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夕食

夕方市川で降りて乾物屋さんに寄り、ついでに夕食用の魚を買って帰った。

花やさんで生花を買う。胡蝶蘭や白い菊は見たくない。目を背けたくなる。

猫がいたずらするから部屋には飾れないけどな~と思いながら、
何でも良いから明るい色のお花が欲しかった。


父の好きな花は何だったのだろう。
私は知らない。

父は自分のことはめったに話さない人だったから、知らないことの方が多い。
たくさんのメダルや賞状も父が亡くなって初めて見た。

子供の頃のことや若い頃のことも直接父に聞いたことがなかった。

古いアルバムも初めて見た。

私の記憶にあるはずもないが、初めて見る戦争中の写真の姿は
細くて、背中をやや反らし、堂々と凛々しい。孫の誰彼によく似ていた。

「親父さんは空軍だったんですね?」と夫が訪ねると、母は
「結婚したばかりの頃は軍隊の話ばかり、耳にタコができるくらい聞かされましたよ。」
などと返事していた。

そんな話も初耳だった。どうして話してくれないのかなぁと思っていたが
聞いてはいけないような気がして聞けなかった。そんな機会もなかった。

母にしてみれば聞き飽きてしまって、もうどうでも良い話題だったのか。
いや母の弟は、シベリアに抑留され骨と皮のようにやせ細って戻ったと
聞いた記憶があるので、戦争の話は嫌いだったのかも知れない。
母はサツマイモが嫌いだ。散々食べたからもういやだと言っている。

私の幼い頃は非常に短気で厳しい父だったが、祖母が死んだ頃を境に
変わっていった。家族にも穏やかな笑顔を見せるようになった。

昔は、家族を犠牲にして、他人にばかりいい顔をしていたのに。


夕食の支度をしながら、あれこれとめどなく考えていたら焼き魚を
真っ黒に焦がしてしまった。
土鍋で炊いたご飯も焦げてしまったが、かろうじてまだ許容範囲。

子供たちのいない二人分の食事の支度は気楽なものだ。

朝のうちに作って置いた卵焼きと、豆腐とねぎのお味噌汁、シャポーで買った
柚子の香りがいっぱいする白菜漬けでニュースを見ながら食べて

「官房長官もしっかりしてないし、今度の選挙は厳しい結果になりそうだ」
「うん、うん」
などと、我ながら我が家の会話っていったい?

途中で友達から電話が入り、「はなさんがカリカリ怒るくらい元気があるようで
良かった♪ 無理して抑えないほうがいいんだよ」と言われた^^


こうしてゆっくりと食べ終わったとたん何気に言ってしまった。



 
  あぁ  も~~ お腹いっぱい!         
    
          柿でも むこうか  お父さん? 

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by hanamizukidayo | 2008-12-08 21:04 | 日常

愚痴&愚痴

夫「たまにしか行かない人間が、他所の家のことに口出すものじゃない。
お前は他人の家にそんなに波風立てたいのか!」

私「他人の家たって、これからもずっと付き合っていく実家なんだよ。
私に一生我慢しろって言うの。波風立てたいんじゃない、分って欲しいだけなのに」

夫「だからそれがお前のわがままだと言うんだ。毎日会うわけじゃないんだ。良いところだけ見て目をつぶってやれ。それが大人ってもんだぞ」

私「ふん、いいとこなんか見えないけどね!
それにさ、たまに行くからオカシイのが分るんだって。中にいるとオカシイことが
おかしいとも分らない、感覚が麻痺してるってこともあるでしょ!」


夫「お前はエビサワのオバサンみたいになるつもりでいるのかっ!」
         ↑ダンナの口うるさい親戚w   まさかだよ!


あぁ、もう正論なんか聞きたくないよ。夫のためにも言ったのにちぃっとも分からんちんだ。
言わなきゃ良かった、言わなきゃよかったんだ。言ってしまった私がアホだった。


バカらしい、もうどうでもいいわ。
私の言っている意味がいつかはみんな気が付くでしょうよ。
本当にもう遅いかもしれないけどね。
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by hanamizukidayo | 2008-12-08 19:35 | 日常

書けば気持ちの整理になる

「はなさんがブログに自分の感情を吐き出すなんて珍しいわね。でも書けば整理出来るよね」と、
友達からメールが来た。

そうだ。今私は自分のためにだけ書き続けている。
「ご家族は、お母さんは大丈夫ですか」と会う皆さんが心配の言葉をかけて、優しく気遣かって下さるが、ありがたいと思いつつも、正直な気持・・
私は自分のことだけで精一杯、母の心配どころではないのだ。

母には毎晩全身をマッサージして、倒れないように出来る限りの気遣いをして来た。

食べたくもないが、気力が萎えないよう食事もきちんと取り、こちらの親族に挨拶回りも済ませた。

弟が役所に死亡届けを出しに行く用意をしていた時、母も傍にいて几帳面だった父が生前にきちんと全てを用意していた書類の中から遺産の全てを広げて、私たちに見せてくれた。

不思議なもので、妹たちも私も同時に同じ言葉が出た。

「私たちは何もいらないから自分のために使って欲しい」
「(家屋敷や山畑、保険証券は)全部弟に上げて」と。

「そのかわり現金は母が持ってないとね、これからまだまだ必要なんだし、お金のない親は粗末にされるよ。所詮、世間はそんなものだからね」と私は余計な一言を付け加えておいた。
仕事がらいろんな家族を見てきて、それが現実だと知っているからね。

そんな訳でいろいろと用意するために回っている最中だが、先程戸籍謄本の詳しい方(原戸籍)を受け取って驚いた事が一つあった。


すっかり忘れてたが、私たち夫婦は子供が生まれる前に、一度離婚していたのだった。
そう言えば一年くらい実家に帰り、その間に見捨てられて絶望したのか(?)
夫は自殺未遂騒ぎを起こして、私はまた夫の元に居ようと戻ったんだわ。
 (ごめんね、お父さんこっそりバラしちゃって、もう昔話だからいいよね)

あの時は両親の反対を押し切り、それからもエホやったりして随分と心配をかけてしまった。

エホ時代の私は、従順な妻の役割を一生懸命演じて、口答え一つしない立派な妻になろうと頑張った。何しろ未信者の妻だったもの。配偶者が信者じゃないのは決定的な欠陥だと思い込んでた。行状が悪いからだって見られるのが辛かったし。結局自分が大切だったかもしれないけど、まぁいろいろありましたっけ。
そんな私に夫は、昔の方がずっと可愛かったと言ってたけど(笑)

今あるのも両親のおかげ、かな〓いやいや、それだけではない。
そういうおりこう口ばかりもう言わないことに決めた、私。

親も普通の人間だった。怒ったり笑ったり、泣いたり悔しがったり。
そういう姿を見て長女として育った、私も普通の人間だ。
私だって私なりに頑張ってきたんだ。私は私らしくいくんだ。

十分だよ、それでいいんだよ。誰も言っちゃくれないから自分で自分に言ってあげるw
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by hanamizukidayo | 2008-12-08 15:43

喧嘩の後始末

昨夜は夫と喧嘩したが、二人とも言いたいことを言い合えば後はさっぱりとする性分なので、
不機嫌さが長続きすることはない私たち夫婦。

ブログに言いたいことを書いてすっきりした。興奮したせいか疲れてその後コタツにもぐりこんで寝てしまったけど。

朝起きていつもの日常が始まった。洗濯しながら夫から渡された書類をパソコンに打込み
夫は夫で打ち合わせの電話に忙しい。手配していた工事の段取りにミスがあったらしく、依頼していた業者に至急文字を訂正して送り直して欲しいと連絡していた。

その間に母の体調が心配だったので田舎に電話を入れたり、お葬式に千葉から参列してくれた長兄の奥さんから、私が送っておいたお礼の品物が届いたという電話も入った。


ひとまずひと段落した頃を見計らって
「お父さん、怒らないで聞いてくれる? 夕べは私、不愉快な話をしてしまったけど、他の人には絶対に言ってはいけないことだったからお父さんに聞いて欲しかっただけなの。
お父さんだって、お兄さんたちとうまくいかなくなってお葬式以来法事にも出ないでしょう。

どこの家にも何かの拍子でいろんなことが明るみになることがあるけど、私は大人として振る舞いたいけど本当に我慢し続けるべきなにか、それとも親戚中に冷たい長女だと誤解されたまま
自分さえ黙っていれば事が丸く収まるのか、判断が分らなかったの」


夫は「君の言うことは分かる。自分も今回自分のことより兄貴に悪かったなと思った。でも葬式の大変さも分るからそういうことは二の次だ、君がこの後田舎にいけないような状況を自分から作ったらいけないと思って君に言ったんだ。親戚の人たちだってバカじゃないから、分る人は君以上によくわかっているはずだよ。

人がある人をことさら強調して褒めるというのは、君に心配をさせたくないという優しさの現われかもしれないしね」


夫には分って欲しかった、その思いが通じてはいたことがわかって嬉しかった。


その後、仕事に行く支度をしていたらコピー機に重なったファックスの中に、事務所から届いたファックスを発見。

「お疲れ様でした。今日までゆっくり身体を休めてまた明日からお願いします」という内容だった。みんなの優しさが心に浸みる。私の周りは気持ちのいい人たちばかりだ。恵まれてる。

今日はこれから職場にお土産を持って挨拶に行き、それから東京まで相続関係の書類のための戸籍謄本をとって弟宛てに送る予定だ。
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by hanamizukidayo | 2008-12-08 12:05

八つ当たり



父の急死で皆、気が動転していたのだから
些細なことだ、気にしないでいようと努めてみたが今日も
気持ちが収まらず、ついつい夫にあることを話してみた。

「それで君は一体どうしたいんだ?」
「気にしても仕方のないことをなぜ気にするんだ」
「だいたい昔から好き嫌いがはっきりし過ぎて、すぐ分る。もっと我慢しろ」
「通じない相手には何を言ってもダメなんだ。今更仕方がない」
「それは考え過ぎだ。相手は悪くない。気が付かないだけなんだ」
「思い込みが激しいんじゃないか?」

夫の答えを聞いていると、自分が間違っていて歪んだひどく惨めな人間に思えて
ますます落ち込んだ。
いったん話を切り上げたものの、だんだんと腹が立ってしかたなくなり
どうにも押さえきれず、台所から大声で言い返した。

「あなたの言い方に私はもっと傷ついた。話なんかしなきゃよかった!」

「おお、俺もそんな話など聞きたくないよ!二度と言うな」夫も怒鳴り返す。


葬式終わってチャンチャン・バラバラ

どうかしてる私、という自覚はある。本当は夫に八つ当たりしている事も。
黙って聞いてくれるかなと思ったのに、夫の言葉は手厳しい。

「君の言ってるのは愚痴だ、人の悪口だ。自分はそう思ったことはない。
思うのは勝手だが、それで一体君はどうしたいんだ?」


どうしたいんだかどうすればいいんだか、分っていたら聞かない。
分らないから聞いただけなのに、感謝しろだの我慢しろなど
愚痴を言うなだの。

第一、人間愚痴いっちゃいけないの?
ハァ?我慢して忘れろ?

そんなに立派なことばかりできないよ。

もう限界、これからはせめて対等に付き合いたいと言って悪いの?
あの人には上も下も常識も非常識もあるもんですか。


夫の意見も分らなくはないのだが・・そうできたらいいと
努力をしてきたつもりではあったが、
相手に合わせ過ぎてもう疲れた。

たぶん無理して合わせ過ぎた私がいけなかったのだろう。


落ち着け、落ち着け。
焦るな自分。
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by hanamizukidayo | 2008-12-07 23:55 | 日常

元JW 承認関係

今朝10時ごろ妹に電話したら、疲れがでたのか集会を休んで
まだ寝ているという。

妹の旦那だから義理の弟にあたるMさんに、「お葬式の写真
欲しいなら送るけど、どうしますか?」と電話で確認したら

「うーーん、私はかまわないけど、どうしようかな」と少し躊躇していた。、
私もどうでもいいとは思ったが、ともかく送ることになり送信したのだが、
先ほどPCに返信が届いていた。


写真ありがとうございます。とりあえず〇〇(妹)には内緒にしておこうと考えています。

そうか、そうか。ショックに参った妹を気遣って、優しい夫Mさんらしい。
仏式葬儀の流れを今見せるのは生々しいだろうと判断したのかも知れない。

Mさん自身は葬儀が偶像崇拝だとか、極端なこだわりをあまり感じていない
雰囲気を感じた。元々妹に合わせて始めたような人だし。


驚いたことに、どうやら妹夫婦にとって今の私は、JWを辞めた姉という位置が確立していることだ。


妹の反応次第では長老に報告、そして正式な背教者の烙印が押されかねないと
覚悟しながら、
お通夜の会場で「私は式に出るね」と告げた私に、

妹は、むしろ申し訳なさそうに「うん、分った」と答えてくれた。


いつからなんでそうなったのか私にもよくわからない。そういう位置関係が
JW的に成り立つかどうかも疑問だが、互いに深く詮索しないで、
今の関係を今後も上手く繋いでいこうと思った。



姪のことが気がりだったので、何回かこちらから電話してみた。
もう落ち着いてきたとのこと。作業所にも通っているそうだ。

「さっき〇〇兄弟姉妹(長老)が訪ねてきてくれたので、お葬式の時は
姉にずいぶん助けられて感謝だった」と、報告した」と言う。

「えっ、えっ  何が良かったの?」と耳を疑ってしまった。

「お焼香が終わったら毎回、もうだいじょうぶだよと、控え室に知らせに
来てくれたこと」だったらしい。私は無意識でそういうしていたのだろうか。

来客への挨拶などで忙しく動いていたこと以外、まったく記憶にないのだが。


妹「自分たちだけ離れた場所にいると会場の様子が分らなくて、出ていくタイミングが
分らなかった。でも姉ちゃんのおかげで本当に助かった、ありがとう。」

私「しっかりお別れが出来てよかったね。すごくいいお話だったんだよ。
  弟姉妹が一緒に参列できて、私も最高に嬉しかったよ」


こうして・・妹はPCを使わないが、Mさんとはメールを交換し合う仲になった。

妹たち家族には、これからどんな展開があるのか、それとも何も変わらないのだろうか。


先は読めないが一つだけ確かなことは
 

辞めたことを認めた関係
 が、


相互に、暗黙の了解で始まったことだ。まだ信じられない気持ちでいっぱいだけど。
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by hanamizukidayo | 2008-12-07 14:15 | 日常

下手で上等 「写真」

人が亡くなるということは実際大変なことで、7年前に夫の親を見送った時も
悲しんでいる暇などないくらい式の段取りや、親戚への連絡事項や来客への対応
また死亡届を初め、様々な手続きのために書類を探したり出かけたり、
兄弟で手分けしてやったとは言え、本当に大変だった。

2,3泊して妹たちが戻っていった後、母や弟の手伝いでしなければならないことは
山ほどあったが、きりがないのでひとまず帰ることにし、昨夜の便で帰宅した。

寝不足で身体は疲れているはずだが、食欲もあり今朝も早く起きて
お葬式で撮った写真のフォルダを作り、アドレス交換しておいた実家の姪と
妹夫婦に送信した。

昨夜遅くまで起きてプリントもすませたが、大勢の弔問客の中には
「あっ、この人も来てくれたんだ。挨拶もしなかったけどありがとう」
話しもできず残念だった人とも次にまた会うきっかけになるかも。

JW時代、親族とも同級生たちとも親交を絶ってしまったので、式場で
挨拶を交わしても顔や名前の記憶がはっきりしなかったが、写真を見ていると
遠い記憶がよみがえり懐かしかった。

妹夫婦もいつの間に戻ったのか、親族席の末席に座って泣いている姿や
棺の前にいる場面も写っていた。

妹が孤立しないで一緒に父を見送り、また一緒に失った悲しみを
分かちあえて心から良かったという思いでいっぱいだ。

お葬式という儀式は形ではない、死者にも残された人々にも
重要な伝統行事、あるいは文字通り法事だと思った。
神ではない人間に必要不可欠な儀式だ。理屈ではないのだ。


何十年ぶりに会った従兄弟たち、叔父叔母もさることながら、生前父と
交流した大勢の方々が、泣きはらした目をしていたり、じっと目を閉じて
いたり、うつむいていたりしている姿に泣けた。
こうしてたくさんの人々に別れを惜しんで頂いて、心の温まるお葬式を
出せたことを深く感謝している。



私も少し写したが、途中から息子に頼んだのだけど、先ほどそれをプリントしながら

「写す角度が悪い」とか、「肝心の場面がない」とか、夫はブツブツ言っていた。
 なら、自分で写せばいいものを。うるさい人だな、まったく。と聞き流して
いたのだが、

「大事な瞬間にM(息子)は、自分が観客側になってしまうからいけないんだ」と言ったので、

「お父さん、あの子にとっても大切なおじいちゃんだったんだよ。観客ではなくて
出館の時や叔父さん(弟)の挨拶の時とか、本当にみんな涙がこみ上げてならなかった場面がないのは、あの子も泣いていたんだと思う。とても写真どころではなかったんじゃないの?」


「・・・・・・・」

もし、客観的で完璧なプロのような仕上がりだったなら・・そのほうがなんぼ悲しいではないか。
写真もよいけど、式全体が私は感動だった。肝心な場面や記憶はみな様々だろう。
自分の胸に刻めばすむことだと思う。
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by hanamizukidayo | 2008-12-07 12:00 | 日常

今日はね、お祝いなんだよ

駐車場で待機していた妹夫婦と一人娘の姪に、「お骨を拾ってあげて」と呼びに行くと、妹たちはうなずいて火葬場に入っていったが、姪にあたる純ちゃんは、祖父の突然の死とお葬式の儀式に混乱してパニックを起こしていた。

振り向きながら行く妹に、「純ちゃんは私が見てるから、早く!」と言いながら、姪を抱きしめた。

「おばちゃん恐いよ、おばちゃん傍にずっといて・・」

姪とはJWを辞めてからなかなか会う機会がなかったが、
少しも変わらず私や息子たちを慕ってくれている。

今回、父の死という思わぬ形で、久しぶりの再会となってしまったが
斎場の控え室でも屈託のない姪の笑顔に救われた。もう21歳になるが、
言葉も仕草も素直(従順とは違う)な子供時代とほとんど変化らしきものはない。


「純ちゃん、お葬式はもう終わったからお母さんたちがいる暖かい部屋に行って、みんなと一緒にお茶でも飲もうよ」と、車から連れ出したものの、知的障害(LD)の姪にとって、一般的なお葬式という初めての経験は、不安や恐怖感でいっぱいだったのだろう。人一倍感受性が強いから先月は元気な姿のおじいちゃんに会ったばかりだというのに、突然死んだというショックも当然ある。もっとも母をはじめ家族全員が、多かれ少なかれパニックに陥っていたのは姪同様だったが。

私の手を強く握りながら「おばちゃん、お焼香はしないでね」と涙を浮かべて訴えていた。

「だいじょうぶだよ。もうお坊さんもお帰りになったし、何も心配ないからね」
姪の気持ちが哀れで肩を抱いて待合室のソファに一緒に腰掛けていたら、弟が気が
付いたのか、傍に来てくれて、姪の顔に向き合うように膝をかがめて優しく語りかけた。

弟「純ちゃん、おじいちゃんのことは何にも心配いらないんだよ。純ちゃんもおじいちゃんの顔を見たでしょう。いつものようにぐっすりと、よく眠ってる顔だったよね。

おじいちゃんはね。昨日いつもと同じに、朝起きて、朝のご飯を食べて、みんなが出かけるのを見送ってくれた。それからまたいつものようにベッドでうとうとしてたんだって。
そしてお昼になったから、お婆ちゃんが、『そろそろご飯に起きてらっしゃい』と声をかけたけど、おじいちゃんはもう目を覚まさなかったんだって。

おじいちゃんはもう起きて病院にいったりしなくてもよくなったんだよ。少しも痛いとか言わなかったし、苦しそうな顔もしなかったんだよ。おじちゃんはね、おじいちゃんが気持ちよさそうに眠っているみたいだから、悲しいけど良かったなあと思ってるんだ。

それにおじいちゃんはみんなのために心配しないように頑張ってくれたんじゃないかな。
だから、今日はみんなで『おじいちゃんありがとう』ってお別れしようね。

純ちゃん今日はね、純ちゃんやおじさんおばさんたちにとって、特別な、お祝いの日だね」


うなずきながら聞いていた姪は落ち着いた。柔らい声でゆっくり優しく
話しかける弟の「今日はお祝いだ」という言葉は、弟自身、自分にも
言っていたと思う(何で俺の誕生日に死ぬんだーと泣いた、弟)

Jw妹も白い父の遺骨を目に焼き付けるだろう。そして私のようにいつか
「人は死ぬ」ということの普通の感覚を取り戻して欲しいと思った。直接
口には出来ないが、亡き父が何かの形で気付かせてくれるような気がする。
 



12月1日 午後1時52分 父永眠  享年85歳  最愛の、目の中に入れても痛くないほど可愛がって育てた弟(長男)の誕生日でもあった。


父の最期の言葉 今日は072.gif誕生日だね。由美ちゃん(嫁)、お祝いの支度よろしく067.gif




同夜   仮通夜     ( 飛行機の最終便に間に合わず。)


12月2日   斎場にてお通夜(早朝羽田より出発、レンタカーにて実家に昼・着。
布団に横たわった父と対面。午後2時より湯灌及び準備が始まり、夕方4時斎場に父移動。

5時過ぎ、夫、実家に到着。 義長兄、息子(長男)各自のスケジュールにそって現地集合
深夜近くのビジネスホテルに宿泊。



12月3日   〃    11時より 告別式  出棺


父の死に直面して、親不孝ばかりしてしまったことを許して欲しいという悔やみ、
もう親孝行したくても出来ないのだという思い、また、ただただ感謝の思いがこみ上あげて
きたり、幼い日の父との思い出の数々と共に、様々な感情が今、目まぐるしく交差している。

ただ、お葬式は故人にとっても親族知人友人すべての人が心のけじめになったり
共に泣き共に思いを交感させあうすばらしい儀式だと再確認した。


すばらしいお葬式を迎えることが出来た父を、私たち姉弟は父の偉大さに改めて
気付き、気付かされ、誇りに思うことができた。

本当は心から愛し慈しんでくれていた父へのこれまでの誤解やわだかまりを
きれいにさっぱいと洗い流して、○ ○ 家の長女として、父を人生の師として
仰ぎながら生きていきたい。 ありがとう、父さん。
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by hanamizukidayo | 2008-12-07 01:51 | 日常