息子が突然、子供ができたので入籍したいと、報告は受けていたが
二人揃ってきたのは昨年の12月だった。
5月末に出産との事。
お嫁さんは数回我が家に来たこともあった人だったが、まさか本命だったとは。
驚きながらも、きちんと籍を入れて子供の誕生を迎える準備を
進めている息子たちを、わたしたち夫婦は心から祝福した。が、一方
「相手の親御さんは本当に承諾しているんでしょうね?」
何度も念を押さずにおれなかった。
「高専時代の親友の遊び仲間だったから、もう15年前から何度も
家に行った間柄で、今回の成り行きを両親もたいそう喜んでくれている。
もともとはこちら(同じ県)で、今は仕事で福島に住んでいるが、3月には
福島から自宅に戻って生活手はずになっているので、諸々のしきたりや挨拶は
その時にしてもらいたいという意向」だった。
そこら辺を息子から確認した時点で、夫は先方がそれで
いいのなら、そうすれば良い、という判断だったが・・・
わたしがもし・・逆の立場になって考えたら、そうは言っても
男親として挨拶だけはまずしなきゃ不味いのではないかと、
私は内心、危惧していた。
つわりも治まった嫁さんが挨拶に来た時も話が出たのだが、、都内では
子育ての環境に向かないこと、自宅マンションや事務所も手狭になって
どこか交通の便も良い場所で広い事務所を探していたところ・・・・
たまたま我が家の近くに[願ったりかなったりの良い物件を見つけた。一緒に見て欲しい」
という電話が来て、わたしたちも見にいったところ、
非常に気に入って、ここなら家賃も今の1/3の負担で済む、お父さんも一緒にここに
事務所を移したらどうかと言ってくれ、夫の仕事・体調の先行きもありとんとんと
話が進んでいる。
その日、わたしは彼らの自宅マンションの下見にも付き合い、これもまた良い条件で
希望物件が即決状態。追い風が吹いているなあという感じだった。
ただ・・たまたま一緒に行動しながら過ごした合間に、どうやら息子は福島の嫁さんの実家に
たびたび入っているらしい様子や、悪びれもなく、お正月には先方の親族(といっても
たくさんはいないようだが)会って、顔あわせもすませたような話を聞かされた。
「う~ん、そうだったのか~。我が家には、友達の家に行くついでに寄ったような形で
来ておきながら、ったく! 今時は嫁さんペースになる傾向だとは聞いていたが
この二人も・・ま、残念だが仕方ない」と内心思いながら、聞き流した。
夫の親族(夫の兄たち)には、「00ちゃんたちも変わりない?」とか甥にあたるので
話題になる機会がよくあることもあって、入籍を済ませてから「事後報告になって
申し訳ないです。実は・・・」と打ち明けた。
そしてこちらの親族に紹介したいので急な話で申し訳ないが
、諸事情もあり今月中に集まっていただけないかと申し出た。
夫の長兄、わたしの弟妹も、「そういうことなら何はさておき、まず挨拶が先だね」
と、返答。
それもそうだと、私自身の気がかりもあったので3日前、息子を呼んで
「なぜ3月なの?
福島にはしょっちゅう行ってるようなのに、
一般的には男親の立場として順序が
逆なのではないかと心配している」と話した。
息子は詳しいことを語りたがらない。ただそれでいいと先方の都合で言われている
とのみ。
夫は、「あの子がそういうのだから、事情があるのだろう、察してやれ」と
言うが、私は物分かりが悪い質で、「若い人たちのペースにあわせ過ぎてるのでは?」
と不安もあった。
めんどくさくなったのか、「そこまで言うなら、嫁と直に話してくれ」と息子。
一昨日、嫁さんと私は率直に話し合った。
「3月にまた移転になって家族は、福島から実家に戻る予定だった。
楽しみにしていた矢先に、父親の癌が見つかり胃の全摘をしたのが、
去年の初夏ごろ。少しづつ回復に向かって自宅療法になった時期もあったが
膵臓に移転。その後リンパから全身に移転。
年末に容態急激に悪化して、現在はモルヒネで痛みを抑えて
いるものの、こちらの病院に転院する手配をしていたが
移動は危険だとドクターストップがかかり、現在の病院で最後まで
見てもらうことに決まったのは、つい今週のことだった」という内容だった。
看病や弟の進学、何より日々衰弱する父親の容態に母親は精神的にも
参っていて、申し訳ないと思いつつもわたしたちに会う気持ちの余裕は
ないのが現状とのことだった。
私「なぜ、話してくれなかったの!何も知らずごめんなさい。あなたも
身重な身体で仕事もこなしながら明るく振舞っていたので、不覚にも
そういうこととは露にも思い及ばなかった。わたしたちにできることなら
何でも力になりたいし、ひとりで重荷を抱え込まずにわたし達に遠慮要らない
ので長男(息子)とお母さんを支えてあげて。」
「わたし、メンタルコントロールは比較的得意なんだけど
つい号泣してしまって・・すみませんでした」という嫁さんに、
家の中や親族にも暗い話をしないように気配りしながら、母親を
支えていた健気さに、私は痛く感じ入ってしまった。