昔ドミンゴという名の修道士がいた。
日曜日に生まれたから、スペイン語でドミンゴ(日曜日)
と呼ばれた。
曽野綾子さんの「陸影を見ず」にある一篇です。
ドミンゴは頭もあまり良くなかった。
家が貧しかったが、信仰心は厚かったので
修道院に入って修道士になったが、神学も
ギリシア語も一向に理解出来なかった。
その頃、その町はフランスからスペインの
サンチアーゴ・デ・コンポストラという聖地
に向かう通り道にあたっていた。
一年中巡礼者が通る。
渇いた時期はまだよかったのだが、雨季
になると、町の中は大変だった。
巡礼者はぬかるみの中を歩くことになる。
足はとられるし、道は進まない。滑ったり
転んだりして、泥だらけになる者も後を絶た
なかった。ドミンゴは考えた。
これはなんとかしなきゃならん、と。
そこで彼は、修道院長の許しを貰って、巡礼者たちの通り道に敷石を敷く事のした。彼は来る日も来る日も一人で石を運んだ。泥だらけになり、腰をかがめながら・・・。
知人の中にはドミンゴを笑うものさえあった。
「あんたは何で修道院に入ったんだね。ラテン語で祈りを唱えたり、聖書をギリシア語で読んだりするためじゃなかったのかね。そんな泥だらけの仕事をするくらいなら、初めから労務者になればよかったんじゃないか」
しかしドミンゴの道は少しづつできていった。巡礼者たちがぬかるみで足を踏み滑らせたり、粘った泥から足を引き上げる苦労もなくなった。
やがてドミンゴは死んだが、敷石の道(カルサータ)は残った。何千、何万という、名も知らない巡礼者たちが、その楽な敷石の道を通ってサンチアーゴ・デ・コンボステラへと旅を続けた。
・・・その町は「ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ(敷石のドミンゴ)」と呼ばれるようになった。
カトリック信者である曽野さんの本には教会のエピソードや
そこで働く、多くの場合世間には名も知れられないシスター
達や神父さんの実像が書かれていて、ハッとさせられる話に
出会うことが多い。
教会は戦争責任や過去の過ちのために悪く言われ非難されたりする。
一見華やかな指導者や教会政治家たちの活動は、多くの間違いも引き起こしてきた。
キリスト教の生命線として、真に教会を支えてきたのはドミンゴのような数しれない
"小さき者"の存在ではないだろうか。