昨年末にペット税のニュースが流れました。発案は鳩山邦夫氏だったかな。
ペットを飼うにも税金、贅沢品扱いなのかと思ってしまいましたが、
よくみると
購入時に税金をかけることを検討しているのであって、現在ペットを飼っている方から徴収するのではないようでした。
<無責任な飼い主減らせ、自民議連が「ペット税」導入論>
動物を飼ってもすぐに捨ててしまう飼い主を減らし、ペットを取り巻く環境改善につなげる狙いがある。議連では、ペットを購入する際に一定額の税金を全国一律で課すことを想定している。
これは
平成の生類憐れみの令ではないかと揶揄してた方も見受けられたので
興味がわいて生類憐れみの令をウィキペディア(Wikipedia)で見てみたのですが、
「正史に対する批判としての見直し論がある」
つまり生類憐れみの令と徳川綱吉の再評価も
検証されてきていることを知りました。
愚策、愚政、悪政と切り捨てられインプットされてきた
歴史の見直しが進んできているようで、多面的な情報から
考えてみる機会があたえられている時代に感謝です。
学者や歴史家、学校教育など、ある「権威」によって刷り込まれた
情報は漠然とではあってもそれが正しい、あるいは事実として
自分の考えの一部になってしまいがちですが、
いろいろな情報により、新しい視点やそれに伴う発想の転換
あるいは価値観の変化もしくは自分の見方を吟味することが
できることを、楽しいことだなと私は思います。
JW教育で、一時は人生をかけてしまうといった失敗から
大きく方向転換をした人間の強みというか
些細なことであっても、あるいはイデオロギーであっても
だんだんと私らしく、私は私
つまり反対意見に出会って罵倒されようと
それはお互いの個性や価値観、考え方の違いね~
別にどう思われたってかまわないよ
よぽど分らなければ率直に気持ちよく自分の考えを
述べてくれる人に尋ねたり、質問してみることもできるんだし
無理に自分好みの考えに合わせろと迫るような人に
あわせたくない
それだったら、何のためのJW経験だったかと思うのです。
相手がそれで怒っても、その人の感情にまで責任感じません
自分のせいだというよりもその方の受け止め方ですから
ご自由にどうぞ
けれど日常では、意図せず、相手を傷つけてしまうことが
誰にもあるように、私も、失敗をします。
そういう時はすぐに謝ること、気付いた時点で行動する事が必要だと思います。
たとえばアルツハイマーの方にうっかり今日の献立を決めるために
「 昨日はなにを召し上がったのですか?」
「 最近はお肉が続いたようですから魚にしましょうか?」
「 魚は何が好きですか 」 よかれと思った言葉でも
こういう質問の仕方は相手を傷つけてしまいます。
昨日何を食べたかなんて私だってすぐ忘れる、
好きな魚の名前が出ないことだってしょっちゅう。
果物、野菜・・・・今の旬はなんだろう?
大体、欝の時もそうですが、頭がぼんやりしている時に
何は?どうするか?など、病人は質問形自体が苦痛なのです。
「それが分るんなら手伝いはいらない」ということになってしまうのです。
話がそれました。
生類憐れみの令の目的、当時の庶民はどう捕らえたか、あるいは
一見良かれと作った規則であっても
思わぬ波紋や問題に発展してしまう人間社会の矛盾
そういうことを考えてしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%A1%9E%E6%86%90%E3%82%8C%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BB%A4