解な理屈っぽさはなく読みやすい文章です。


追記 9月5日

訂正します。
>難解な理屈っぽさはなく読みやすい文章です。

たいそうな口をきいてしまいました。好奇心にかられて読み出しましたが
難しい内容だと感じています。


この本は、精神分析の権威者フロイトの
「もはや失うものがない者に与えられた固有の大胆さでもって・・
書き上げられた恐るべき遺書」です。

エジプトの高貴な家出身(恐らく武士)のモーセの宗教は、古代のイクナートンという異端を
崇拝した王と同じ、アートン教だった。エジプトは多神教の神々を崇拝するが、アートン教は
一神教。
このモーセがエジプトの奴隷だったユダヤ民族を「選んで」、モーセ教を創設し、エジプトから
出た後、カデシュで民に殺されてしまう。様々な事件や時間的な相互関係からみて、ミディアンの火の神(火山の神)だったヤハウェを信仰するイェトロの娘婿が次のモーセになった。
つまり、モーセは二人の人物からなり、後のモーセ教(多神教の一つだったヤハウェ)が一神教
の神の名を名乗ったが、実質的な一神教は古代エジプトのアートン教だった。

わずかに残る碑文や資料などを元に書かれている。フロイト自身も仮説だと認めている。
第二次世界大戦直前のヨーロッパで、ユダヤ人の危機が身に迫る中で、カトリックに親しんだフロイト自身のあるいは、ユダヤ教とキリスト教・もしくはヘブライズムとヘレニズムの相克を問い詰めているのかもしれない。 まだ3分の一しか読んでいない段階なので今日書いたものは
書き直すかもしれません。










■「アメリカの鏡・日本」   d0115758_1325239.jpg

読む価値ありと思って買いましたが、また未読です。







■ローマ人の物語」、去年か一昨年、途中まで読んでいたのですが
 いつの間にか忘れてしまってました。
 この本も  大変参考になる予感がします。



Wの「家族生活」の冒頭に、「強大なローマ帝国は  
道徳の衰退によって滅んでしまった。ですから、
堅固な土台を作るために、社会の一番小さい単位である家族が  d0115758_1351136.jpg 
道徳によってしっかりと基本を作らなければならない」と、
そういう意味合いの説明がありましたが、
それぞれの立ち位置から見れば逆もまた真なりという事なのかもしれません。





キリストの勝利―ローマ人の物語XIV―
キリスト教によるローマ帝国の乗っ取り――それはいかにして成されたのか。

キリスト教を公認した大帝コンスタンティヌスの死後、その親族を襲ったのは血なまぐさい粛清であった。生き残った大帝の甥ユリアヌスは、多神教の価値観に基づく寛容の精神と伝統の復活を目指した。だが、その治世は短命に終わり、キリスト教は遂にローマ帝国の国教の座を占めるに至るのだった。
   解説より
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by hanamizukidayo | 2008-09-01 00:21