願いとさだめとを内面的につなぐものは祈りだよ。
祈りは運命をよびさますのだ。
運命を創り出すと言ってもいい
『出家とその弟子』
なにもかもよかったのだな。
わしのつくったあやまちもよかったのだな。
わしに加えられた傷もよかったのだな。
ゆきずりにふと挨拶をかわした旅の人も、
何心なく摘みとった道のべの草花もみなわしと
はなれられない縁があったのだな。
みなわしの運命を成し遂げるために役立ったのだな
『出家とその弟子』
人間の純な一すじな願いをつき詰めて行けば、
皆宗教的意識にはいり込むのだ
『出家とその弟子』
恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。
人生のかなしみがわかるのだ。
地上の運命に触れるのだ
『出家とその弟子』
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今でも興味や関心を無くしたわけではないし、宗教性を含んだ
健全な言葉というものは、キリスト教・仏教に限らず
善いものは好きだ。
でも、政治経済と宗教の結びつきのあり様から陰謀論へ
果ては、聖書翻訳の信憑性に疑問を投げかける学者の
本を数冊読んで過ごした数ヶ月を経た今、教会関連のブログ等に
向き合うのは、正直苦痛になった。
現実に仕事で接する機会があった一部の教会員への幻滅もあって
キリストの教えは、最初に書かれた聖典「マルコの書」だけ読めば、
後はもうどうでもよいという心境になってしまっている。
ニーチェも学者たちも、キリストの教えそのものには、批判を加えていない。
JW時代からパウロの書いた(と言われる)書物には感動できなかった。
ヤコブの手紙やペテロ2巻のほうがまだ好みに合っていた。
今朝の名言を感心しながら読んだが、最後の箇所に行った時、
ふと遠い記憶がよみがえった。
不謹慎を承知で書くのだが、私はJW時代にMTSから来た長老の一人に
恋心に近いときめきを感じた一時があった。その頃
私が長年在籍した会衆では、会衆内の人々の多くが、羊飼いの居ない子羊のような状態で、
圧政的な主宰監督に忍耐を強いられ、霊的な滋養物が何も与えらずに苦しんでいた。
その兄弟が主催監督として会衆に来たのは、協会の路線変更か、巡回監督の計らい
かは分からないが、組織が大量の長老を整理してMTS出身の監督たちを送り込んだ時期と
一致している。周囲の会衆でも大勢の長老団入れ替えがあった。
当然ながら、事前の訪問時に巡回監督主導で様々な問題の内密調査が実地された。
ちょうど今の民主党代表選直前のように人脈、派閥、敵・味方に分かれるように、
あるいは先行きを読んで保身に走ったいわゆる「神権家族」もいた。
私は彼らを軽蔑した。
今も同様で、わが身の保身しか考えない汚いやり方をする人間は嫌いだ。
「改革」の痛みは弱い立場の個人にまともにぶつかり、切り刻まれた心の後始末は
残された人々が個人的に負った。
どんなに個々の傷は深くても、組織の規則とおりに
「エホバ」のご意思のままに、「エホバ」が介入し「上」で取り上げられたのだから、
個人がそれ以上問題の本質や解決の手順や問題そのものにさえ口にすることは
出来なかった。相互の痛みを分かち合うことも許されない。
そうすることが「認識」であり、責務だと生真面目に考えていた。
やがて、暗黙のうちに励ましあう存在だった姉妹たちが引越し始め、一人去り
二人去り・・・・会衆から消えて行った。最後に残った私は一部の「霊的に強い」姉妹たち」の
陰湿な嫌がらせを受けるようになった。
だんだんと集会や奉仕に出かけて行くのが苦痛になりだした頃に、
その兄弟がやって来た。
若くても優秀で、誰に対しても分け隔てをせず、片親の家族や高齢の人々を
優しく気遣う人柄を尊敬の念で見ながら、いつしか惹かれていった。
巧みな教え方やその人柄は、研究生にも人気が高かった。
私の車を運転してくれて、研究に同行したり、奉仕もよく一緒に組んだ。
今はもう廃車にしてしまったが、当時は割合グレードの高い車に乗っていたので
彼にとって、単に車が気に入っただけだったかもしれない。
であっても、頻繁に牧羊の機会を設けてくれ、奉仕の僕とか他の兄弟抜きに
1対1で個人的な悩みを受け止めてもらい、辛い時期には毎晩のように電話で
祈ってくれた。
慈愛に満ちた眼差しや、落ち着いた静かな
そのささやくような声に幾度となく癒された。
JW時代の懐かしい思い出はたった一つ、短いが
恋してしまうくらい素敵な長老と過ごした期間。
もうすっかり風化してしまったが、ちょっぴり思い出してしまった。